サロン中央アジア

中央アジアの自然と人々

酷暑極寒の地で亡くなった人々

2007-08-18 23:48:36 | 中央アジア日誌
カザフスタンのアルマティ市からウズベキスタンのタシケントへと西進する国道9号はカザフスタンの南西端の大都市シムケントで進路を北西へと変える。ここから200キロ進むとトルキスタン市に至る。綿花やメロンの大産地であるトルキスタンから100キロほど東の沙漠の中にケンタウ市がある。市の中心部の公園の一角に漢字で「平和慰霊碑」と書かれた記念碑がある。そこには、「1943年、元第63師団(陣)将兵の一部は、労役のためこの地へ送られ、二ヶ年の後、日本へ帰ったが、内39名は病を得て没し、遂に日本の土を踏む事はできなかった。陣戦友会は戦友の死を悼み、ケンタウ市の絶大な友好協力のもとに、国内で広く募金を行ない、その浄財をもって1993年この碑を建設したものである。  陣戦友会平和慰霊碑建立委員」と刻まれている。筆者はこの碑の建立活動に若干ながら関わることから、中央アジアで果てた人々のことを知った。中央アジア各地にある戦争捕虜の歴史は十分に記録さえされていない。従軍慰安婦問題、広島長崎の原爆被爆者問題などなど戦中戦後の諸問題を解決していない日本である。中央アジアでの捕虜問題は社会的に取り上げることさえない。

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