EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市道後に新しく「飛鳥乃湯」が誕生

2017年08月13日 | 伊予松山歴史散策

日本三古湯の一つ「道後温泉」に新しく、湯屋が誕生します。

現在の道後温泉本館は、明治27年に改築され、同年28年に夏目漱石が松山中学の英語教師として赴任します。松山在任中の事柄を書き下ろした小説「坊ちゃん」で全国に道後温泉の名前が広まり、今や女性一人旅の観光地として愛されています。

平成6年12月、国指定の重要文化財に全国で唯一指定を受け、平成21年3月ミシュランガイド観光地日本編「2つ星」に選定、平成21年4月、平成百景に選定されました。

また、宮崎駿さんの千と千尋の神隠しの油屋のモデルになったと言われ知名度がアップされました。

さて

道後温泉本館は、築後123年になり、何時発生してもおかしくないと言われている南海地震に対して松山市は、耐震補強工事を実施する事に決定しました。

工事は、今秋開催される愛媛国体、「第72回国民体育大会(平成29年9月30日~10月10日)、第17回全国障害者スポーツ大会(平成29年10月28日~10月30日)」終了後から耐震補強工事を実施します。

本館耐震補強工事の代わりの道後温泉別館湯屋として「飛鳥乃湯泉」が平成29年9月26日開館します。

道後にお越しになれらましたら是非入浴をされて下さい。なお、本館耐震補強工事中でも入浴は出来ます。

参考までに

南海地震は過去6回発生しており、世界でも類のない記録が残されています。

近々では、

1、宝永4年(1707年)10月4日(宝永地震)、49日後に富士山が噴火。

2、嘉永7年(1854年)11月5日(安政南海地震)

3、昭和21年(1946年)12月21日(昭和南海地震)、道後温泉の湯が38日間止まる。

平成29年9月26日、開館する「道後温泉別館・飛鳥乃湯」の案内書。

平成29年9月26日、開館する「道後温泉別館・飛鳥乃湯」各施設の紹介。

平成29年8月11日現在の様子で、9月26日開館を目指し工事中、湯屋は完成しており周辺部の工事を施工中。

開館間近の「道後温泉別館・飛鳥乃湯」。

湯屋は、飛鳥時代の建築様式を取り入れ大棟の両端には鴟尾がつけられている。

道後温泉は西暦596年、聖徳太子の来浴や、661年斉明天皇の行幸等の伝説がある。

湯屋は、飛鳥時代の建築様式を取り入れ、最上部には、道後温泉の象徴である振鷺閣を法隆寺の夢殿を模した八角形円塔とし、その上部には道後温泉シンボルの鷺を挙げ、瓦には、道後温泉もう一つのシンボル「湯玉」を書き入れてある。

観光客で賑わう道後温泉本館前(平成29年8月11日、午後4時撮影)。

本館改築1200年記念で行われたライトアップ。

道後温泉本館の夜景、その界隈。

普段撮影する事が出来ない湯船(男性用)で男性用浴槽(湯船)は二つある。

昭和21年11月、一つの浴槽がGHQ専用として接収された時期があった。

平成27年12月1日、年末大掃除の時撮影。

普段撮影する事が出来ない湯船(女性用)平成27年12月1日、年末大掃除の時撮影。

 

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松山市の銅像巡り 19 正岡子規(野球殿堂入り)

2017年08月04日 | 伊予松山歴史散策

松山市に建立された2番目に新しい銅像です。

平成27年3月20日、道後温泉駅前にある放生園に「当時の野球ユニホーム」姿の青年正岡子規の銅像が建立されました。

建立したのは、松山中央ライオンズクラブが結成50周年記念として事業費1200万円で建立し、松山市に寄贈しました。

正岡子規の野球姿像は、高さ3mで、子規が22歳、明治23年春の写真を元に再現、右手にバット、左手にボールを握り腰かけています。

銅像の左には、「まり投げて 見たき広場や 春の草」の俳句を掲示してあり、この俳句掲示は、季節に合わせた野球に関する俳句を掲示するそうです。

 銅像が建立された、平成27年は、全国高等学校野球選抜大会21世紀枠候補に選ばれ甲子園に出場する愛媛県立松山東高校野球部は、県内最古の野球部で、松山東高の前身は松山中学、正岡子規の母校であります。

正岡子規によって、松山に明治22年野球が伝えられ、明治25年に設立された「球技同好会」が起源で、硬式野球部の設立は愛媛県内で最古であり、昭和25年に、夏の甲子園で優勝しています。

21世紀枠候補に選ばれ、その後選抜出場が正式に決定、主催者の毎日新聞によれば、「(選抜史上)過去最長のブランクを埋める82年ぶり2回目」の出場となった。・・と紹介されました。

野球ユニホーム姿の青年正岡子規の銅像建立は、奇しくも選抜甲子園に出場する愛媛県立松山東高校の記念にもなる銅像となったのです。

子規も喜んでいると思います。

対戦相手は、東京代表、二松学舎大付属高校で、大会5日目第3試合、学校法人二松學舎の前身である、漢学塾二松學舎を創設した、三島中洲は、備中松山藩の出身で、漢学塾二松學舎で学んだ夏目漱石が、松山東高校の前身・愛媛縣尋常中学校(松山中学)時代に教鞭をとったという、とてもご縁のある学校との対戦となりました。不思議な巡り合わせであります。

対戦結果は、5対4で松山東高校が勝利しました。2回戦では東海大四校に3対2で敗退しました。

正岡子規は、平成14年「野球殿堂入り」しました。

甲子園で、8月7日から第99回全国高校野球選手権大会が始まります。

松山市では、子規・漱石生誕150年記念、第20回全国俳句甲子園が開催されます。子規が愛した野球と俳句の熱い戦いの幕開けです。

平成27年3月20日、道後温泉駅前にある放生園に「当時の野球ユニホーム」姿の青年正岡子規の銅像が建立されました。

平成14年7月13日、四国で初めてのプロ野球オールスター戦が、松山市の坊っちゃんスタジアムで開催された。

第2戦、5回終了後に特別な行事が行われた。

正岡子規の野球殿堂入りの式典である。試合開始前なら理解できるが、試合途中である。子規はそれだけ大きな功績を果たした結果の証であった。

この年は、松山城築城400年・正岡子規没後100年・四国で初めてのプロ野球オールスター戦、色んな特別な行事が行われた年での殿堂入りであった。

子規は、明治29年に「日本」新聞に連載された随筆の中では野球のルール、用具、方法などについて詳しく解説している。子規の訳した野球用語で今日なお残る訳語には「打者」「走者」「死球」などがあり、日本の野球の創世記に、彼が与えた影響は大きくこの事等々が考慮しての殿堂入りといえるでしょう。

明治22年、子規は松山に帰る度に野球を子供たちに教えました。

最初に教えたのは、子規門の高弟、河東碧梧桐でした。東京予備門時代には、秋山眞之や夏目漱石達と野球を楽しんでおります。

銅像は、高さ3m、子規が22歳、明治23年春の写真を元に再現、右手にバット、左手にボールを握り腰かけています。

子規銅像の裏面。

背中には、「M,NOBORU」と書かれています。

子規銅像の前に設置されている英文と日本語説明板。

子規銅像の前に設置されている説明板。

 

正岡子規の銅像は、明治28年夏目漱石が松山中学の教師時代、道後温泉入浴のために乗車した坊ちゃん列車を望むように建立されている。

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松山市久米地区の夏越祭・日尾八幡神社 

2017年08月01日 | 伊予松山歴史散策

日尾八幡神社の注連石と朱色の鳥居に夏祭り表す提灯が飾られる。

愛媛の夏祭りは、石鎚神社のお山開きから始まり、松山市の夏祭りは、全国でも珍しい鐘馗さんをご本尊としている「鐘馗寺・松山市木屋町三丁目」の夏祭りが毎年7月11、12日に開催され、この日を境に夏の衣替えが行われ、市内各神社で夏祭り(輪越し)が開催される。

我が家の氏神様は、日尾八幡神社(松山市南久米町)です。

日尾八幡神社の夏越祭は、(松山では、輪越・名越とも呼ぶ)7月30日行われ今年も行って来ました。

氏社の夏越祭は、前もって各町内の宮総代が氏子である各家庭に、紙で作った形代(かたしろ)を家族の人数分を配り、形代に息を吹きかけ身体の悪い所を擦り名前と生年月日を書いて一晩床に敷き、夏越祭に持って行きお祓いをします。

夏越祭は、夏の恐ろしい伝染病や水の災難を防ぐことが出来ると考えられ、行われてきた年中行事の一つです。

紙にかかれた形代は、祭壇前にある三方の上にお供えし、拝礼し、左側にある輪を潜り、左周りで一周し終了です。

12月を「年越し」と呼ぶのに対し、7月を「夏越し」と呼びます。

日尾八幡神社は、神官・三輪田清敏の長男として生まれ、江戸末期から明治にかけての書家三輪米山が有名で、注連石に揮毫された書は豪快、当神社の宮司であった三輪田米山が、向かって左に「魚躍」、右側に「鳥舞」と揮毫、建立は明治13年10月15日と書かれている。

夏越し祭の準備には、各町の宮総代(氏子総代)が集まり提灯を飾ったり、神主の指示のもと特設の祭壇設営等々を行う。鳥居の真ん中に大きな馬鹿提灯が吊される。

午後4時から、神門に特設で設けられた祭壇で、三輪田宮司が祝詞を挙げ、今年の夏越祭を告げる神事で始まった。

宮司が各宮総代たちに対してお祓いを行う。

無事神事が終わり、宮司が先達となり今年の夏も氏子達が無事過ごせることが出来るよう願いを込めて輪を潜る。

今日の松山は気温35,7度の猛暑でお手伝いをする宮総代さんも汗だくでした。中学の同期生も宮総代をしており忙しそうでした。

午後4時30分から氏子達の参拝が始まった。

神事も終わり、午後4時30分から夏越祭が始まり、氏子達が参拝に訪れる。

厄落としの方法として「茅の輪くぐり」が行われます。
茅の輪が神門左側に作られ輪をくぐることで、病気や災いを免れることが出来るとされています。

祭壇に対して参拝をし、その後家族一同無事夏が過ごせるように、と祈念しながら輪を潜る。

特設されたお守り授与所。

ひな形を持参されずに来た氏子さん、特設されたひな形授与所でひな形を受けて必要事項を記載して参拝する。

 神社の前には夜店が出る。以前は参道に多くの夜店が出店したが車社会になってからは、車両通行の妨げになり神社駐車場のみに夜店が出る。

 

日尾八幡神社「夏越し祭」の封筒でこの中に案内状と、ひな型(形代)が入れられて各町の宮総代が7月初旬頃に各家庭に配布されてくる。

 夏越で日頃から知らず知らずに犯した罪穢れや、いっさいの災厄を祓い除くのが夏越祭。形代(ひな形)に氏名・生年月日を記載し息を吹きかけ、身体の悪い個所を撫でて布団に敷いて一晩就眠し、7月30日に神社へ持って行き健康と繁栄を祈願しお祓いを受ける。

 

日尾八幡神社の夏越祭の開催日時と、ひな形(形代)で、ひな形は、各家庭の人数分が配られる。

ひな形に付いての必要事項が記載されている。

夏越祭で頂いたお札。

日尾八幡神社に掲げている夏越祭の幟。

 

 

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