EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

新潟市の郷土歴史研究家「神田氏」来松「坂の上の雲」の街 松山紀行 1

2010年10月30日 | 往年の名車 メグロ
新潟市の郷土歴史研究家「神田 勝郎氏」来松 坂の上の雲の街松山紀行 1
 

新潟市の郷土歴史研究家「神田 勝郎氏」が10月28日松山市の秋山兄弟生誕地にお越しになられた。

現在、神田氏は新潟県江南区沢海、日枝神社境内にある、秋山好古揮毫「忠魂碑」記念碑建立の経緯について詳細なる調査をされると共に、秋山好古の教育者としての研究もされている。

昨日は、秋山兄弟生誕地見学のあと「坂の上の雲街・松山」を見学された。
その足跡を画像で紹介しよう。

画像は、秋山好古が校長を勤めた北豫中学校(現 愛媛県立松山北高等学校)を訪れ資料館を特別に見学した。
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新潟市の郷土歴史研究家「神田 勝郎氏」来松

2010年10月29日 | 往年の名車 メグロ
新潟市の郷土歴史研究家「神田 勝郎氏」来松
 

新潟市の郷土歴史研究家「神田 勝郎氏」が昨日松山市の秋山兄弟生誕地にお越しになられた。

現在、神田氏は新潟県江南区沢海、日枝神社境内にある、秋山好古揮毫「忠魂碑」記念碑建立の経緯について詳細なる調査をされると共に、秋山好古の教育者としての研究もされている。

昨日は、秋山兄弟生誕地で秋山邸所属の足立研究委員が好古生い立ちの説明をいたした。その後、好古が校長を勤めた北豫中学校(現 愛媛県立松山北高等学校)を訪れ資料館を特別に見学され、改めて好古の教育者として取り組んできた足跡の素晴らしさに感銘していた。

本日は(10月29日)正岡子規、秋山眞之が学んだ松山中学(現 愛媛県立松山東高等学校)を訪れ、伊予松山藩時代に創建された明教館の講堂が現存保存されている(秋山好古が学んだ藩校)を見学する。

画像は、秋山好古騎馬像前で新潟市郷土歴史研究家、神田氏と秋山兄弟生誕地の研究委員各位
コメント (3)
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石鎚山 今季初霧氷 

2010年10月28日 | 伊予松山歴史散策
石鎚山 今季初霧氷 

西日本最高峰の「石鎚山」が今季初めての霧氷となった。
今年の気候は大異変で春が短く、猛暑が長く、秋が無く、いきなり冬到来である。

愛媛県内は、冬型の気圧配置となり昨日(27日)は松山市で15,6度と11月下旬並みの寒い一日であった。
西日本最高峰の「石鎚山・1982m」は今シーズン初の霧氷に覆われ山頂は、氷点下5度まで下がったそうだ。

画像は、初霧氷に覆われた西日本最高峰の「石鎚山・1982m」であったが、撮影時には霧氷は、ほとんど無くなっていた。
昨日は雲に覆われ見えなかったが午後5時過ぎから姿を現した。

撮影は、午後5時21分 我が家から640mm望遠で撮った。

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松山市城東地区歴史散策追加 16 旧制松山高等学校講堂(章光堂) 

2010年10月26日 | 往年の名車 メグロ
松山市城東地区歴史散策追加 16 旧制松山高等学校講堂(章光堂) 

伊予松山の教育の原点は、藩政時代伊予松山藩第10代藩主松平定則が文化2年(1805年)に現松山市二番町に興徳館を設け、また文化6年(1809年)に江戸屋敷、愛宕藩邸に三省館を設けた。第11代藩主松平定通は、文政11年(1828年)2月に、これ等の施設を拡充して明教館を創建しここに本格的な藩校が誕生した。

その目的が文武の奨励による綱紀の粛正と、文運の振興にあった。明治になり松山中学となり、この様な素地の基、大正8年に旧制松山高等学校が松山市に設立された。
全国で12番目、四国では最初の旧制高等学校で、文科・理科よりなる修業年限3年の高等科が設置された。
新制愛媛大学の前身校の一つで文理学部の構成母体となった。

新制愛媛大学への包括により文理学部校地として継承され、その後教育学部附属小学校、中学校、の校地となり、現在に至っている。
現在、旧制高校時代の講堂(章光堂)は昭和38年(1963年)以降愛媛大学附属中学校の講堂として使用され、平成10年(1998年)国の登録有形文化財指定(松山市内では初)を受けている。

主な卒業生には、

中村草田男 - 俳人、
宮本顕治 - 文芸評論家から出発し日本共産党委員長・議長、参議院議員。在学時には社会科学研究会を指導。
早坂暁 - 作家・脚本家。学制改革直前に入学。自身の松山高校時代をとりあげた小説は山田洋次監督により「ダウンタウン・ヒーローズ」として映画化された。
桧垣徳太郎 - 郵政大臣、参議院議員、農林事務次官
塩崎潤 - 経済企画庁長官、総務庁長官、衆議院議員、大蔵省主税局長
菅太郎 - 衆議院議員(自由民主党)
がいる。

註:伊予松山藩第10代藩主、松平定則は、徳川御三卿、田安家(第8代将軍 徳川吉宗の次男で、田安家の祖:田安宗武、その3男が伊予松山藩に養子として第9代伊予松山藩主となる)の血統を受け継ぐ名門の出で若くして17歳で亡くなる。藩の教育に取り組んだのは優秀な側用人がいて藩主に助言していたのでは??松山から多くの文人が輩出しているのは、この時代からの素地を受け継いでいるのか??

画像は、旧制松山高等学校の講堂(章光堂)として、大正11年(1922年)2月現在地に建設された。
昭和24年(1949年)教育制度の改正により旧制諸学校が愛媛大学に包括された時に愛媛大学文理学部講堂となり、昭和38年(1963年)付属中学が持田地区に移転した際に愛媛大学付属中学校講堂となり現在に至っている。

本建物は旧制中学時代の諸施設のうち唯一の現存建物であり、昭和53年(1978年)に愛媛大学保存建物に指定され、平成10年(1998年)国の有形文化財として、愛媛県下で2番目に登録された。

文化庁:登録有形文化財(建造物) 第38-0002号
所在は、松山市持田町一丁目5番22号

参考事項:国指定登録有形文化財(建造物)愛媛県第1号は、宇和島市立歴史資料館(旧宇和島警察署)で、平成8年12月3日に指定 第38-0001号、明治17年建造
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平成22年度 JARL愛媛県支部主催マイクロ波帯講習会

2010年10月18日 | 伊予松山歴史散策
平成22年度 JARL愛媛県支部主催マイクロ波帯講習会

JARL愛媛県支部主催の「マイクロ波帯講習会」が10月17日(日)愛媛大学農学部で開催された。
講師は、横浜市のマキ電機社長 槇岡 寛幸氏で「新たなマイクロウエーブ機器の使用に付いて」講話があり、参加者から日頃の活動内容の発表があった。
                     記

1、日 時 平成22年10月17日(日) 午前10時~午後2時
2、場 所 愛媛大学農学部
3、主 催 日本アマチュア無線連盟愛媛県支部

註:JARL=日本アマチュア無線連盟
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