EEKの紀行 春夏秋冬

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松山港祭り 三津浜花火大会

2013年08月05日 | 伊予松山歴史散策
PL教団の初代教祖である御木徳一(ひとのみち教団の開祖)は松山出身、「人生は芸術である」のに立つもので、昭和23年松山支部を開設した。御木徳一は死ぬことは世界平和のためになるから、死んだら嘆いたりせずに花火を打ち上げて祝ってくれと常々話していた。徳一が死亡した後、息子であり二代教祖でもある徳近はその遺志を継ぎ、昭和28年(1953)徳一と自身の故郷でもある愛媛県松山市で教祖祭で、初めて花火を打ち上げたのが松山の花火大会の始めで、毎夏松山城三之丸跡で盛大な花火大会を開催し市民に親しまれた。
その後主催者も変更され会場も松山市森松町の重信川(県立松山中央高校の東)そして昭和25年から始まった松山港祭り(三津浜花火大会)が平成12年から「松山まつり」の関連行事として位置づけられ、平成13年から名称も改め「松山港まつり、三津浜花火大会」としてスタートした。今回も、昨年に引き続き、東日本大震災で被災されました方々を招待し、松山市民と共に楽しんでいただこうと開催される。
主催は、松山港祭り振興会、共催、松山市である。8月に開催される、松山まつり、道後温泉夏まつり、松山城「光の城」、そして第9回全国女子硬式野球選手権大開、全国高校俳句甲子園大会・・等の開幕を告げる象徴として花火を打ち上げる。規模は四国最大で打ち上げられる花火は1万発、目玉は日本煙芸術協会会員による10号玉作品。超特大15号玉(45センチ)のダイナミックな花火が真夏の夜空に打ち上がった。なお、松山港祭り(三津浜花火大会)が今年第63回、松山まつりは第48回と歴史を刻んだ。

画像は、午後8時から始まった松山港祭り(三津浜花火大会)を松山空港南側から撮った。午後7時過ぎ少雨があり一時期カメラを収納したが、花火が打ち上げられる時間には止んだ。最後の15号大玉花火は迫力満点であった。

現地に午後5時40分頃行ってみるとなんと既に場所を確保しているアマカメラマンがずらり!!


大型レンズを既に装着何時でもOKの状態。


皆カメラのセット「シャッタースピード・露出、アングル」を慎重に。


午後8時花火打ち上げ開始。






午後8時27分飛行機が駐機場に入ってきた。



午後8時37分にも飛行機が駐機場に入ってきた。













ホワイトバランスを変えて。




午後9時大きな花火が上がった・・そろそろ終焉かも??












午後9時13分大きな花火が沢山上がった・・これが15号大玉か??


午後9時14分、四国最大と言われる1万発の花火大会も、この大玉が最後に平成25年松山港まつりの花火大会は終わった。1万発はアット言う間であった。
花火会場からは距離が離れているため、仕掛け花火を撮ることが出来なかったのが残念!!来年は場所を変えてみるか??
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