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のボール野球・県立松山北高等学校で実技指導

2013年11月14日 | 伊予松山歴史散策
今日(11月14日)愛媛県立松山北高等学校の2学年の一クラスを対象に課外授業の一環として「枡(野ボール)・野球・正岡子規がはじめた」の実技指導が行われた。
指導者は、常盤同郷会理事(秋山兄弟生誕地)の宇都宮武美氏で、当時のユニホーム姿で行った。
正岡子規は、短詩系文学(近代俳句)を全国に振興し今や世界に浸透する文学でありますが、子規にはもう一つの顔があり、それは野球である。
野球を愛し数々の野球用語の日本語訳を施し、新聞「日本」で発表し、故郷伊予松山に帰るたびに、子供を集めて野球を教えた。そのため松山は野球の盛んな土地柄である。そして子規の没後100年の平成14年に、正岡子規は野球殿堂入りを果たし、文学者であり、野球人である。
秋山眞之も夏目漱石も子規と一緒に野球を楽しんだ。


愛媛県立松山北高等学校正門、前身は北豫中学校で、秋山好古が北豫中学の第四代目校長を務めた。


本日の、「枡(野ボール)・野球・正岡子規がはじめた」の実技指導と審判を務める公益財団法人 常盤同郷会理事(秋山兄弟生誕地)宇都宮武美氏、右の銅像は、秋山好古、北豫中学校校長(大正13年4月から昭和5年3月)第4代校長として、優秀な学生を育てた。


試合前の注意事項を説明する、公益財団法人 常盤同郷会理事(秋山兄弟生誕地)宇都宮武美氏。今年で第4回目となる「のボール野球」の指導。


明治の俳人・歌人 正岡子規。彼は幼名「升(のぼる)」から、雅号を野(の)球(ボール)にしたこともあるほど、野球を愛していました。
画像は、「の・ボール野球」に使用する用具。


「の・ボール野球」試合開始前の挨拶の交換。


「の・ボール野球」は、投手は下手投げ、打者は、球審に対して投げて欲しい球の高さを要求し球審はこれを投手に指令する。


球審は、打者の前に立ちストライク・ボールの判定をする。




子規は数々の野球用語の日本語訳を施し、新聞「日本」で発表した。そのほとんどが現在でも使われている。それは、「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」「フライボール」「ショートストップ」などの外来語を「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」「短遮・中馬庚が遊撃手と表現する前の呼び名」と日本語に訳したのは子規である。また東京に、正岡子規記念球場が、東京都台東区上野恩賜公園内にある球場で、正式名は上野恩賜公園正岡子規記念球場である。


画像のように、球審は打者の前に立ち判定をする。


「枡(野ボール)・野球」の実技指導を終え、整列をして宇都宮武美指導者にお礼の言葉を述べる北高校生。


画像は、県立松山北高等学校創立80周年記念館(資料館)で、入口に「北豫中学校第四代校長・秋山好古校長」と書かれた表示板の上に好古校長の胸像がある。


創立80周年記念館(資料館)内部。


県立松山北高等学校運動場北側から、後ろには伊予15万石の松山城天守が見え、画像右側の平屋校舎は、秋山好古校長時代に建築され現存し、現在は第2体育館として有効活用されている。
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