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秋山好古揮毫石碑・取材ご協力頂いた方々 その2 新潟市の石碑

2020年12月04日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

連絡を頂いた「習志野市大久保にある真言宗豊山派薬師寺、三橋秀紀住職」

平成21年11月6日、千葉県習志野市大久保にある真言宗豊山派薬師寺、三橋秀紀住職さんから秋山好古揮毫の石碑が発見されたと連絡があった。

千葉県ですかと問いかけると、なんと新潟市であった。

詳細は、新潟市の北方文化博物館の佐藤さんに照会されたしであった。

この時点で好古揮毫の石碑は、全国に48基発見されており全て取材を終え、秋山好古生誕150年祭記念として「秋山好古揮毫の石碑写真集」を発行していた。

まさか日本海側に好古揮毫の石碑が建立されているとは私は考えもつかなかったし秋山兄弟生誕地の役員各位も知る由もなかった。

そして新潟市の好古揮毫石碑「忠魂碑」の取材の旅が始まった。新潟市には四度行くことになったのである。

先ず、新潟市江南区沢海にある北方文化博物館統括室長(現、副館長)の佐藤学芸員さんに照会した。

回答は、秋山好古が揮毫した石碑に間違いないですとの返事であった。

それでも確信が持てず画像添付メールの配信をお願いした。

職務多忙の中でありながら直ぐ写真を撮りに行っていただき送って頂いた。

まさしく秋山好古揮毫の石碑で「忠魂碑」と揮毫され、揮毫者は、陸軍中将秋山好古と書かれていた。

この時点では、秋山好古が揮毫した2番目に古い石碑の発見で日本海側唯一の石碑であった。

NHK松山放送局も新潟市に取材に行き放映した。

画像を送って頂いた博物館の佐藤学芸員さん現在の役職は、北方文化博物館副館長としてご活躍で現在もご厚情を頂いております。

画像左の方が佐藤副館長さんです。
令和2年12月12日(土)午後7時から午後9時までBS-TBS番組「高島礼子が家宝捜索」が放映されます。今回は北方文化博物館です。

収録が11月17日に行われその記念写真を送って頂きました。

参考までに

北方文化博物館は、GHQ最高司令長官マッカーサー元帥が開設を許可した戦後初の私立博物館です。

佐藤副館長さんから送って頂きました画像です。

平成22年3月17日、春を待って現地新潟市に取材に行きました。

画像左の方が、その後お世話になる北方文化博物館・神田勝郎館長さんです。

秋山好古は、揮毫嫌いであった事は有名であった。揮毫嫌いであった秋山好古に誰が依頼したのか、忠魂碑建立の経緯、秋山好古と新潟の人々の書籍発行、秋山好古と新潟の人々についての各所での講演会、魚沼市の石碑の確認、新潟市民文化遺産認定等々尽力を頂いた。

そのことについては、新潟日報新聞に大きく取り上げられました。

平成22年9月5日開催された歴史講演会次第。

平成22年9月5日開催された歴史講演会の記事。

新潟日報新聞、平成22年9月10日付。

新潟の忠魂碑は新潟県中蒲原郡横越村(現、新潟市江南区沢海)から日露戦役に従軍し御国のために戦死された方々の石碑で毎年慰霊祭を実施されている。(大東亜戦争で戦死された方々も合同で)

平成22年9月6日慰霊祭が行われるに際し前日9月5日、北方文化博物館において歴史講座が開催された。

演題は「秋山好古と横越の人々」講師は、北方文化博物館評議員・神田勝郎氏(現、北方文化博物館館長)であった。

私はこの歴史講座に参加するため二度目の新潟行きを決めた。

この時は、自家用車で行きました。途方もなく遠かった。

そして翌日慰霊祭に参列させて頂きました。

歴史講座は、私が慰霊祭に参列出来るようの前日に公演を開催して頂いとことが後で判明した。

なお、帰路は日本100名城巡りをしながら帰りました。巡った城は、松代城・小諸城・高遠城・岩村城・岐阜城・岡崎城・長篠城・小谷城・安土城・観音寺城・竹田城・篠山城の12城を3泊4日をかけて巡った。

例年、慰霊祭は忠魂碑の前に祭壇をつくり行われるが、この年は猛暑で、祭壇は日枝神社拝殿につくられ行われた後忠魂碑に地区の遺族会関係者がお参りした。

私も慰霊祭に参列させて頂いた。

平成22年5月19日(水)新潟日報が報じた秋山好古揮毫の石碑に関する記事である。

秋山好古揮毫石碑、日本海唯一の石碑発見!!新潟日報新聞大きく報道

揮毫嫌いであった秋山好古に忠魂碑の揮毫を依頼したのは、伊澤多喜男新潟県知事であった。

伊澤新潟県知事の前任地は、愛媛県知事で当時愛媛県は住友別子銅山の精錬所から排出される亜硫酸ガスによる農作物被害が大問題となりこれを解決した有能な人物で好古とは旧知の仲であった。(秋山好古も愛媛県出身)

新潟県中蒲原郡横越村神田村長が伊澤新潟県知事に秋山好古に揮毫を頼んだのである。

伊澤新潟県知事はその後東京市長、警視総監に栄進され活躍された。

揮毫嫌いであった秋山好古が忠魂碑の揮毫をした経緯は、全て神田勝郎館長さんが調査し連絡頂いた。秋山好古は、新潟県高田にあった陸軍第13師団長として赴任していた。

注:伊澤多喜男は、信濃國高遠藩士の出生である。

資料:「秋山好古と新潟の人びと」より

北方文化博物館と秋山好古揮毫の石碑の位置関係。

博物館と石碑のある日枝神社は隣接しています。

北方文化博物館は、旧越後随一の豪農「伊藤家」である。

平成23年6月8日、神田勝郎館長が発行された「書籍・秋山好古と新潟の人びと」

新潟市は、平成26年新潟市民文化遺産制度を制定し「秋山好古揮毫石碑・忠魂碑」が認定された。

この認定についても神田勝郎館長の尽力多大なものであった。

参考までに

新潟市民文化遺産制度は、文化財保護制度とは異なり,市民の思い出や生活の 一風景などに関する地域の文化芸術活動を新潟市民文化遺産(以下「文化遺産」という。) として認定し,地域の文化的な遺産の認知度向上と後世へ継承する活動を支援すること により,地域の活性化を図ること・・と位置づけされている。

新潟市民文化遺産159件が平成26年3月13日認定され代表して写真入で「秋山好古揮毫石碑・忠魂碑」が新潟日報新聞に報道された。

佐藤副館長さんが送って頂いた積雪の忠魂碑。

 

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