EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

四天王寺とハルカスに行って来ました

2019年08月20日 | 伊予松山歴史散策

令和元年6月4日~6日にかけて、四天王寺・法隆寺・東寺・の拝観を予定しておりましたが、法隆寺に時間を掛け過ぎて東寺に行く時間が無くなり次回に行く事にしました。

さて

四天王寺拝観は6月4日に伺った。その目的は、日本最古の官寺であることと(創建者が聖徳太子)そして日本3大俳人の一人である「松尾芭蕉」の墓参りであった。芭蕉の墓所は数ヶ所あるが、その一つが四天王寺にある。
四天王寺が創建されたのは、今から1400余年前の推古元年(593年)聖徳太子が鎮護国家と衆生救済のため仏教の守護である四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)を安置し建立された日本仏法最初の官寺である。

寺の敷地は、33,000坪(約11万㎡・甲子園球場の3倍の広さ)寺は創建以来度重なる戦火天災に遭遇し、その都度再建を重ねて来たが、常に寺域と伽藍配置は飛鳥時代当初の姿を伝え、境内全域が国指定の史跡になっている。慶長19年(1614)11月~12月の大坂冬の陣と、慶長20年(1615)夏の陣の戦いで焼失したが文化9年(1812)に再建された伽藍は、昭和20年3月14日、大阪大空襲で伽藍の大半が焼失した。
昭和38年10月飛鳥時代創建当初の様式で再現復興し現在に至っている。

注:四天王寺発行の「四天王寺のお話」から引用

四天王寺の正面玄関は南大門であるが、多くの参拝者はこの西大門(石鳥居門)から入るので私も此処から入った。

石鳥居は、創建当時は木造の鳥居であったが、永仁2年(1294)忍性上人が勅を奉じて石造に造り替えたのが現在の鳥居で高さ8,5m、鳥居には、高さ1、5m、横幅1、1mの扁額が掲げられている。

扁額には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書かれているそうです。

そして
四天王寺は寺院なのに何故の鳥居があるのでしょうか?
四天王寺の鳥居は、「日本三大鳥居」の1つとされ、残りの2つは、吉野の「銅の鳥居(かねのとりい)」と、宮島・厳島神社の「朱丹の大鳥居」で、四天王寺の鳥居は石造鳥居としては日本最古だそうです。

大きさ:縦(高さ)1.5m、横1.1m

素 材:青銅(銅製)

鋳造年:嘉暦元年(1326)

建立以降

扁額の文字は:釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心

石鳥居に掲げられている扁額は、扁額裏の銘によると、嘉暦元年(1326)の鋳造とされている。
中央の揮毫は、「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書かれていて、内容は「釈迦如来が仏法を説く所であり、ここが極楽の入口である」という意味だそうです。
阿弥陀如来が納める極楽浄土は「西方浄土(さいほうじょうど)」とも呼ばれ、西にあるとされますので、四天王寺の西の入口を、極楽浄土の入口と見立てたというわけだそうです。

なお、鳥居は建立後7回修理をしているそうです。

 

鳥居には画像の掲示板が掲示してあった。

令和4年厳修 聖徳太子 千四百年御聖忌 総本山 四天王寺と揮毫されていた。

西門の石鳥居を潜ると引導石が置かれている。

引導石の説明版。

西門をくぐるとすぐ右側に石棚で囲まれた「引導石」と呼ばれる石台がある。
四天王寺発行の「四天王寺のお話」によれば葬送の時、しばらく棺を鳥居の前に置き、聖徳太子の引導鐘を三打うてば、聖徳太子自らこの引導石の上に影向(ようごう)され安養の浄土にお導き下さると伝えられています。・・とある。

手を清めて参拝をする。

四天王寺は、日本仏教の最古の官寺であるから多くの偉人僧侶がきております。

西門には、親鸞上人の立像が建立してあった。
日蓮上人
道元禅師
法然上人
伝教大師(最澄)
聖徳太子
弘法大師(空海・香川県善通寺市生まれ)
栄西禅師
親鸞上人
一遍上人(愛媛県松山市生まれ)
以上の僧侶が来ている。

西門を潜ると広々とした境内で色んな催し物が行われていた。

拝観料を支払い、中心伽藍を拝観した。

逆光で見た五重塔と金堂。

順光で見た五重塔と金堂と講堂。
聖徳太子が創建したが度重なる戦災・火災で焼失した伽藍、そのつど再建されてきたが、現在の塔は、昭和38年創建した8度目の再建で、造りは鉄筋コンクリート造り(屋根は本瓦葺)である。

金堂で、昭和36年3月再建。

金堂内には、四天王寺御本尊の巨大な仏像 救世観世音菩薩像(ぐぜかんぜおんぼさつ)が椅子に座られ、右足を左膝の上に上げている姿がある。
周囲の四方に四天王像南「増長天」、西「廣目天」、東「持國天」、北「多聞天」建物内部は周囲の三方の壁にお釈迦様の一生を描いてある。
北側に位置する講堂には2体の巨大な仏像が並んでおり、西側には阿弥陀如来坐像の金色の巨大な大仏東側には十一面観世音菩薩立像 中央にある案内書きには、「四天王寺は、聖徳太子が創建した日本最初の大寺です。
聖徳太子は日本仏教の父祖として各宗派及びその開祖にとって深い信仰の対象でし た。
八宗の祖すべてが聖徳太子に深い尊敬と思慕を寄せていたのです。
四天王寺から頂いた資料に記載されている。
八宗(はっしゅう)とは、ウエーブで調べてみると以下の様に記述してあった。

※八つの宗旨を表すのではなく、全ての大乗仏教の宗旨・宗派のこと。大乗八宗の祖龍樹菩薩と呼ぶ場合はこちらの意味。
※中国八宗と呼ぶ場合の八宗は、法相宗・禅宗・密宗・法華宗・天台宗・三論宗・律宗・華厳宗のことを言う。

※平安時代までに日本に伝わった仏教の八つの宗旨のこと。
俱舎・成実・律・法相・三論・華厳の「南都六宗」に天台・真言を加えたもの。疑然著の『八宗綱要』における八宗はこちらの意味。

※日本の代表的な仏教の八つの宗旨のこと。日本八宗ともいう。
天台宗真言宗浄土宗浄土真宗本願寺派真宗大谷派臨済宗曹洞宗日蓮宗をさす。一般にはこちらの意味で使用される。
上記の様に記述してあった。

昭和38年創建した8度目の再建で、造りは鉄筋コンクリート造。
五重塔は中に入場できるそうで、最上階から回り全部の景色を見渡せ、内部はらせん階段になっていてその階段周囲には無数の金色の小さな位牌があいうえお順にずらっと階段の周を取巻いている。・・と寺の説明資料にある。

※今回は下調べが不十分で五重塔に入場出来る事を知らずに行きましたので上がっていません。・・残念!!

元三大師堂で、伺った時は女性が、お百度参りをしていた。

乾門手前左手に「松尾芭蕉」の墓がある。

芭蕉の墓所は、畿内に数ヶ所あるが、その一つが四天王寺にある。

今回の四天王寺拝観の目的の一つが松尾芭蕉の墓参りです。
俳句の世界に多大な影響を与えた三大俳人の一人松尾芭蕉の墓が四天王寺霊園にある。
俳句は、世界で一番短い短詩系文学で、中でも松尾芭蕉・正岡子規は、ズバ抜けた才能があり後に俳聖として崇められ「日本三大俳人」と言われている。
その三大俳人の一人松尾芭蕉の句碑が、松山市内に7基もある。何故7基もあるのかその訳を調べている。

伊予松山15万石、第4代藩主の松平定直が松尾芭蕉の門下、宝井其角の門に入り、三嘯(さんしょう)と号し、元禄5年(1692)には芭蕉、基角ら6人で連句の座を自邸で催している。
三大俳人の一人、小林一茶も松山へ寛政7年(1795)と寛政8~9年にかけて二度も松山を訪れ、全国的に有名だった俳人で松山の造酒屋、栗田樗堂を訪ねている。小林一茶の句碑も松山には、4基ある。

 松山が俳句王国と呼ばれるのは句碑が300以上もあるという全国的にも珍しい地域であり、しかも正岡子規ゆかりの史蹟が多く、子規記念博物館があり、俳句ポストが92ヵ所置かれ俳句に興味のある人にとってはメッカとなっている。
なお、県外に14ヶ所(その内法隆寺周辺に3ヶ所設置)外国に5ヵ所設置されている。

※伊予松山15万石、第4代藩主の松平定直時代に起きた大きな事件が赤穂浪士の吉良邸討ち入りで、伊予松山藩は、大石主税・堀部安兵衛・大高源吾ほか7名を預かった。
松尾芭蕉の門下、宝井其角の逸話の一つとして、赤穂浪士前夜、四十七士の一人・大高源吾と会い、煤竹売りに身をやつした姿を憐れんで「年の瀬や 水の流れと 人の身は」と詠んだ。これに対して源吾は、「あした待たるる その宝船」と返して、討ち入り決行をほのめかしたとされる(忠臣蔵の外伝『松浦の太鼓』)。ドラマ忠臣蔵には必ず出て来るシーンである。

この様な出来事があり松山に松尾芭蕉の句碑が7基もあるのかも?・・です。

松尾芭蕉の墓の説明版。

松尾芭蕉は、正保元年(1644)~元禄7年(1694)11月28日逝去、享年50歳。
本名:忠右衛門宗房
出身地:三重県伊賀市
芭蕉が活躍したのは、江戸時代前期で芭蕉の有名な代表句は

古池や蛙飛びこむ水の音 

閑さや岩にしみ入る蝉の声 

五月雨をあつめて早し最上川 

※芭蕉の母親は、伊予宇和島藩の生まれである。

四天王寺を参拝した後「あべのハルカス、60階300m展望台」に行った。そこから見た四天王寺。

あべのハルカスは日本のいにしえのことば「晴るかす」から名づけられたそうです。
おぼつかなく思ひつめたること、すこしはるささむ

平安時代初期の歌物語「伊勢物語」の一節で、晴るかすは「晴らす、晴れ晴れとさせる」という日本のいにしえの意味で使われていて、これになぞって「ハルカス」と命名したそうです。

あべのハルカス資料より引用。

あべのハルカス、60階300m展望台から見た長居競技場。

「ハルカス300」は、日本一の高さ300mのビル「あべのハルカス」の展望台60階からみた大阪湾、気候条件が良ければ、六甲山系、明石海峡大橋から淡路島、関西国際空港なども一望出来るそうです。

「ハルカス300」から見た奈良方面で、下部がJR天王寺駅。

 

コメント (1)
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