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秋山好古揮毫石碑を訪ねて 6-1、千葉県鎌ヶ谷市石碑、上野・浅草界隈散策

2018年11月30日 | 伊予松山歴史散策

画像は、JR上野駅

上野駅は、東京駅や新宿駅と違った駅で、故郷を感じさせる哀愁を漂わせる雰囲気のある駅である。
千葉県鎌ヶ谷市の道野辺八幡神社を訪問し上野に戻って来た。
上野駅は超久しぶりである。
所用で秋田市に行く時、東北新幹線乗車の為上野駅に来たとき以来で、当時の東北新幹線は上野発であった。
長いエスカレーターで地下深く降りた覚えがある。
30年も前の事であるが。
鎌ヶ谷市から上野駅周辺を散策、構内で寝起きをしている吾人が数人おり、どんな事情があるのか都心の大きな構内不思議な光景であった。
その後浅草界隈散策に行った。

平成23年6月10日、新潟県魚沼市の石碑取材後、上越新幹線の浦佐駅まで車で送って頂き、浦佐駅発:東京行13時49分発のMXAとき326号に乗車、上野駅で下車宿泊、翌日千葉県鎌ヶ谷市道野辺神社に眠っている秋山好古揮毫の石碑の再建立依頼に伺った。
その時宿泊したホテルである。
ホテルの隣が東京地下鉄本社ビルであった。

ホテルから見たJR上野駅。

ホテルは、JR上野駅前で立地条件は最高に利便性の高いホテルであった。
しかし眠りについてからが大変であった。
ホテルの前に首都高速道路があり、深夜になるとパトカー🚔のサイレンの音、救急車のサイレンの音で安眠出来なく困った。

上野駅といえば・・これが頭に浮かぶ 

上野駅広小路口前のガード下に「あゝ上野駅」の歌碑が建立されていた。
当時無名の若手歌手だった井沢八郎が歌った。
本人も歌手を志して青森県から単身上京した井沢自身の人生も重なり空前の大ヒットとなった。
昭和55年カラオケ専用装置が置かれ歌集のトップに掲載されたのが「ああ上野駅」であった。
最近は「ああ・・」の付く曲が多くなり、ああ上野駅は後の方に掲載される様になった。

昭和35年代に集団就職列車に乗って上京した若者の応援歌「ああ上野駅」の歌碑が平成15年7月6日建てられた。
場所はもちろんJR上野駅前、多くの県人が歌碑の前で目頭を熱くするという。
私が写真を撮っている時も年配の人が感慨深そう、懐かしそうに銅像を眺めていた。
昭和29年4月5日、中学を卒業したばかりの少年少女622人を乗せた、8両編成の就職専用列車が青森駅から上野駅に向けて出発した。
集団就職列車の第一号であった。
戦後の日本の繁栄を支えた方々、ご苦労様でした。

歌碑の一番下に設置されている「ああ上野駅」の歌碑の由来。

若手歌手だった井沢八郎が歌い有名になった曲「あゝ上野駅」の歌詞。

上野駅広小路口前のガード下に「あゝ上野駅」の歌碑が建立されている。

1、どこかに故郷の 香りを乗せて 入る列車の なつかしさ
上野は おいらの 心の駅だ くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった

2、就職列車に 揺られて着いた 遠いあの夜を 思い出す
上野は おいらの 心の駅だ 配達帰りの 自転車を
止めて聞いてる 国なまり

3、ホームの時計を 見つめていたら 母の笑顔に なってきた
上野は おいらの 心の駅だ お店の仕事は 辛いけど
胸にゃでっかい 夢がある

上野から浅草に行き東京スカイツリーをカメラに収めた。
当時は未だ建設中で最後の作業真っ最中であった。
その後神奈川県平塚市の秋山好古揮毫の石碑調査に行った時が、東京スカイツリー開業した初日であった。

平成24年5月23日、開業2日目の東京スカイツリーで、神奈川県平塚市の秋山好古揮毫の石碑調査に行った時に撮った。

平成24年5月23日、開業2日目の東京スカイツリーで、神奈川県平塚市の秋山好古揮毫の石碑調査に行った時に、吾妻橋・浅草水上バス乗り場から撮った。
開業初日(5月22日)は降雨が酷く写真を撮れる状態ではなかった。

 

浅草の雷門、大勢の観光客が記念の写真を撮っていた。

浅草のシンボルマーク「大提灯・雷門」江戸文字匠の大家、橘 右之吉さんが揮毫された。

大提灯・雷門は、直径3.6m、高さ4.5m、重さ750kg、松下電器(現パナソニック)の創業者松下幸之助氏が昭和35年に大提灯を寄進したそうです。

浅草宝蔵門にも橘さん揮毫の提灯がある。
提灯は高さ約3.7メートル、幅約2.7メートル、重さ約400キロ。
製作費は約400万円といわれ、中央区の日本橋小舟町の有志が町内の個人や商店、企業約190件の寄付を集め実現した。

約340年前、同町の魚河岸商人の信徒らが提灯を奉納したのが切っ掛けで同町が受け継がれている。
現存の提灯は、江戸開府400年を期に新調奉納されたそうだ。
現在の宝蔵門は、昭和39年ホテルニューオータニの創業者、大谷米太郎氏の寄進により再建されたとある。
宝蔵門の建築様式は、鉄筋コンクリート造りで、屋根瓦はチタン製で造られている。

浅草宝蔵門にある「小舟町」の提灯の下部に彫刻されている彫り物。
彫り物は「龍」で一枚の板で彫られている。

浅草寺本堂正面に掲示されている大提灯、「志ん橋」も江戸文字の大家「橘 右之吉さん」が揮毫、この大提灯は東京新橋組合の有志が奉納したもので、提灯にはその東京新橋組合にちなんで、「志ん橋」と大きく書かれている。
平成22年12月本堂の大提灯が10年ぶりに新調されたそうだ。
提灯は、京都の「高橋提灯」が製作し、鳥取県の手すき和紙、京都・丹波産の竹が使われていて、直径3.5メートル、高さ4.5メートル、重さ約600キロあるそうです。

浅草寺本堂の屋根瓦もチタン製で葺かれている!!

浅草の大提灯「雷門・小舟町・志ん橋」を揮毫された江戸文字書家、橘 右之吉さん。(松山三越で撮影)

橘 右之吉(たちばな うのきち)さん来松・橘流寄席文字・江戸文字書家、三越松山店で撮影させて頂きました。

橘さんは、株式会社UNOS 代表、江戸趣味雑俳「つ花連」同人/投扇興「綾香連」にも属され、昭和25年東京台東区生まれ、橘流寄席文字家元・橘右近に師事し、昭和44年年に正式な一門継承者として認められ「橘右之吉」の筆名を認可される。
神社や寺などで見かけるミニ千社札は右之吉が考案したもので、柘植の板に漆で文字を書いた「消し札」と呼ばれる携帯ストラップが人気を得ている。・・と紹介している。・・私も愛用している。

現在は寄席等の伝統的な仕事に加え、浅草賀神社、柴又帝釈天、湯島天満神社等社寺、浅草観光連盟、京都市観光協会、東都のれん会等の開催ポスターのタイトル筆耕と企画デザインから、本やCDジャケットのタイトル、イベントタイトル、企業名や商品名等その作品は、お台場の人気温泉「大江戸温泉物語」、デニーズの和風店舗「七福・弁天庵」などロゴダイプとして、また女優山口智子氏のプロデュースのもと、江戸風俗や文化を語る「暦作成委員会by KAKITSUBATA」に参画し、江戸東京博物館をはじめ、トークイベントも各所で開かれている。


有名なのは、浅草寺本堂、浅草雷門・宝蔵門の大提灯の文字は橘さんの揮毫である。
私は、以前橘 右之吉さんの工房を訪れお茶をご馳走して頂いた。
毎年松山市の三越デパートで実技公開されている。
平成21年9月22日、には秋山兄弟生誕にお越し頂いき写真を撮らせて頂いた。
江戸文字書家の大家でありながら気さくで、礼儀正しいお人柄で近寄りやすい芸術家である。橘 右之吉さんに造ってもらった柘植の板に漆でコールサインを書いて頂き愛用している。
橘さん曰く、ローマ字の江戸文字を書くことがあまり無いので良く覚えています・・との由。
この年も松山市でお逢い出来てよかった。

松山市の三越デパートで江戸文字匠の技を披露する「橘 右之吉」さん。

画像は、松山三越で江戸文字匠の技を披露している多忙な時間をさいて秋山兄弟生誕地にお越し頂き撮らせて頂いた。
秋山眞之胸像の前で江戸文字書家・橘 右之吉さんです。

お忙しい時間をとって頂き秋山兄弟生誕地、秋山好古騎馬像の前で江戸文字書家・橘 右之吉さんです。

匠の街道を往く「江戸文字書家・橘 右之吉さんです」

工房「UNOS」代表橘 右之吉さん

江戸文字書家・橘 右之吉さんが私に記念にと揮毫して頂いた「濤」

 

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