EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

EEK紀行・画像で回顧 現存12天守 5 国宝彦根城天守

2017年10月27日 | 伊予松山歴史散策

平成19年5月15日と平成22年3月20日に伺いました。

今年のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台となった彦根城、多くの観光客で賑わった事でしょう。

関ヶ原の戦いで、井伊の赤備えで戦い、武勲をあげ18万石を拝領、その後35万石になり、筆頭譜代大名として国替えがなかった井伊家、優遇されたのには色んな諸説があります。

幕末、大老井伊直弼が有名で、最近では、国宝、彦根城築城400年祭で登場したマスコット「ひこにゃん」各地で活躍する「ご当地ゆるキャラ」の元祖で有名ですが、一時期著作権でもめていました。

さて、彦根城に帰ります

明治6年、明治新政府は廃城令を公布、一番最初に取壊命令が出されたのが彦根城と言われています。

解体の危機にみまわれた彦根城は、明治天皇が明治11年10月、北陸巡幸を終え、彦根を通られたときに、保存するようにと大命を下されました。

一説には、随行した大隈重信がその消失を惜しみ、天皇に保存を直訴して残ったとする説。 また一説には、天皇が近江町長沢の福田寺で小休止されたとき、住持攝専夫人で、天皇の従妹に当たるかね子が直訴したとも言われています。

彦根山(別名・金(こん)亀(き)城(じょう)、標高136m)に天下普請で築城された天守です。

私の故郷、伊予松山城の山も勝山(別名・金(きん)亀(き)城(じょう)、標高132m)と言い、遠くから見るとよく似ています。(天守の造りは全く異なりますが)

 

北国、東国と大坂を結ぶ重要な地点、大坂に馳せ参じる外様大名を彦根城で食い止め、大坂への補給路も断ち切る目的があった。徳川家康の命令で12家の大名たちの負担により完成した城です。

彦根城天守入口、多門櫓から入ります。

徳川幕府下の譜代大名の中では最高となる35万石を得るに至った彦根藩の象徴の城。

そして一度も国替えがなかった大名です。

天守妻側の切妻破風と唐破風、華灯窓があり、絢爛豪華な天守で、廃城を免れ国宝として現存天守の中では破風、華灯窓が沢山あり手の込んだ造りの天守、大隈重信も、この天守を破却するのは忍び難いと思ったのではないでしょうか。

私が伺った時には画像の様な掲示板で告知してありました。

太鼓門続櫓。

野面積みで積まれた横矢掛の石垣。

本丸に入る最後の門「太鼓門」

廊下橋(片方が落ちることで、敵が渡れないようにする。)

天秤櫓。

玄宮園から天守を望むのが一番綺麗と言われている彦根天守。

現存12天守の平山城の中で一番高い所にある天守、標高136mにあり、次が伊予松山城天守で132mの山頂にあります。

彦根城には、登り石垣があるそうですが、私は見聞せずに帰りました。

何方か、城の何処にあるのかお教え下さいませんか。

登り石垣は、彦根城・洲本城・伊予松山城の三カ所しかない貴重な石垣です。洲本城の登り石垣は現存しないそうです。伊予松山城の登り石垣は最大で、南側の登り石垣は完全に当時のまま現存しています。

天守内の階段で、現存天守の階段はどれも急な階段です。

井伊直弼生誕地の碑、滋賀県彦根市・楽々園にありました。

開国の英傑井伊直弼、文化12年(1815)10月29日に父直中の14男としてこの屋敷で生まれました。

彦根城の京橋口の角を曲がると、江戸時代の城下町風の街並みが目に飛び込んで来ます。白壁と黒格子で統一された350mの街並みは、夢京橋キャッスルロードと言い、正式名称は夢京橋商店街と呼ぶそうです。

夢京橋キャッスルロードの辻には、石碑が建立してあります。

夢京橋キャッスルロード中程にあるお店「たかさご」。

 

たかさごの店主、北村久雄さんです。お元気ですか、その節は色々とお世話になりました。

夢京橋キャッスルロードの整備に当たり、リーダーシップをとったのは小児科の診療所を開業していたお医者さんで、この人なくしては夢京橋も実現しませんでした。こうして「夢京橋キャッスルロード」は整備された。と・・話して頂きました。

たかさご(北村久雄さん)の玄関には鍾馗さんが揚がっていました。親子の鍾馗さん初めて見ました。

北村さんに大津市にも鍾馗さんが数体ある事を教えて頂き、平成22年9月9日、新潟市の帰りに写真を撮りに行きました。この時は松山から車で新潟市に行き帰りは、日本100名城(一条谷城・小諸城・松代城・高遠城・岩村城・長篠城・岡崎城・岐阜城・小谷城・安土城・観音寺城・篠山城・竹田城)を見学して帰りました。なお、一条谷城は新潟に行く途中に行きました。新潟には、平成22年9月8日、新潟市江南区沢海にある、北方文化博物館で秋山好古と新潟の人々と題しての講演会(講師は、現、北方文化博物館・神田館長)がありその出席のために行きました。

なおこの時伺った城は、後日回顧日本100名城巡りとしてブログに掲載したいと思っています。

 私のブログタイトルは、昨年まで「鍾馗さんと名城巡り&秋山好古揮毫石碑紀行」と言う長い表示でしたが、今年1月1日から、「EEKの紀行春夏秋冬」に変更しました。鍾馗さんも、名城巡りも、そして好古揮毫石碑も殆ど調査が終わりましたのでタイトル変更しました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする