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秋山好古揮毫石碑紀行予定 52 長野県安曇野市の碑

2016年03月07日 | 伊予松山歴史散策


秋山好古が揮毫した内田與作騎兵隊員の墓石。
51回に渡り、秋山好古が揮毫し建立された石碑を掲載して来ました。
現在全国に発見されている、秋山好古が揮毫し石碑として建立されているのが52基で、その52番目に発見された石碑(墓石)が長野県安曇野市の石碑(墓石)です。
これからその石碑(墓石)紹介しますが、写真は神奈川県平塚市広川在住の添田吉則さんが撮影された写真です。
私の取材は、季節の良いときに行こうと考え、5月下旬、長野県安曇野市に行く予定をしており、この石碑が最後の碑となると思いますし、墓石は初めてです。
詳細は、私が取材後に紹介いたします。
帰りに、日本100名城第18番、鉢形城と第22番八王子城を見学して来ます。



墓石左側に、陸軍騎兵大佐従五位勲四等功三級
      秋山好古 謹書題標字
      陸軍騎兵大尉正七位勲六等功五級
      稲垣三郎 謹撰並書
      明治三十五年壬寅一月十一日
と書かれている。・・好古44歳の時である。



内田與作騎兵隊員の墓石には三面に渡り当時の事柄が書かれているそうです。


詳細は、私が取材に行き改めて紹介いたします。

長野県安曇野市の石碑を発見されたのは、神奈川県平塚市在住の添田敬子氏で、敬子氏はNHK放送大学の卒業論文として取り上げられたのが、「日清戦争における戦没兵士遺族の行動と心情」副題が「秋山好古揮毫の添田賢次郎招魂碑建立の軌跡」で、この論文の発端は、東京都世田谷区池尻に、秋山好古自身が明治29年6月30日に建立し、日清戦争で戦死した15名の階級と氏名を書き哀悼碑として好古が建立し後世に伝えたのが発端である。

この石碑は私が平成18年10月6日、現地取材に行き、その後、平成24年4月18日、好古が揮毫した添田賢次郎騎兵隊員の招魂碑の拓本を持参して、賢次郎騎兵隊員の孫の奥様(敬子氏)が秋山兄弟生誕地に来館、その時世田谷区の哀悼碑を知り、裏面に添田賢次郎騎兵隊員の名前がある事を初めて確認されたのである。
その後敬子氏は、15名の遺族の消息の調査を始めた。
国立国会図書館他等々の関係施設で調べその結果3家族の方々と連絡がとれた。
その一人が長野県安曇野市の内田與作騎兵隊員の石碑(墓石)であった。
そして卒業論文を書き上げた。
好古は、15名の戦死した家族から依頼を受けて漢詩で哀悼の言葉を書き、それを遺族は石碑として建立した方々が、添田賢次郎隊員と内田與作騎兵隊員の遺族であった。


日清戦争騎兵隊の戦没者 東京都世田谷区池尻の哀悼碑

哀悼碑の表面
「征清之役戦死者哀悼碑建設工ヲ竣ル茲二其ノ姓名ヲ勤シ永久後世二傳フ
明治二十九年六月三十日
騎兵第一連隊長 秋山好古謹記」
と揮毫されている。・・秋山好古、38歳の時である。

東京都世田谷区池尻に在る石碑で、平成18年10月5日、世田谷区役所の許可を得て取材をした。
明治29年6月30日後世に伝えるために好古自身が哀悼の言葉を揮毫して石を調達して裏面に15名の戦死した氏名階級を書き後世に伝えるために建立した。
建立地は、国有地で管理は関東財務局が管理しているが、石碑の関知はしておらず、碑の管理は世田谷区役所が行っている。
この石碑は、今から123年前に好古が建立したもので、私の好古揮毫石碑取材の出発点であり、52基の内一番古い石碑である。
いつ何時、関東財務局は石碑の撤去指示を出すかも計り知れない。・その時は、秋山兄弟生誕地に譲り受けて再建立の許可を頂けるよう世田谷区役所に請願書を提出してある。
松山市の石工に移設の見積もりを取っているが、場所は重機が入れない所なので全て人力作業となり多額の費用が掛かる。


石碑は、画像の様に文字は、長年の風化により字が浅くなり写真に撮ると判読が難しく、世田谷区役所の許可を得て文字に墨を入れて撮影した。
作業は世田谷区役所職員立会の下が条件で、撮影の日時も区役所の指定された、平成18年10月5日、午前9時現地集合で、職員は2名来られた。
撮影終了後は、墨を洗い流し現状に復帰させた。・・これが撮影条件であった。


石碑裏面に日清戦争で戦死した騎兵第一連隊、15名の階級と氏名を書き、好古自身が、明治29年6月30日、に建立した。
石碑裏面の文字も風化により文字が浅くなって読み取りにくい。
真ん中当たりに、添田賢次郎騎兵隊員と内田與作騎兵隊員の氏名が奇しくも並んで書かれていた。

石碑裏面に、階級・氏名・戦没年・戦没地が書かれている。

陸軍騎兵少尉     山口 毅夫   明治二十八年 二月十三日 広島陸軍豫備病院
陸軍騎兵曹長     吉田 四朗   明治二十八年 二月 八日 老居爺廟
豫備陸軍騎兵一等軍曹 藤堂 立    明治二十七年十一月十七日 龍口
陸軍騎兵一等軍曹   渡邉 武松   明治二十八年 二月 八日 二道河
陸軍騎兵一等卒    西澤 三十   明治二十八年 二月二十四日 太平山 
陸軍騎兵一等卒    根本 由之助  明治二十八年 二月 八日 高刋
陸軍騎兵一等卒    羽毛田 安太郎 明治二十八年 二月 八日 老居爺廟
陸軍騎兵一等卒    添田 賢次郎  明治二十八年 二月 八日 二道河
陸軍騎兵一等卒    内田 與作   明治二十八年 二月 八日 二道河
陸軍騎兵一等卒    新井 斧三郎  明治二十七年十一月十九日 龍口
豫備陸軍騎兵一等卒  小野田 勝三郎 明治二十七年十一月十九日 龍口
陸軍騎兵一等卒    飯尾 金彌   明治二十七年十一月十八日 土城子
陸軍騎兵一等卒    芝崎  章   明治二十八年 二月二十二日 聶家堡子
豫備陸軍騎兵一等卒  加瀬 音吉   明治二十七年十二月三十日 蘇家屯
陸軍騎兵一等卒    蕪木 夘八   明治二十八年 一月三十一日 朱家旬子
 




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