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秋山好古揮毫石碑紀行 11 松山市窪野町の碑 

2015年11月28日 | 伊予松山歴史散策
1.碑   文 :  作善降之百祥・ 不善降之百殃
2.所 在 地:  松山市窪野町北谷甲1、098番地 正八幡神社(しょうはちまんじんじゃ)
3.揮 毫 者:  陸軍大将 秋山好古
4.建 立 者:  記載無し
5.建立年月日:  記載無し
6.碑石大きさ:  高さ:3m56㎝ 表幅:37㎝  横幅:33㎝
7.碑文の意味: 作善降之百祥は、「よいことをすれば百の嬉しいことがあり」
           不善降之百殃は、「悪いことをすれば百の災いがある」・・である。

参考事項:境内には、日露戦役凱旋記念の石碑「明治40年9月1日」建立がある。 
また社殿横には大きな「クスノキ」の大木がある。クスノキは暖地に多く自生する常緑樹で、この地は海抜200mの山間部、冬季寒冷になる地にこのように大きく育っている事は極めて珍しく松山市内最大のクスノキで、根回り8,5m、樹高20m、樹勢は極めて旺盛で樹は若々しい。昭和43年10月25日、松山市指定の天然記念物である。


松山市窪野町北谷甲1、098番地にある、正八幡神社


正八幡神社には二つの鳥居が有り石の鳥居と木製で切り妻の瓦屋根がある鳥居との間に注連石がある。向かって右に「作善降之百祥」左に「不善降之百殃」が揮毫され ている。


右の注連石の左横に揮毫した秋山好古の氏名が書かれている。


境内左側に「日露戦役凱旋記念の石碑」が建立されている。
この地区からも日露戦争に出征され無事全員生還されての記念碑ではないのでしょ うか。松山市窪野町は、旧温泉郡坂本村大字であった。


日露戦役凱旋記念の石碑裏面で、「明治40年9月1日」刻印されている。


御神木のクスノキ


クスノキには小さな社と、大きな玉石が置かれている。
この玉石の由来は?


松山市教育委員会が設置したクスノキの案内板で玉石の事は書かれていない。


この神社から約600m奥に時宗の開祖一遍上人縁の窪寺跡がある。


窪寺跡の前に個人が植栽した彼岸花の群生場所が有る。最近口コミで有名になり県外からも鑑賞に、また写真撮影に来れる。彼岸花の群生地には、染井吉野桜も植えてあり花見の時期になると賑やかである。
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