今日、サッカー日本代表選手が帰国をしました。
残念ながら、昨日のプログにも書きましたが、3戦のうち2敗1引き分けという結果になってしまいましたが、次のW杯では頑張ってもらいたい。
今を遡る事、約70年前 やはり、今回W杯の開催国となったドイツで、優勝候補の「スウェーデン」と対戦するが、当時の「スウェーデン」チームは、ドイツより強いと言われ世界の舞台に初めて登場した「日本」は、対戦前の下馬評では「日本」の敗戦が予想されたのは当たり前の事でした。
試合は予想通りスウェーデンの一方的なペースで進んでいく。技術、戦術、そしてフィジカルの強さを前面に出して戦うスウェーデンは、日本の左サイドをたびたび突破しチャンスを作る。対する日本は激しい闘志と豊富な運動量でこれに対抗。そしてGK佐野がスーパーセーブを連発してゴールマウスを守る。しかし迎えた25分、ゴールまで約15メートル、ペナルティエリアのギリギリのところからRIぺルソンが放ったシュートがポストに当たって、そのままゴールネットを揺らした。
更に37分、LWハルマンからのクロスボールを受けたぺルソンが放った強烈なシュートが再びゴールネットに突き刺さる。日本も加茂健(兄)が惜しいシュートを放つなど、いくつかのチャンスを作ることも出来たのだがゴールはならず、前半はスウェーデンの2点のリードのまま終了した。
ハーフタイムに鈴木監督は選手に以外な言葉を掛け「今日は皆の調子がとても良い。後半頑張れば、きっと勝てる」と檄を飛ばしたが、この時点で日本の勝利を予想するものはいなかった。
しかし、後半に入ると試合内容が一変する。まずは49分、LWの加茂正五(弟)からのスルーパスを受けたCF川本がシュートを放って1点を返す。日本の得意なパターンから奪取した1点は、日本を勇気付けるには十分すぎるものだった。風下に立ちながらペースを握る日本。スウェーデンのシュートがわずかに外れるという幸運もあったが、リズムは日本のものだった。次々にチャンスを作り出し、そして62分に左サイドからの加茂正五のクロスを右近が決めて、日本はとうとう同点に追いついた。
いよいよ勢いに乗る日本。逆転ゴールを目指して更に激しくピッチの上を走り回った。さすがに慌てたのか、スウェーデンも激しく攻撃を仕掛けたが、GK佐野がスーパーセーブを連発。また、豊富な運動量にものを言わせて絶え間なくプレッシャーをかけ続け、決してスウェーデンにペースを握らせなかった。その余りに激しい運動量に、スウェーデンのラジオ放送のアナウンサーは「ヤパーナ、ヤパーナ」(そこにも日本人、ここにも日本人の意)を連呼。もはや流れは日本の手の中にあった。
そして、遂に日本サッカー界の歴史に残るゴールが生まれる。時間は85分のことだった。最終ラインからのクリアボールを拾った右近が前線にフィード。ただ1人前線に残っていた川本にパスが渡る。川本は右方向にドリブルで進み相手のCHを引き付けると、中央に出来たスペースに走りこんできた松永にラストパスを送った。松永は俊足を生かして、そのままドリブルで独走。GKとの1対1から放ったシュートがGKベルグクイストの股間を抜けてゴールに転がり込んだ。
2点のビハインドからの大逆転。しかも、その直後には、さらに決定的なシーンまで作り出した。そしてラスト5分、最後の猛攻を仕掛けてきたスウェーデンに対し、ここでも佐野がスーパーセーブを見せてゴールを守る。更に、際どいシュートはゴールマウスを外れ、クロスバーも日本のゴールを守った。終了間際には加茂健が負傷のためピッチの外へ運び出されたが、日本は決してひるまなかった。やがて試合終了を継げるホイッスル。初めて世界の舞台に立った日本が優勝候補を破った瞬間だった。コーチを務めていた竹腰茂丸は「潜水艦が戦闘機に勝ったようなものだ」と言って涙を流した。
まさに、これぞ奇跡です。
ここから日本のサッカー界の歩みが始まるが、ここから僅か数年で世界は戦争1色となってしまいこの時のメンバーも戦争で尊い命が失われたが、生き残った選手達はのちに指導者となってメキシコオリンピック銅メダルに導きました。
今回のような事があれば良かったのだか、逆に「オーストラリア」戦を落としてしまい、「オーストラリア」には奇跡になってしまっただろう???
参考
「優勝候補スウェーデンを破る」
「日本サッカー ベルリン・オリンピックの奇跡」 ~世界を驚かせた逆転勝利~