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ミャンマー旅行 2月11日 バゴーへ

2011年03月23日 | ミャンマー旅行
                              シュエモード・パヤー(ヒンタゴン・パヤーより)
6時30分起床。
昨日と同じ、ブッフェ朝食を取った。昼食が遅くなるかも知れないのでしっかり食べた。
朝食後、荷物をまとめてバックパックに詰める。
最後に紙製の使い捨てスリッパ(紙スリッパ)を入れた。
紙スリッパ2組が部屋に置いてあった。草履よりも楽である。残りの1組を入れたのだ。
忘れ物が無い事を確認後部屋を出た。
8時過ぎチェックアウトした。

コンシェルジュにバゴーに行きたいと言ったが、通じない!
ガイドブックのビルマ語表示を示すとバーとにアクセントを付けて発音された。
ーへバスで行きたいので、バスターミナルまでタクシーを頼むと依頼した。
コンシェルジェは、ホテル前のタクシーの運ちゃんと相談していた。
ガイドブックには、ダウンタウンの外れにバゴー行きバス乗場がある事になっていると伝えたが、どうも無くなった様だ?
ヤンゴン国際空港近くまで行かなければならない様だ。アウンミンガラー・バスセンターか?
タクシー代4,000K(\400)との事。料金からすると空港近くでは無い様だ???
乗場は運転手に任せて乗り込んだ。
やはりヤンゴン国際空港方面にタクシーは走った。
ホテルから30分で右手の方からジェット機のエンジン音が聞こえてタクシーは停まった。
空港の西側にある道路脇バス停であった。
運ちゃんにUS$4を渡そうとすると運ちゃんは固まってしまった、US$4を4,000Kに換えて渡した。
仕方がないとUS$を受取るかと思ったが、固まってしまった。
ミャンマーでは、一般にはUS$が流通していない様だ。
タクシー運ちゃんがバゴー行きバスまで案内してくれ乗り込んだ。

15分ほど待って、9時15分にバスは出発した。
ヤンゴン市街から4車線道路が続いていた。
ガイドブックで見覚えのある建物の前を通った。それは第二次世界大戦の連合軍兵士の墓地である。
間もなく、高速道路の料金所の様なゲートをくぐった。
真直ぐな道路が続いた。
 国道1号線 写真左の中央分離帯の左側にも車線がある。


10時30分ごろ、突然降ろされた、バゴーだそうだ。
バイクタクシーの運ちゃんが待っていた。
周りを見渡すとバゴー中心地ではない。何でこんな所で降ろすのか!!! バスは行ってしまった。
仕方なく、ホテル名を言ってバックパックを運ちゃんに渡し、乗った。
ミヤ・ナン・ダ・ホテルに着いた。
宿泊料US$8(\680)との事。部屋を見せてもらった。
この部屋以外はトイレ&シャワー共用で、不満であったが仕方なくOKした。


チェックイン後、着替えて観光に向った。
バイクタクシー代がUS$10からUS$3でOKとの事である。
まず、10時30分から食事の様子が見れるチャカッワイン僧院に向った。
 チャカッワイン僧院の若い僧侶達
 
炊事場や若い僧侶の居住広間も見学出来た。

次に、シュエモード・パヤーに行った。
運ちゃんにバゴー入域料US$10を要求されたので渡した。
ヤンゴンのシュエダゴォン・パヤーを見た後で、尚且つ、残念ながら改修中で竹製の骨組みが剥き出しであった為、ミャンマー3大仏塔の1つであるが、がっかりであった。
ミャンマーの仏塔は3~4年毎に改修するそうだ。
ミャンマーの仏塔は、今日で5つ目であるが改修中で無かったのは、シュエダゴォン・パヤーだけであった。
 シュエモード・パヤー 
 

運ちゃんに「歩きたいか?」と聞かれた、私は? 
この参道を歩いて丘を越え、下った所で待っていると言うので参道を歩こうとした。
参道は通常裸足で歩かなければならないが、道が汚れていたので入口の売店?の人に私の草履を指差しで尋ねたらところ草履を履いて歩いてもかまわなかった。
 ヒンタゴン・パヤーへの参道


ヒンタゴン・パヤーはシュエモード・パヤーの東の丘の上にあり、シュエモード・パヤーを一望できるが、バゴーの町はあまり見えない。

次に運ちゃんは、葉巻を造っている所に連れていった。
30人ほどの女性が広間に座り、葉巻を巻いていた。
私が葉巻を吸う真似をすると若い女性が葉巻とライターを手渡そうとしたが吸わないので断わった。余計な真似をして申し訳ない。


次に蛇寺や寝仏を見た。
 蛇寺                                 寝仏
 

13時になっていた。後は夕方の16時から回る事になった。
私がビールを飲みたいと言ったので、ビヤホールに連れて行ってくれた。
ホテルの近くにあり、オープンエアのレストラン?であった。
ジョッキーで生ビールが出て来た。缶ビール位の量で、料金は何んと600K(\60)であった。
運ちゃんに運転は大丈夫かと断わって、ビール1杯だけおごった。
メニューに焼きそばが、マレーシア風、インドネシア風、タイ風、シンガポール風とあったので、ミャンマー風焼きそばはないのかと尋ねるとミャンマーはカレーだけだと言われた。
マレーシア風焼きそばを頼んだ。
運ちゃんは生ビールを飲み終わると、16時に迎えに行く、ホテルの場所はあそこだと言って帰って行った。
生ビールが冷たくて美味かったので、3杯飲んでしまった。

16時まで昼寝した。
起きてすぐ、外に出ると運ちゃんが待っていた。
まず、ミャッ・タ・リャウン寝仏に行った。
化粧をした顔が変に艶かしい。
 ミャッ・タ・リャウン寝仏


次にロンジーを買いに行った。
シュエターリャウン寝仏の北にある村に案内され、ロンジー(3,000K)を買い、着方を教わった。
村にある織機を見せてもらった。


近くの寺の境内に日本人慰霊碑があった。手を合わせた。
マハーゼディー・パヤーに行くかと聞かれ、登れるか尋ねると登れなくなったとの事で止めた。
それでシュエターリャウン寝仏に行った。
バゴーで最も有名なのが、この寝仏だそうだ。
 シュエターリャウン寝仏


45分間ほどで「もうええわ!」という感じで、見物を終えビヤホールに行った。
運ちゃんにも生ビールをおごり、2人で飲みながら話した。
運ちゃんの元奥さんはイギリス人でイギリスに帰ってしまったので、今はイスラム教徒の女性を奥さんにしている。彼は仏教徒だと言っていた。英語が話せるのは、元奥さんのお蔭だ。
ミャンマーが第二次世界大戦後、イギリスから独立した事を知っていたが、どこの国から独立したのかと尋ねるとイギリスだと答えて観光で来るのは良いがそれ以外必要ないと言っていた。
2007年に日本人カメラマンの長井健司さんが射殺されてから日本人観光客が少なくなったと言っていた。
その1年後のリーマンショックの影響と若い人の海外旅行が少なくなった事が影響しているのだが、英語で説明するのが大変なので話さなかった。
お寺は貧乏だとも言っていた。確かにシュエモード・パヤーも掃除が行き届いていなかった。
運ちゃんも私も2杯づつ飲んだところでバイクタクシー代を請求された、「きもちだけ」と日本語で言っている。バゴー入域料US$10を懐に入れている事が分かっていたがUS$5を渡した。
明日、マンダレーに列車で行く事を話していたので、別れ際、バゴー駅6時45分発だからと念押しされた。

運ちゃんに推薦してもらったレストランに向った。
バゴー川に面した景色の良い場所だろうと思っていたが、バゴー川土手はゴミ捨て場で興ざめである。
レストランも暗いイメージで、大き目の食堂であった。
前を通り過ぎてバゴー駅に向った。
駅前で健康体操の様な事をしていた。
駅前から国道に出ると夕日が美しく見えた。


ビヤホールへ戻り、ビールと焼きそばを食べてホテルに帰った。

バゴーは個人旅行者が多く来るところでは無い様だ。ヤンゴンからツアーで来て帰って行くのだろうか?
ビヤホールで西欧人1組のバックパッカーを見ただけで、他はチャカッワイン僧院で多くの西欧人ツアー客と蛇寺で10人ほどの西欧人ツアー客を見掛けた。

シャワーを浴びようとするとバスタオルがなかった。フロントに取りに行き、ついでにウエークアップコールを頼んだ。

20時就寝。
寝ていると上部階で子供が走り回っていた、やかましくて目覚めた。上はアパートか?


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