原発問題

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【フクシマ見聞録】例え0.1μSvでも1μSvでも、ぜんぶ足した線量を、その人のリスクと計算する ※67回目の紹介

2017-01-24 22:10:25 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。67回目の紹介

【フクシマ見聞録】

例え0.1μSvでも1μSvでも、ぜんぶ足した線量を、その人のリスクと計算する

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2013年12月24日のツイートから

 

福島行-崎山氏は続けた。「-ですから、放射線作業従事者は
必ずあのバッジをつけて、線量計をつけて作業していらっしゃいますけれども、
そういうのもあの、例え0.1マイクロシーベルトでも
1マイクロシーベルトでも、ぜんぶ足してゆくわけですね。-

 

-「で、最終的に何ミリシーベルト、何十ミリシーベルトになった時、
たとえばそのええ、最終的な全部合算した線量を、そのひとの
リスクというのを計算するわけです。

で、これをたとえば1マイクロシーベルト以下だったら
全部無視していいということになれば全部足さないことに、、。-

 

-「0はいくら何回やっても0ですから。そういうことで、
ある線量以下は影響ないというふうに言いたい人はですね、
”足さない”わけです。そういうことがあるわけです。

ですから、でもじっさい世界的に作業従事者は必ずバッジをつけて、
ぜんぶ線量計をつけて作業しているということは、-

 

-「放射線のリスクが加算されるものだということを、
世界的に共通認識になっている”から”、そういうことをやっているわけです。
で、まとめますとけっきょく、発癌への段階というのは、
DNAの損傷がおこって修復ミスが起こる原因が起こる。

そして、遺伝的不安定性というのが起こるんですけれども-

 

-「こういう変異をおこしやすいという性質ですよね、
そういう性質を獲得する。で、そういうことで突然変異の蓄積によって発癌が、、、
発がんに結びつく、と。で、放射線というのは一本通っても
この複雑損傷というのが起こる可能性があるということで、
放射線の線量には安全量というものがない-

 

-「というのが理論的な裏付けになるわけです、今までは。
で、彼らが言うにはですね、『彼ら』というのはまああの、いろんなひとがいるんですけれども
(ここで崎山氏は多くのものまじった苦いわらいをし、会場も同じ反応で返す)、
ええ、100ミリシーベルト以下は安全だとかですね、-

 

-「低線量はあの、、リスクが無いだとか言うひとですね。そういうひとたちが言う、
あの、何を根拠に言っているのかというと、それは科学的な議論ではないわけです。

疫学調査ですね-」。じぶんが中学まで時を過ごした福島の喜多方市に、
コンサートホールがあった。喜多方プラザ、と言った。-

 

-自分の父が読売新聞の記者として喜多方にやってきた間の1983年に開館した
その施設は赤煉瓦で覆われていて、およそ千人が入る音響の整ったホールがあった。

こどもの頃の自分は耳の聞こえない不良の友人とそのあたりに向かい、
道を挟んだ所にあった駐車場の砂礫を掘り返していた。-

 

-砂礫を棒でほじくってゆくと水が出てくるのだった。なにが楽しかったのかはわからないが、
自分たちはそこへ向かい、ある時には年配の不良に因縁をつけられ、
じぶんは強制的に習わされていたピアノを、そこのホールで弾いたことを覚えている。
何を弾いたのかは覚えていない。-

 

-ただそのホールにはスタンウェイのグランドピアノがあり、まだ若かった母親が
こけらおとしにそのピアノを一般に開放して自由に弾かせたおりに自分を連れて弾きに行った。

そのホールで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一氏が講演をしていた。
2011年、福岡での避難生活を-

 

-引き上げてきた東京で、その動画にたどりついたのだった。満席とはいかない席を
埋めた人間たちに対して彼は言っていた。「にこにこしているひとには放射能は来ません。

くよくよしている人には放射能は来ます-」その言葉を受けて、
自分との会話をすこし載せた網膜剥離を患った女性が-

 

-はげしく異議をぶつけていた。「-このひとはほかの会場の時にも来ましたね。」
山下氏は彼女をそうくくって発言を拒否した。その会をコーディネートしていた男が、
悶着の種のようにやはり彼女たち(もう一人若い男性がはげしく反対していた)
を鎮めにかかっていた。その会の質疑応答で-

 

-ひとりのスーツ姿の三十代前半と思われる男が挙手し、質問していた。

「私は喜多方市で中学校の教員をやっています。今、インターネット上には情報があふれていて、
偏った情報を見てしまうとこどもたちがおかしな心配をしてしまうということがあります。」-


-網膜剥離を後に患った農家の女性がその場にいた集団によって異端者と
くくられるようにして制せられる、その対極に自らがあることを誇示する口調だった。

「そうした偏った情報にこどもを近づけさせないためにはどのようなことを
したら良いでしょうか-」ゆがんだものを感じた。-

 

-根本が狂っていようが、その秩序に嵌りこんで、その秩序の安定を図る。

自分が一体となっているものだから、それは自分の立ち位置の安定が主眼になっている。

結果として、彼自身も狂いそのものになっている。(そうだ、この感じだ-)
自分はなにか苦いものをなつかしく思いだした。-

 

-校庭な校庭で、裏地が赤、おもてが白い帽子をかぶり、小学校の生徒すべてが
均等にちらばる。手を伸ばすように強迫的に言われて、位置をただしてゆく。

細かなそうした出来事がひとかたまりになって一つの感慨になっているのだった。
母がホールで弾いたのはメンデルゾーンの『ベニスの舟歌』だった。-

 

-崎山氏が多くのものを含んで言った『彼ら』。2013年9月の時点で、
福島市の会場にいた人間たちもそれを嗤いとして片付けられるくらいに時は過ぎていた。

だが、2011年の夏頃、自分がパソコンの画面で見たのと同じようなやりとりが
2013年12月20日の東京で繰り返された。そのやりとりの発端には自分の発言があり、
目の前でそのやりとりが展開されたことになる。-

 

※次回に続く

 2017/1/25(水)22:00に投稿予定です。 


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