何故 ラジオに興味を持ったのだろう?
何時頃から興味を持ったんだろう
とくに私の周りで(親、親戚等)ラジオ好(修理とか・・・・)きな人は居なかった。
私が生まれた時には(多分)シャープ(早川電機)の白黒テレビが1台 真空管のラジオが2台の記憶がある。
当時テレビはNHKしか映らなかった。チャンネル権は私には無い。NHKの放送では、相撲、みんなの歌、ひょっこリひょうたん島・・ しばらくして民放の放送が見れる様になった。
(近くにテレビの中継所が出来たから・・・)
・子供の頃を思い出すと・・・・
目覚まし時計事件
なぜか覚えていないが目覚まし時計を分解して使えなくしてしまった。 覚えている。
テープレコーダ
保育所(+公民館)が好きでは無かったが、保育所にあるテープレコーダーには興味を示していた。
先生がお遊戯など始める前に、何処からかテープレコーダーを持ってきて、決まったテープをテープレコーダーにセットするのをいつも見ていた。
うろ覚えであるが、あるとき、いつもと違う先生と思うが、テープレコーダーがセットできない様子で、(テープの通し方だったと思う) これまで、いつも見ていた事から"先生こうじゃないの”と助言したみたいで、無事使う事が出来た。とても褒められたんです。
とにかく、自分の声がテープレコーダーから出るのがとても不思議でした。
当時のテープレコーダーをもらう
保育所を出て30年 通っていた保育所が壊される事になった。
その時、当時の保母さん(市の職員)が私が保育所時代に興味を持っていたことを覚えてもらったようで、その見つかったテープレコーダーを届けて頂いた。ほんと30年後テープレコーダーに再会です。
テープレコーダーだけに興味を持っていた 保育所時代のインパクトがとても、強かったのでしょう。
テレビの調整係り
時々テレビがおかしくなるんです。画面が上から下に流れる。その時はテレビの裏のボリュームを調整する。回しすぎると下から上の画像が流れる、これを調整することが私の仕事でした。
新しいテレビを買う余裕が無く、1台のテレビをみんなで楽んでいました。
あるとき、学校帰りに、古いテレビが山などに捨ててありました。当時はテレビなど町の電気屋さん(ナショナルのお店)があり、電化製品は何でも見てくれたり、修理してくれた時代です。
早速、一輪車をもって、ゴミ捨て場(今考えると不法投棄)にいきました。この場所はお宝のゴミ捨て場です。 真空管ラジオも捨ててあった事もあります(2回くらい)
また、時々 ゴミ捨て場にテレビが捨てられ、真空管だけを持ち帰りました。
テレビの修理?
家にあったテレビ 捨ててあったテレビの真空管を入れ替えました。
なんと、テレビは復活。 その後また駄目になったので 同じような真空管 コンデンサーを入れ替えました。
このような作業をしていくと、大体同じ場所の故障のようでした。当時は名前は知りませんでしたが、垂直同期 たしかテレビの裏にも垂直同期、水平同期と書かれていましたね
で、新しいテレビと 修理?出来たテレビと我が家は2台になりました。近所はすでに2台あったような・・・
この作業結構面白いし、褒められる。とても快感でした。
真空管ラジオ
ご飯を食べる場所にはラジオが置いてありました。食事中テレビを見ることはありません。 全てはラジオでした。(テレビは2階の寝室)
そのラジオ(トランスレス) シャーシを持つと感電してとてもびっくりした事があります。 小さい頃はラジオをさわる事はとても怖い事と認識していました。
分解好きな私には これまで家で不要になった真空管ラジオ(1台はST管、もう1台はトランスレスのラジオ)を分解(部品取り)すること。
電子工作
電子工作だって、東京の秋葉原 大阪の日本橋のように近くに電子部品を取り扱う店など無い。しかし、町の電気屋さんは 多少真空管のテレビ、ラジオの部品があり購入する事が出来た。 そのよう環境だったので、いつものゴミ捨て場で、半導体が使われている物があれば、持ち帰っていた。 現在もその一部はある。また、使えなくなったラジカセ、ビデオなど捨てられず保管?されている。(使う事は無いであろう・・・と思いつつ)
現在のラジオ少年
現在もラジオ少年は昔と変わっていない。
子供の頃、テレビ、ラジオを修理をしていた頃と、変わりが無い。 どこか壊れているから部品を取り替える。今も昔と同じだ。
まあ、昔と違うとことは、多少測定器が増えた事、回路図、修理の経験者等の情報がネットなどで得られる事。
大きく違うのが、”少しだけお金が使えるようになったこと”である。
昔のラジオ少年と何も変わっておりません。