杉並の純一郎(3)

2009年12月で68歳に!
先の戦争が一体なんだったのかを今一度勉強し、次の世代に伝えてゆきたい。

「英語を話すサルなどいらない」??

2006-04-20 02:01:45 | Weblog


16日の産経のコラム紙面批評に掲載されたある通訳会社の女性社長の意見である。
ラストパラグラフをご披露すると、

「国を愛するこころもなく、国旗も見上げず、国歌も歌わない。私たちはこんな若者を国際社会に送り込もうとしているのか?‘英語を話すサルなどいらない’。通訳会社の社長としては、これだけははっきりと言っておきたい。」しかしこれは暴言である。

この表現は作家の塩野七生氏が外国語という道具を手にする前に習得しておくべきこと三つとして、‘一般教養で育成された人格’‘自分の言に責任をもつ習慣’‘完璧な母国語’を挙げ、これが出来ないと「英語を話すサルになる」成ってしまうとしている。

この塩野氏の言う最初の二つは同意できても三番目の「完璧な母国語」には納得できない。
なぜなら完璧な母国語を得ることなど、一般人には不可能ごとであり、何時までも母国語の呪縛から逃れえず、外国語を学ぶ機会を終生持ち得ないからである。
女性社長はこれが塩野氏の「ローマの街角」から引用されていると書かれているが、肝心なことはこの三つの前に「大切なことは言葉の力よりも何を発言するのか、その中身だ」と書かれていることであろう。

従って問題は外国語の習得とは別なところにある。即ち我が国の教育では国際社会で発言してゆくには十分でないと言うことである。しかし、次の問題として教育が改革され発言が出来るような状態に成れば、今度はどうしても外国語の習得が必要であるが、そのときになって外国語の習得に取り組んでも遅いのである。

昨今の議論を聞いていると英語教育への取り組みが日本並びに日本語の教育を破壊するかのような論調が多いが、論評の一部に書かれているように日本は国際社会へ自ら情報を発信してゆかねばならないしその為には英語力が不可欠である。そして、その第一歩は発音であり聞き取りであり、小学高学年にこれを始めることで生涯身につくことになる。

我々の時代は‘とつとつ’の英語でも何とか用が足りてきた。しかし、日本が自ら情報発信を行い他国に影響力を与える、理解を得られたかと言う点では、まったく不十分であった。それは、日本外交をみればよく理解できる。戦前から日本は宣伝・広報と言う点で中国に遅れをとりアメリカに誤解されたまま、戦争へと進んでしまっている。こんな過ちを二度と犯してはいけない。

これからの日本にとっては国による情報の発信が必要なことであるだけでなく、民間人による出先の国々での情報の発信が不可欠であり、そのための語学力は従来に比較しより高度のものが要求されることは間違いない。

英語教育を眼の敵にしても、教育改革がない限り、国際社会で発言できる人材は育たない。

発音聞き取り中心の初歩的英語教育がその他の教育を阻害することはありえない。何故、このような問題で議論のすり替えが行われるのか理解に苦しむ話だ。