Joy Yoga

中東イスラエルでの暮らしの中で、ヨガを通して出会う出来事あるいは想いなど。

セカンドシリーズ5回コースを終えて

2015-12-14 13:10:01 | 体験記(ワークショップ,レッスン他)
先週の金曜日、12月11日にセカンドシリーズの5回コース最終回を迎えた。
この日はムーンデー(新月)で、通常アシュタンガヨガでは練習は休みになるが、こういった特別なクラスやワークショップは例外となることもある。

最終回ではアームスタンド2つを除くほぼ全てのアーサナを実践。とは言え、時間制限もあり、難易度の高いアーサナが多いため、後半から終盤にかけては少々やっつけ感があった。

この5回を通していずれかのアーサナが上達したという体感はゼロに等しい。のみならず、身体的にはいかにタフなものであるかを味わい、顔はきっと必死の形相で自分でも直視できそうにないが、その一方で、精神的には停滞感を打破して大きな一歩を踏み出した手応えがあった。セカンドシリーズの青写真を身体で感じ、途方に暮れてしまいそうなアーサナに取り組むための分解したステップを学べたことはやはり大きな収穫だ。それはあたかも、天体だけを頼りに歩いていた旅人が地図を手に入れたような、ちょっと大げさだけどそれくらいドラマチックな節目となった。

セカンドシリーズには、柔軟性もパワーもバランスもファーストシリーズ以上のものを要求されるアーサナが多数ある。自ずと精神的な面も比例しているはずで、ひとつひとつを体得していくのには、またしても長い長い道のりになるだろう。とりあえず、後屈が浅いためにつぶれた饅頭みたいになるラグバジュラアーサナをなんとかして、憧れのカポータアーサナができるようになるのが目下の目標である。

さて、明確な目標を持てたはいいが、セカンドシリーズのことを取り上げた英文のテキストやブログ等で「Surrender」というキーワードがよく私の目に留まる。おそらく潜在意識ではこれを課題として認識しているのだろう。ところが私は、"Surrender"といえば「No surrender, keep on rock'n'roll」というフレーズを半ば座右の銘のごとく真っ先に脳内で口ずさむ人間である。(←わかる人にはわかるフレーズですね。笑)なのに、ここにきて"No Surrender"ではなく"Surrender"と言われる。ということで、ちょっと困っている。

ファーストシリーズは前屈が多いので、気持ちの面でどうしても前のめりになってしまいがちで、私の場合は特に、アシュタンガを始めてから2~3年くらいまでこの傾向が強かった。「よし次はこれを手に入れてやるぞ」というハンター的な気持ちになり、アシュタンガヨガ特有の陽のエネルギーが後押しとなって、事実、アーサナに関してはその期間に飛躍的に上達した経緯がある。そのために、私はその姿勢を根底からは改めることができないでいたように思う。しかし、セカンドシリーズでは視覚で捉えづらい後屈や逆転のアーサナが増える。後頭部や背中にも目があればいいのにと思うようなそれらのアーサナは、単なる前のめり姿勢では太刀打ちできない。現在でも心の片隅にあるハンター的な心の姿勢をこれからは農夫的なものに、「狩る」から「穫る」にスタンスを変える必要がありそうで、その概念と心身とをどう一致させるかの試行錯誤は必至。

頭でわかっていても、それを心身のレベルに落とし込んでいくのは案外難しい。口先で装えるものではなく、アーサナという目に見える形でその学びが表れるので誤魔化しがきかない。一体何を明け渡せば良いのやら、何に何を委ねれば良いのやら。降参しても練習は続ける、"Surrender"だけど"Never give up"という、ちょっと矛盾した行為を両立させる、まるでなぞなぞのような修練の始まり。

ひとつだけ確信を持っているのは、これだけ難しければやり甲斐もひとしおであるということ。苦い思いをしたものこそ、乗り越えた時の喜びは大きい。例えば、シルシアーサナの時間がヨガクラスで最も苦痛だったのに、今となってはとても楽しみなのだ。そういう風に培ってきた数々の経験がモチベーションという人参になって私を前に進ませてくれるだろう。
四十女の焦りと余裕が綯い交ぜになっている様が今後どのように変容するのか、子供の成長と同じくらい楽しみである。


ナマステ&シャローム
Nozomi




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