アクアペット現代の
羅須地人協会
モリオーネ美術水族館
宮沢賢治は高校教師を約4年で辞めた後、
農業者となり、羅須地人協会を設立。
野菜や花をリヤカーで売り歩いた。
しかし売れず、売れ残った花を
ただで道行く人にあげたという。
また東山町の石灰工場社員として
肥料や外壁のセールスマンをやり
そして倒れ、遺書を書いた。
その短い37年間、当時は変人に見られ
彼を理解する者は少なかった。
おそらく、私も教師を辞めたらただの人、
同じような売れ残り人生だったと思う。
家族には心配ばかりかけた。
もうすぐ映画「銀河鉄道の父」が公開される。
宮沢賢治の父が主人公。
楽しみです。