試練の天使も言っていましたが、この聖母の顔はかのじょの霊的世界での真の顔にそっくりです。いえ、ここではかのじょと言わず、彼と言いましょう。絶対に彼は男だからです。
かわいらしいでしょう。実に彼は、この顔そのままの心をしています。それは、未完成な女性という感じの心です。大人の女性になりきれない少女に彼は似ている。男の子のように乱暴なことはしないし、とてもやさしくてまじめな良い子だが、ときに少年ぽいこともする。
女性というものを男がやっているという感じではありませんね。彼の中では、女性というものの性質が、絶妙な感じで男になっているのです。しかし女性という生き方は男にとっては非常にきつい。ときにすさまじいことに耐えねばならない。なぜそれが彼にできるのか。それは彼が、鋼鉄のようだと言われるとても硬い男だからです。
男としての本質を剋されるほど、きついことに耐えねばならないとき、彼は持ち前の鋼鉄の強さでそれを耐えるのです。普通の男なら根を上げる馬鹿に、彼は耐えられるのです。それゆえにこそ、彼は男なのです。
普通の男なら折れてしまいそうな屈辱にも、彼は耐えられるのです。このやさしい顔の奥には、それは強い男がいるのですよ。
だから彼は最後まで残ったのです。ほかの天使はすべて死んでしまったのに、彼が残ったのは、彼がそういう男だったからです。
本当の女性ではありませんが、女性に限りなく近い男だったからこそ、この時代の難に耐えることができたのです。