書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

宮崎市定 「日本の官位令と唐の官品令」

2015年01月13日 | 東洋史
 『東方学』18、1959年6月、1-15頁。

 「律令制定當時の日本は、絶對年代においては唐と同時代的存在であるが、社会の發達の程度から言えば決して同時代ではない。むしろ漢代あたりと比較するのが一番適當ではないかと言うのが今の所の私の結論である」が結論とはそれまでの論旨・行文から観れば一種の曲芸の観がある。
 なお、日本の「位」が肩書に書かれ「品」が書かれないのは、「雅を尚ぶ中国の貴族社會では人目で分る數字で官職の等級を示されるような制度には堪えられぬのである」からではなく、筆者自身も言うが如く、「日本の位は直接に人をランキングし」、「唐の品は人のもつ官をランキングする」からではないか。
 これを言い換えれば、唐で直接に人をランキングするのは官であるから肩書には官名を書く、品を書く必要はないということだ。
 そして私のこの仮説が正しければ、少なくとも唐代の中国で日本の位階に当たるのは官職、ということになる。

趙汝适 『諸蕃志』

2015年01月13日 | 東洋史
 http://zh.wikisource.org/wiki/%E8%AB%B8%E8%95%83%E5%BF%97

 13世紀に書かれた本なのに琉球は「琉求」で台湾と一緒くた、とうの昔に亡んだ「新羅」の条があって当時の「高麗」はなく、日本は「倭」。
 基づいた資料はそれぞれ『隋書』(7世紀)に『通典』(9世紀)、『新唐書』(11世紀)、『三国志』(3世紀)と『晋書』(7世紀)。(藤善真澄『諸蕃志』、関西大学出版部、1991年1月による。)
 もっとまじめにやれ。

マイケル・トマセロ著 大堀壽夫ほか訳 『心とことばの起源を探る』 (その1)

2015年01月13日 | 人文科学
 大堀壽夫/中澤恒子/西村義樹/本多啓訳。

 韓国語や中国語では〔英語とは〕対照的に、大人の会話の中で、子供にもっとも顕著にわかるのは動詞であり、幼い子供は、同じ出来事を語るのに最初から大人が使うような動詞を習得する。 (「第五章 言語の構文と出来事の認知 1 言語の最初の構文」本書184頁)

 ちなみに英語の場合、子供が出来事について話し出す最初期に用いる一語文で使われるのは関係語(「Moreもっと」、「Goneなくなった」、「Up上に」、「Down下に」、「On着る」、「Off脱ぐ」等)の由。これは「顕著な出来事を語るのに、大人が、顕著に関係語を使うため」(同頁)とのこと。日本語の場合は何だろう。またロシア語については。

(勁草書房 2006年2月)

白川静 「訓詁に於ける思惟の形式について」 (その1)

2015年01月13日 | 東洋史
 『立命館文学』64、1948年3月。のち『白川静著作集』1(平凡社 1999年12月)収録、同書359-389頁。テキストは後者を使用。

 漢文に「反訓」など存在しない、あれは偶々反対の意味を持った同発音の語の仮借の結果である、よって矛盾の統一もない、そもそも引申で意味が円を描くように結果として反対の意味にまで拡張してゆくというのなら最初から対立を内蔵している筈の弁証法とは言えない、として、著者は小島祐馬の「中国文字の訓詁に於ける矛盾の統一」を、ほぼ全否定している。私も賛同する。
 能動・被動の「文法的関係」から一つの語が反対の意味を持つように見えるという説明、また「字義が本来ひろく、一字のなかに結果として個別には相反する対待の意味を有しうるものがある」(要約)という説明は、私の、「ある語が主客を含んだ一つの動作、あるいは全体としての状況を表す時に、場合によって一見正反対の語義が示される」という理解と、言葉は違えど(私の把握と言葉遣いは粗放だが)、基本的には大略同じと考えてよいかと思える。
 同論文には、『史記』「項羽本紀」の「面」についても言及がある。白川氏は、これについてはやはり、先に述べた能動・被動の視点から解釈されていて、私とは意見が異なる。

ウィキペディア 「竹取物語」 項

2015年01月13日 | 日本史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%8F%96%E7%89%A9%E8%AA%9E

 遅くとも平安時代初期の10世紀半ばまでには成立したとされ、かな(元は漢文)によって書かれた最初期の物語の一つである。 (「概要」)

 元々、口承説話として伝えられたものが『後漢書』や『白氏文集』など漢籍の影響を受けて一旦は漢文の形で完成されたが、後に平仮名の崩し字に書き改められたと考えられている。 (「成立」)
 
 元々は漢文だったのか。遅くとも十世紀半ばまでという成立は、漢文のそれか、それともかなに翻訳された時期のことか。

『周易』「序卦傳」

2015年01月13日 | 東洋史
 原文

有天地然後萬物生焉。盈天地之間者唯萬物。故受之以屯。屯者盈也。屯者物之始生也。物生必蒙。故受之以蒙。蒙者蒙也。物之稺也。物稺不可不養也。故受之以需。需者飮食之道也。飮食必有訟。故受之以訟。訟必有衆起。故受之以師。師者衆也。衆必有所比。故受之以比。比者比也。比必有所畜。故受之以小畜。物畜然後有禮。故受之以履。履而泰、然後安。故受之以泰。泰者通也。物不可以終通。故受之以否。物不可以終否。故受之以同人。與人同者物必歸焉。故受之以大有。有大者不可以盈。故受之以謙。有大而能謙必豫。故受之以豫。豫必有隨。故受之以隨。以喜隨人者必有事。故受之以蠱。蠱者事也。有事而後可大。故受之以臨。臨者大也。物大然後可觀。故受之以觀。可觀而後有所合。故受之以噬嗑。嗑者合也。物不可以苟合而已。故受之以賁。賁者飾也。致飾然後亨則盡矣。故受之以剥。剥者剥也。物不可以終盡。剥窮上反下。故受之以復。復則不妄矣。故受之以无妄。有无妄然後可畜。故受之以大畜。物畜然後可養。故受之以頤。頤者養也。不養則不可動。故受之以大過。物不可以終過。故受之以坎。坎者陷也。陷必有所麗。故受之以離。離者麗也。(上篇)
【読み】
天地有りて然る後に萬物生ず。天地の間に盈つる者は唯萬物なり。故に之を受くるに屯を以てす。屯とは盈つるなり。屯とは物の始めて生ずるなり。物生ずれば必ず蒙なり。故に之を受くるに蒙を以てす。蒙とは蒙[おろ]かなり。物の稺[おさな]きなり。物稺ければ養わざる可からず。故に之を受くるに需を以てす。需とは飮食の道なり。飮食すれば必ず訟え有り。故に之を受くるに訟を以てす。訟えには必ず衆の起こる有り。故に之を受くるに師を以てす。師とは衆なり。衆あれば必ず比[した]しむ所有り。故に之を受くるに比を以てす。比とは比しむなり。比しめば必ず畜う所有り。故に之を受くるに小畜を以てす。物畜えられて然る後に禮有り。故に之を受くるに履を以てす。履んで泰、然る後に安し。故に之を受くるに泰を以てす。泰とは通ずるなり。物は以て通ずるに終わる可からず。故に之を受くるに否を以てす。物は以て否に終わる可からず。故に之を受くるに同人を以てす。人と同じくする者は物必ず焉に歸す。故に之を受くるに大有を以てす。大を有する者は以て盈つる可からず。故に之を受くるに謙を以てす。大を有して能く謙なれば必ず豫ぶ。故に之を受くるに豫を以てす。豫べば必ず隨うこと有り。故に之を受くるに隨を以てす。喜びを以て人に隨う者は必ず事有り。故に之を受くるに蠱を以てす。蠱とは事なり。事有りて後に大なる可し。故に之を受くるに臨を以てす。臨とは大なり。物大にして然る後に觀る可し。故に之を受くるに觀を以てす。觀る可くして後に合う所有り。故に之を受くるに噬嗑を以てす。嗑とは合うなり。物以て苟も合うのみなる可からず。故に之を受くるに賁を以てす。賁とは飾るなり。飾りを致して然る後に亨れば則ち盡く。故に之を受くるに剥を以てす。剥とは剥ぐなり。物以て盡くるに終わる可からず。剥ぐこと上に窮まれば下に反る。故に之を受くるに復を以てす。復れば則ち妄ならず。故に之を受くるに无妄を以てす。无妄有りて然る後に畜う可し。故に之を受くるに大畜を以てす。物畜えられて然る後に養う可し。故に之を受くるに頤を以てす。頤とは養うなり。養わざれば則ち動く可からず。故に之を受くるに大過を以てす。物以て過ぐるに終わる可からず。故に之を受くるに坎を以てす。坎とは陷るなり。陷れば必ず麗[つ]く所有り。故に之を受くるに離を以てす。離とは麗くなり。(上篇)

有天地然後有萬物。有萬物然後有男女。有男女然後有夫婦。有夫婦然後有父子。有父子然後有君臣。有君臣然後有上下。有上下然後禮儀有所錯。夫婦之道不可以不久也。故受之以恆。恆者久也。物不可以久居其所。故受之以遯。遯者退也。物不可以終遯。故受之以大壯。物不可以終壯。故受之以晉。晉者進也。進必有所傷。故受之以明夷。夷者傷也。傷於外者必反於家。故受之以家人。家道窮必乖。故受之以睽。睽者乖也。乖必有難。故受之以蹇。蹇者難也。物不可以終難。故受之以解。解者緩也。緩必有所失。故受之以損。損而不已必。故受之以。而不已必決。故受之以夬。夬者決也。決必有所遇。故受之以姤。姤者遇也。物相遇而後聚。故受之以萃。萃者聚也。聚而上者謂之升。故受之以升。升而不巳必困。故受之以困。困乎上者必反下。故受之以井。井道不可不革。故受之以革。革物者莫若鼎。故受之以鼎。主器者莫若長子。故受之以震。震者動也。物不可以終動、止之。故受之以艮。艮者止也。物不可以終止。故受之以漸。漸者進也。進必有所歸。故受之以歸妹。得其所歸者必大。故受之以豐。豐者大也。窮大者必失其居。故受之以旅。旅而无所容。故受之以巽。巽者入也。入而後說之。故受之以兌。兌者說也。說而後散之。故受之以渙。渙者離也。物不可以終離。故受之以節。節而信之。故受之以中孚。有其信者必行之。故受之以小過。有過物者必濟。故受之以旣濟。物不可窮也。故受之以未濟終焉。(下篇)
【読み】
天地有りて然る後に萬物有り。萬物有りて然る後に男女有り。男女有りて然る後に夫婦有り。夫婦有りて然る後に父子有り。父子有りて然る後に君臣有り。君臣有りて然る後に上下有り。上下有りて然る後に禮儀錯く所有り。夫婦の道は以て久しからざる可からざるなり。故に之を受くるに恆を以てす。恆とは久しきなり。物以て久しく其の所に居る可からず。故に之を受くるに遯を以てす。遯とは退くなり。物以て遯に終わる可からず。故に之を受くるに大壯を以てす。物以て壯なるに終わる可からず。故に之を受くるに晉を以てす。晉とは進むなり。進めば必ず傷るる所有り。故に之を受くるに明夷を以てす。夷とは傷るるなり。外に傷るる者は必ず家に反る。故に之を受くるに家人を以てす。家道窮まれば必ず乖[そむ]く。故に之を受くるに睽を以てす。睽とは乖くなり。乖けば必ず難有り。故に之を受くるに蹇を以てす。蹇とは難なり。物以て難に終わる可からず。故に之を受くるに解を以てす。解とは緩なり。緩くすれば必ず失う所有り。故に之を受くるに損を以てす。損して已まざれば必ずす。故に之を受くるにを以てす。して已まざれば必ず決す。故に之を受くるに夬を以てす。夬とは決なり。決すれば必ず遇う所有り。故に之を受くるに姤を以てす。姤とは遇うなり。物相遇いて後に聚まる。故に之を受くるに萃を以てす。萃とは聚なり。聚まりて上る者は之を升ると謂う。故に之を受くるに升を以てす。升りて巳まざれば必ず困しむ。故に之を受くるに困を以てす。上に困しむ者は必ず下に反る。故に之を受くるに井を以てす。井道は革めざる可からず。故に之を受くるに革を以てす。物を革むる者は鼎に若くは莫し。故に之を受くるに鼎を以てす。器を主る者は長子に若くは莫し。故に之を受くるに震を以てす。震とは動くなり。物以て動くに終わる可からず、之を止む。故に之を受くるに艮を以てす。艮とは止むるなり。物以て止まるに終わる可からず。故に之を受くるに漸を以てす。漸とは進むなり。進めば必ず歸る所有り。故に之を受くるに歸妹を以てす。其の歸する所を得る者は必ず大なり。故に之を受くるに豐を以てす。豐とは大なり。大を窮むる者は必ず其の居を失う。故に之を受くるに旅を以てす。旅して容るる所无し。故に之を受くるに巽を以てす。巽とは入るなり。入りて後に之を說ぶ。故に之を受くるに兌を以てす。兌とは說ぶなり。說びて後に之を散らす。故に之を受くるに渙を以てす。渙とは離るるなり。物以て離るるに終わる可からず。故に之を受くるに節を以てす。節して之を信ず。故に之を受くるに中孚を以てす。其の信有る者は必ず之を行う。故に之を受くるに小過を以てす。物に過ぐること有る者は必ず濟[な]す。故に之を受くるに旣濟を以てす。物は窮む可からざるなり。故に之を受くるに未濟を以てして終わるなり。(下篇)


 「天地有りて然る後に萬物生ず。天地の間に盈つる者は唯萬物なり。故に之を受くるに屯を以てす。屯とは盈つるなり。屯とは物の始めて生ずるなり。物生ずれば必ず蒙なり。故に之を受くるに蒙を以てす。蒙とは蒙かなり。物の稺きなり。物稺ければ養わざる可からず。故に之を受くるに需を以てす」云々の論法が『中庸』の「修身斉家治国平天下」に似ている。フェアバンクが「連鎖論法」「前提とは関係なく生まれてくるおかしな推論」と呼んだところのものだ。私は、これを、「『風が吹けば桶屋が儲かる』式“論理”」と表現したことがある。だがこの“”は、あるいは取り去ってもよいかもしれない。津田左右吉の指摘は正しいと今でも思っているが、津田の結論は形式論理に則りかつそれを唯一にして普遍の推論形式と見做す思考による分析であり評価であるからだ。

ウィキペディア 「言語の起源」 項から

2015年01月09日 | 抜き書き
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90#.E3.82.A2.E3.83.97.E3.83.AD.E3.83.BC.E3.83.81

 言語を概ね先天的なものだとみなす人々の中には、―特にスティーヴン・ピンカーは―ヒト以外の霊長類の中で先駆者を特定することを考えようとせず、単に言語機能は通常の漸進的な方法で発展したに違いないという考えを強調する者もいる。

 言語を概ね先天的なものだとみなす人々の中には、―特にイブ・ウルベクは―言語は霊長類のコミュニケーションからではなく、それより著しく複雑である霊長類の認知能力から発達してきたと述べる者もいる。

ウィキペディア 「言語の起源」項 から

2015年01月09日 | 抜き書き
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90#.E3.82.A2.E3.83.97.E3.83.AD.E3.83.BC.E3.83.81

 言語を概ね先天的なものだとみなす人々の中には、―特にスティーヴン・ピンカーは―ヒト以外の霊長類の中で先駆者を特定することを考えようとせず、単に言語機能は通常の漸進的な方法で発展したに違いないという考えを強調する者もいる。

 言語を概ね先天的なものだとみなす人々の中には、―特にイブ・ウルベクは―言語は霊長類のコミュニケーションからではなく、それより著しく複雑である霊長類の認知能力から発達してきたと述べる者もいる。