読書日記と読書ノート第二部(2009年8月~2011年1月) 吉野三郎

退職してから読書中心の生活をしています。その日に読んだ本の感想を日記に記し、要点をノートに書いています。その紹介です。

203、アイザイア・バーリン「自由論」(みすず書房)-その2(2/4)-

2016-05-10 07:39:22 | 読書記録
(2)ノートから
➀自己の責任といいうるためには、行為者に選択の自由がある場合である。他になしえたにもかかわらず、今ある行為を自らの意志でなしたがゆえに、その行為に対して責任を負うのである。
➁ある人々を人間と呼ぶということは、彼らが価値あるとしているものが、われわれによっても価値あるものと認識できるものでなければならない、ということである。
③人間同士のコミュニケーションの可能性は、何らかの〈価値〉の共通性に基づいている。

➀古代アテネでは、公的生活から離れ一人でいる自由は、市民的自由とはみなされていなかった。
➁自由とは行為する機会が開かれていることであって、行為すること自体ではない。
③積極的自由…誰が主人か、誰によって私は支配されるべきか、にかかわる。
消極的自由…私が主人である領域はどれくらい広いか、にかかわる。
④積極的自由を、個人を超える全体、有機体、民族等への献身、と捉えると、自由は圧政の道具と化す。
⑤消極的自由=強者から弱者を守る砦(=人権)がないところにデモクラシーはない。
⑥法的自由は搾取、蛮行、不正の極とも両立する。
⑦市場経済がのさばる時は、対抗原理として積極的自由の概念が優勢となる。
⑧積極的自由はその反対物に、権威の物神化、抑圧の弁証に何度も転化した。

➀すべての価値(それらは本質的にあい拮抗している)を充たすような生活はできない。価値の選択、ある究極的な価値を他の価値のために犠牲にせねばならないことは、人間が置かれている境遇の永遠の特徴である。
➁人間の選択の領域を狭めることは、カント的な意味で、人間を害することである。
③パターナリズムは自由の条件は与えるが、自由そのものは与えない。
④自由のみが行動を決定しうる、あるいは決定すべき唯一の価値ではない。
⑤共通の規範への過度の熱狂は、とかく非寛容と人間の内面的生活の無視をもたらす。
⑥自治への参加は正義と同様に人間の基本的な要請であり、それ自体が目的である。
⑦自由それ自体に価値があると考えた人は、他人ではなく自らが選択する自由をもつことが、人間を人間たらしめる不可譲の要素であると信じた。
⑧もしも理性的に抑制され利用されるなら、権力が如何に集中しても良い、という教義は、まずもって自由を追求する中心的な理由を無視している。
⑨人間は要求と目的の核を備えた存在であり、この核はすべての人間に共通である。

➀完全デモクラシーの信念は、少数派ないは意見を異にする個々の人の不可侵的権利の信仰と両立するものではなかった。
➁問・答という理性的方法の価値をファシストは否定する。
③ホッブスはロックより核心的な問題については正しかった。すなわち、人間は何ら幸福とか自由とか正義とかを求めるものではなく、かえって何よりまず安全を求めるものである。
④フロイト。
人間がある信念を持っているのは、本人が気づいていない、気づきたいとも思わないような事件や経過が原因している、と説明し、人間性における理性的基礎の信用を失墜させた。
⑤仮借のない単調な苦役のみが、人間を自由の過剰、拘束の不足から守ってくれる。
⑥いろいろとものごとを問いただし多くの規制の規則を疑う傾向を統制し抑制すること、信頼感と安全感を与えることが、上部構造という枠の果たす役割となる。
⑦19世紀に絶頂に達したブルジョワ文化の光栄をなすものは、命令や慣習や、公に認められている最上の行動目標でさえも、無視することのできるあの幅広い権利に他ならない。
⑧社会を突き動かし推し進める力は、人民、神話、歴史神話、民族神話に求められるにいたった。
⑨選択しなければならない状況におかれると、人は不安にさいなまれる。
⑩持ち続けることは困難だが、放棄することはさらに困難な自由な選択の権利。
⑪時代が必要とするものは、もっと大きな信仰でも、強力な指導でも、より合理的な組織でもない。むしろその反対に、より少ないメシア的情熱、より多くの啓蒙された懐疑、各人の特質に対するより大きな寛容、その好みと信仰がほとんど多数者に受け入れられないような少数者の個人的自由の達成のためのもっと大きな余地、を与えることこそ必要なのである。
⑫人間は(不正、貧困、隷従、といった)悪と戦うことだけで生きているのではなく、個人的・集団的な積極的目標によって生きているし、それは大変さまざまであって、あらかじめ見通すこともできず、時には相互に両立しないものだ。

(つづく)

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