卍の城物語

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津軽観音巡礼第三十番 大光寺慈照閣

2009-03-22 02:18:07 | 神社・仏閣
津軽三十三観音霊場第三十番札所の大光寺慈照閣に行く。

沖舘を後にし、大光寺へ。
この地は群雄割拠の戦国武将たちの重要な戦場であったらしい。

鎌倉時代に曽我氏がこの地に大光寺城に入城する。
その後曽我氏は滅亡し、変わって安東氏の拠城となる。
室町時代、南部氏が津軽を統一し、南部氏が大光寺を重要拠点とする。
そして津軽為信が大光寺城の千徳政氏を奇襲し、落城する。

大光寺城は代わる代わるその時代の力のある武将の拠点となっていた。
その城は弘前城建築の為に取り壊され、大光寺城の大手門は弘前城の亀の甲門に移築されたものである。

大光寺城の古舘があったとされる場所の近くに観音堂はある。
保食神社の敷地内にあり、境内のまん前に社殿。左側に観音堂がある。

1577年、津軽為信は娘婿の健広に大光寺城の城主とした。
1603年、為信の娘は若くして病死した。菩提の為に三重の塔を建立した。
1606年、正観世音菩薩を祀った観音堂と、薬師如来を祀った慈照閣を建立。
1630年、三重の塔は落雷の為に焼失。
明治の大悪法・神仏分離令によって本尊は上納させられ、保食神社になる。
明治の中頃、千手観音像を安置して霊場復活。
昭和38年、社殿の新築により、宮殿が観音堂となる。

そんな歴史深いこの地。合戦の主戦場に何度となくなったこの地は、今では農地が多く、更に工業地帯としても発展している。

戦があったからこそ平和がある。それを心に受け止め、観世音にも感謝したい。

最後に大光寺慈照閣のご詠歌
~仏法に 名を得しいまの 大光寺 参る心も のちの世のため~

住所・平川市大光寺四滝本62

※無人神社です

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