共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はミヒャエル・ハイドンの誕生日〜ヴィオラ、チェロ、コントラバスのためのディヴェルティメント

2021年09月14日 17時35分15秒 | 音楽
今日は朝から雨が降ったり止んだりを繰り返す、生憎の空模様となりました。このまま涼しくなっていくのであればいいのですが、どうやら来週には暑さがぶり返すそうなのでなかなか安心はできません。

ところで今日9月14日は、古典派の作曲家ミヒャエル・ハイドン(1737~1806)の誕生日です。



ミヒャエル・ハイドンは



『交響曲の父』として知られているヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809)の5つ下の弟です。1755年までウィーンのシュテファン大聖堂の聖歌隊で歌うかたわらオルガン、ピアノ、ヴァイオリンを学び、1763年にはザルツブルク大司教宮廷楽団の楽長に就任しました。

1781年にはモーツァルトの後任として宮廷及び大聖堂オルガニストとなりますが、1800年にザルツブルクがフランス軍に占領された際に財産や給料を奪われてしまい、しばらくの間は兄ヨーゼフから送金を受けていました。その後1804年にはスウェーデン王立音楽アカデミーの会員に推薦されましたが生涯にわたってザルツブルクに留まり、1806年にザルツブルクで死去しました(享年69)。

どうしても兄ヨーゼフと比べられると地味な印象になりがちなミヒャエル・ハイドンですか、モーツァルトと同じく41曲もの交響曲や様々な協奏曲、大規模な宗教音楽などを遺しました。そして、



《魔弾の射手》で知られるカール・マリア・フォン・ウェーバー(1786〜1826)や、



多数のピアノ作品を作曲し、ベートーヴェンの《ディアベリ変奏曲》にも名を遺すアントニオ・ディアベリ(1781〜1858)といった作曲家を弟子にしていて、特にディアベリはミヒャエルのための葬送行進曲を作曲しています。

また、ミヒャエル・ハイドンとモーツァルトの親交が深かったことは有名で、例えばミヒャエルが6曲のヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲を依頼されたにもかかわらず体調不良で4曲しか書けなかった時には、モーツァルトがミヒャエルの代わりに2曲を補填して完成させました。逆に、モーツァルトが依頼された交響曲の作曲が間に合わなかった時には、ミヒャエルの交響曲第25番に序奏を書き足して交響曲第37番として演奏したりもしていました(この事実が判明した現在では交響曲第37番はモーツァルトの交響曲から欠番となっています)。

さて、そんなミヒャエル・ハイドンの作品の中から、今日は《ヴィオラ、チェロ、コントラバスのためのディヴェルティメント 変ホ長調》を紹介します。

この何とも地味な音色のトリオについてはいろいろと調べてみたのですが、ネットを駆使してもどういった来歴なのか全く分かりませんでした。ただ、この曲は自身でも何度か演奏したことがあって、個人的にとっても好きな曲なので載せてみた次第です。

全体は3つの楽章から成り、第1楽章は素朴なテーマとそれに基づく6つの変奏曲、第2楽章は如何にも古典好みといったメヌエット、第3楽章は軽やかなフィナーレとなっています。初秋の夕べに、中低音のみで構成されたミヒャエル・ハイドンの渋めの世界をお楽しみください。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日はジローラモ・フレスコ... | トップ | 爽やかレモンゼリーアイスティー... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。