共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

薔薇を観てゲーテを想う〜シューベルトとヴェルナー、それぞれの《野薔薇》

2023年04月20日 17時25分15秒 | 音楽
4月なのに、今日もまた夏日となりました。もう長袖シャツは御役御免でもいいかも知れない…と、本気で考え始めています。

今日は小学校勤務が無い日なので、涼しいうちに朝の散歩に出かけてみました。すると、道すがらのお宅の生け垣に



一重咲きのバラが咲き誇っていました。

こういう原種に近いバラを見かけると思い出すのが、ドイツを代表する詩人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749〜1832)が1771年に発表した詩を基にしたドイツ歌曲《野薔薇》です。ゲーテのこの詩には有名無名合わせると154もの曲が付けられていると言われていますが、有名なものとしては



言わずと知れた歌曲王フランツ・シューベルト(1797〜1828)のものと



同時代の作曲家ハインリッヒ・ヴェルナー(1800〜1833)のものとが挙げられます。

シューベルトの作曲した《野薔薇》は1815年、シューベルト18歳の頃の作品で


(シューベルトの《野薔薇》自筆譜)

弾むような伴奏にのせた軽やかなメロディが特徴的です。対してシューベルトより3歳年下のヴェルナーが作曲した《野薔薇》はシューベルトの作品に影響されて1829年に作曲したもので、



溌溂とした感じのシューベルトの曲に対してゆったりとしていて、より民謡的な印象が強いものです。

因みに日本語訳で歌われるときには、日本の訳詞家近藤朔風(1880〜1915)による


童は観たり 野中の薔薇
清らに咲ける その色愛でつ
飽かず眺む
紅匂う 野中の薔薇…


という美しい訳詞で歌われています。しかし実際のゲーテの詩を直訳すると、子どもと花との対話という可愛らしいものというより、むしろ女性を花に置き換えて思いっきり男女の関係を歌っています。

そんなわけで、今日はシューベルトとヴェルナーによるそれぞれの《野薔薇》を聴き比べていただきたいと思います。シューベルトの《野薔薇》の動画には直訳の字幕がありますので、近藤朔風の「童は観たり…」の和訳と実際のゲーテの詩との違いも御覧になってみてください。






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