宮沢賢治
2010-09-04 | 日記
いつも手元に置いている宮沢賢治の詩集は
ちょっと旅に出るときも、バッグに忍び込ませる。
そのせいか少し表紙が破れてきた。
「心象」という言葉はすでにあったが、
「心象スケッチ」という言葉は宮沢賢治のこの詩集が最初の用例らしい。
心象とは?と検索すると、まずこんなふうに出てくる。
<心の中に描き出される姿・形。心に浮かぶ像。イメージ。 「心象風景」
[類語]印象・感じ・イメージ・感触・第一印象・心証・インプレッション.>
おそらく宮沢賢治の「心象スケッチ」概念については
多くの研究や所説があるのかもしれないが、
わたしはただ、「心に浮かぶイメージの描写」として解釈している。
宮沢賢治は、レオナルドダビンチや、リスト、ランボーらの芸術家と同じく
「共感覚」の持ち主とされている。
彼の詩を読んでいると独特の広がりをもった透明な世界に入り込んでいく。
平面的ではなくて立体的な空間の中に、
美しく斬新な言葉があらゆる色をなして存在している。
それは言語のアートと言えるかもしれない。
先日、「こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる」で始まる「青森挽歌」を読んだ。
賢治の中のあらゆる賢治が顔を出し、
ただただひとつひとつの言葉が心に突き刺さり、沁み込んでいく。。。