源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

梶原の二度の駆け

2006-01-31 01:32:53 | 一の谷の合戦
【 平家物語 二度之懸 】
梶原平三景時は、河原兄弟が討たれたと聞き、「今は機が熟した。攻めよ」と命じ5百余騎が一度に喊声をあげて平家の大軍の中へ進撃し、さんざんに闘い、敵軍の中からさっと引いた。その時、長男源太景季がいなかった。

「どうした源太は」 「敵陣に深入りしてお討たれになったのでしょう」
「源太が死んでは生きてる甲斐がない、引き返せ」と景時は敵陣の中へとって返した。
平知盛 「梶原は東国で名高い兵ぞ、討ち取れ」
平三景時は、現太を探すため敵の大軍の中を縦、横、八方、十文字に駆け巡った。
源太は2丈ばかりの崖を後ろにして敵5騎のなかにとりかこまれわき目もふらず、命をおしまず、ここを最後と闘っていた。
梶原は、これを見つけ「源太、死んでも敵に後ろをみせるな」といって、親子で敵三人を討ち取り2人に傷を負わせた。

梶原平三景時「弓矢とりは攻めるも退くも状況によるのだ、さぁこい源太」
といって現太をかかえ馬にのせ、敵陣を出たのである。

※写真は「梶原の井」で別名「かがみの井」とも言われ、梶原景時がこの井戸の
 水を飲んで生田の神に武運を祈ったと言われています。

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8 コメント

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Unknown (やっちゃん)
2006-01-31 08:34:13
「攻めるだけが戦ではない。時には引く事も重要である」事を身を以って示したのですね。

この事は戦だけではなくあらゆる処世術にも通じていますね。
Unknown (しずか)
2006-01-31 08:47:33
やっちゃんさんのコメントを読んで、景時vs義経の逆艪をめぐる論争を思い出しました。

私も「時には引く事も重要である」に賛成です。



大河では悪役のイメージが強い景時でしたが、このエピソードを読むと、景時の息子を想う愛情が感じられます。
梶原景時 (merry)
2006-01-31 10:38:25
後の世で、義経がヒーローとして崇められるに対比して、悪者にされてしまったのが梶原景時ですね。

鎌倉を歩いていた時、「梶原3丁目」という住居表示を見て思ったのですが、梶原一族はその後、鎌倉幕府と共に栄えていったという事でしょうね。

Unknown (ラメール)
2006-01-31 11:14:57
やっちゃん、しずかさん&merryさん



 神戸はです。

そんな中、美女三人お揃いでのご訪問ありがとう。

ケーキでもどうぞ。



攻め込んでいったのは、河原兄弟や梶原親子など源氏方ですね。平家方は状態だったのでしょう。



女性は、押しの一手がゲットする秘訣と聞きましたが”本当ですか”。今頃、教えてもらっても手遅れですが、後世での参考のために。  
押しの一手 (しずか)
2006-02-01 01:06:03
やはり、それは人それぞれでしょうね。

私は、押されると引いてしまいます。(笑)

平安時代は文や和歌によって女性を振り向かせたのでしょうね。

光源氏の女性ゲットの秘訣は押しの一手だったようですが・・・
Unknown (ラメール)
2006-02-01 01:50:58
しずかさん

貴重なご意見ありがとう。



しずかさんの心をつかもうとすると難しいですね。押したら退かれる、待てば何時振り向いてもらえるか分からない。

こんなときどうしたらいいの。やっぱり押しですね。
Unknown (子孫)
2008-08-10 12:31:51
梶原は源氏側の人間なんですか?それとも平家側?
Unknown (ラメール)
2008-08-11 16:37:12
子孫さん
訪問とコメントありがとう。

文献から読んでみると梶原は、源氏ですね。
平家軍の最前線、生田の森(兵庫県神戸市)を攻めたときの話です。

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