【 平家物語 二度之懸 】
梶原平三景時は、河原兄弟が討たれたと聞き、「今は機が熟した。攻めよ」と命じ5百余騎が一度に喊声をあげて平家の大軍の中へ進撃し、さんざんに闘い、敵軍の中からさっと引いた。その時、長男源太景季がいなかった。
「どうした源太は」 「敵陣に深入りしてお討たれになったのでしょう」
「源太が死んでは生きてる甲斐がない、引き返せ」と景時は敵陣の中へとって返した。
平知盛 「梶原は東国で名高い兵ぞ、討ち取れ」
平三景時は、現太を探すため敵の大軍の中を縦、横、八方、十文字に駆け巡った。
源太は2丈ばかりの崖を後ろにして敵5騎のなかにとりかこまれわき目もふらず、命をおしまず、ここを最後と闘っていた。
梶原は、これを見つけ「源太、死んでも敵に後ろをみせるな」といって、親子で敵三人を討ち取り2人に傷を負わせた。
梶原平三景時「弓矢とりは攻めるも退くも状況によるのだ、さぁこい源太」
といって現太をかかえ馬にのせ、敵陣を出たのである。
※写真は「梶原の井」で別名「かがみの井」とも言われ、梶原景時がこの井戸の
水を飲んで生田の神に武運を祈ったと言われています。
梶原平三景時は、河原兄弟が討たれたと聞き、「今は機が熟した。攻めよ」と命じ5百余騎が一度に喊声をあげて平家の大軍の中へ進撃し、さんざんに闘い、敵軍の中からさっと引いた。その時、長男源太景季がいなかった。
「どうした源太は」 「敵陣に深入りしてお討たれになったのでしょう」
「源太が死んでは生きてる甲斐がない、引き返せ」と景時は敵陣の中へとって返した。
平知盛 「梶原は東国で名高い兵ぞ、討ち取れ」
平三景時は、現太を探すため敵の大軍の中を縦、横、八方、十文字に駆け巡った。
源太は2丈ばかりの崖を後ろにして敵5騎のなかにとりかこまれわき目もふらず、命をおしまず、ここを最後と闘っていた。
梶原は、これを見つけ「源太、死んでも敵に後ろをみせるな」といって、親子で敵三人を討ち取り2人に傷を負わせた。
梶原平三景時「弓矢とりは攻めるも退くも状況によるのだ、さぁこい源太」
といって現太をかかえ馬にのせ、敵陣を出たのである。
※写真は「梶原の井」で別名「かがみの井」とも言われ、梶原景時がこの井戸の
水を飲んで生田の神に武運を祈ったと言われています。
この事は戦だけではなくあらゆる処世術にも通じていますね。
私も「時には引く事も重要である」に賛成です。
大河では悪役のイメージが強い景時でしたが、このエピソードを読むと、景時の息子を想う愛情が感じられます。
鎌倉を歩いていた時、「梶原3丁目」という住居表示を見て思ったのですが、梶原一族はその後、鎌倉幕府と共に栄えていったという事でしょうね。
神戸はです。
そんな中、美女三人お揃いでのご訪問ありがとう。
ケーキでもどうぞ。
攻め込んでいったのは、河原兄弟や梶原親子など源氏方ですね。平家方は状態だったのでしょう。
女性は、押しの一手がゲットする秘訣と聞きましたが”本当ですか”。今頃、教えてもらっても手遅れですが、後世での参考のために。
私は、押されると引いてしまいます。(笑)
平安時代は文や和歌によって女性を振り向かせたのでしょうね。
光源氏の女性ゲットの秘訣は押しの一手だったようですが・・・
貴重なご意見ありがとう。
しずかさんの心をつかもうとすると難しいですね。押したら退かれる、待てば何時振り向いてもらえるか分からない。
こんなときどうしたらいいの。やっぱり押しですね。
訪問とコメントありがとう。
文献から読んでみると梶原は、源氏ですね。
平家軍の最前線、生田の森(兵庫県神戸市)を攻めたときの話です。