映画日記(ためし)

映画の印象を、悪い、ふつう、よい、の三段階で表現したいと思います。
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『消えた天使』

2007年08月09日 | Weblog
消えた天使 - goo 映画
ふつう

アンドリュー・ラウ 監督
リチャード・ギア、クレア・デインズ、アヴリル・ラヴィーン、ケイディー・ストリックランド、レイ・ワイズ、ラッセル・サムズ、マット・シュルツ、クリスティーナ・シスコ、ドウェイン・バーンズ、エド・アッカーマン、フレンチ・スチュワート 出演

長年性犯罪登録者の観察を続けてきた公共安全局のバベッジは、退任まであとわずかとなっていた。そんな彼の元に後任のアリスンがやってくる。バベッジはアリスンを連れ、実地訓練とばかりに担当登録者の元を訪れる。強姦を犯したエドモンド、夫がバラバラ殺人を犯し自らも3件の罪に問われたビオラらの家を回り、さらに車で移動する中、2人の元に誘拐事件の報が入る。

この映画の魅力はふつうの犯人捜しともうひとつ、「怪物に向かうものは、自らが怪物にならぬよう注意せねばならない」ということばが作中何度も出てくるように、リチャード・ギアの「闇」の部分の描き方なのだ。
ところが、その両方とも描き方が足りない。

カットがはやすぎて、もしかすると、字幕の問題(訳されていないことがある)なのかもしれないが……。

以下ネタバレ








リチャード・ギアの「闇」が違法な暴力として現れるが、最後にはダイナーで警官に止められる。しかし、そこでの暴力が観客が一番「しかたないな」と思えてしまって、あれで罷免されるというのがおかしい。
また、クレア・デインズの家に犬がけしかけられるが、明らかに犯罪が成立している。ここで警察に連絡するというのはできなかったのか?
アビゲイルという救えなかった女の子に対するこだわりも、もうひとつ説明不足。

途中犯人の(上半身が見えない)会話シーンがあるが、あのとき警官の制服を着ていなかったか?

登場人物の少ない作品で、犯人が助手席から話しかけたというヒントが出るのが早すぎる。

アヴリル・ラヴィーンがいやらしい美女役で出ているが、いやらしい美女に見えただけであった。