「わび」とは侘しいとか貧しいという意味です。しかし、茶の湯ではこれを美意識として、無駄なものがないけど、そこにはすべてがあるという宇宙観を美意識として取り入れたものだと思います。
「さび」とは錆びる、朽ち果てるという意味ですが、これも、例えば、何百年も敢然と残っている柱は、朽ちて見えるけど、敢然と存在感があり、その感じや風合いに味が出ている感じに美を感じる美意識だと私は解釈しています。
また、あるサイトのベストアンサーでは、わびとは、「つつしみ深くおごらぬこと」です。
また禅の師、清巌和尚は、さびについてこう言っています。
「茶の湯をする人は、大名なら大名らしく、金持ちは金持ちらしく、世捨て人は世捨て人らしく、それぞれに応じてするのが一番だ。」
つまり・・・わび、さびとは、存在感を失わず、且つ謙虚さを大事にすることです。自慢することは、もちろんとてもみっともない行為ですが、あまりにへりくだることも不自然なものだということです。
このアンサーを読んで、思いだしたのが大学の時の美術史の授業でした。ドイツ人の話になり、ドイツ人は収入の少ない人がお金持ちの友達を家に招待する時も、別に飾ることなくそれなりのもてなしをするそうです。お金がある人も招待する時は、それなりのもてなしをするそうです。それでもお互い卑屈になることもなく、おごることもないようです。日本人ってどうしてもこういう場合、見栄をはったりしがちですよね。
「わび さび」は質素な中にも物事の本質がそのなかにすべてあり、「足るを知る」ってことにつながるのかもしれませんね。日本の美学として大切にしたいですね。