真贋論争

ここは、オカ板の「JJ」の真贋論争からはじまる、EINHERJAR氏のにちゃんねるへの考察をまとめたブログです。

第22夜 #15

2007年06月24日 | 第22夜

例えば眼だ。
宇宙を俯瞰する位置から、大きな眼がジッと覗いているイメージ。
これなら他への物理的影響力は、有って無きが如しのようなものだ。
なぜ観察しているのか。
宇宙そのものが、自分が何者なのかを知りたがっているのだろう。
ひょっとすると、それは宇宙の「思考」「意思」「想い」なのかもしれない。
やがて宇宙は、反宇宙に飲み込まれてしまう。
反宇宙にも、(逆方向に流れる)憶子が存在する。
これは、生と死の両方を内包している二面体を意味し、この世の真理を表現している。
究極の選択肢だ。(オンかオフかの二択=電源のスイッチ)

表側の宇宙では、つかの間の実在感(表の膨張期間)を確かなものとするべく、自己
増殖する範囲内に仕掛けを作る。
それが物理法則だ。(重力・熱等)
物理法則を利用して、自分の分身を至る所に生み出した。(無から有が誕生=振動)
憶子は裏と表の宇宙や、あらゆる次元の隅々にまで流れ込んでいる。
神の息吹のようなものだ。
憶子は各次元へ合図を送り続け、それにより物理法則が発動し続ける。
死から生への脈動であり、0から1へ、1から2へ、そして静止した写真は、映画のフィルム
のような連続性を作り、そこに知的生命体の記憶が刻まれていく・・・・

些か観念的な世界像だが、よくある疑似科学なのでお許し頂きたい。

あの世には現世利益など関係なく、孤独な神がポツンと佇んでいるだけだ。
アインシュタインが妄想したスピノザの神のような絶対者ではなく、生まれた意味を
とても知りたがっていたのだろう。


神は、自らに似せて人間を作った。
その人間が不完全な生物ならば、神もまた不完全なのだ。
この不完全という歪みが、運動を作り、変化を生み、因果を紡ぐ。
神は、完全無欠な法則ではない。
けっきょくその本質とは、「独りぼっちの寂しさ」にある。
だから神は、この世の全てに「無」と「可能性」という形で、同時に存在する。
自分が生まれてきた意味を知るために。

水や空や火や石や木や虫や魚や鳥や獣や人や星や宇宙。
すべてが神のコピーであリ、神そのものである。
これらが全部、ひとつの宇宙を形成している。
ひとりひとりが孤独な神であり、孤独だからこそ意味を知りたがる。
そして愛されたいと願う。
愛を知らない孤独な人間は、自分の存在に何か意味があるのかと感じ、そして
不安な毎日を送っているのかもしれない。
しかしそれは神の心であり、神の迷いでもある。
何かを求めたがる不安な心は、それ自体に意味があったのだ。
だからこの世に生まれてきて良かったのだ。


人間には、あらゆる可能性が秘められている。
神は、縛り付けてなどいない。
最初から、オレ達は自由だった。


ゆえに予知能力ができたとしても、何ら不思議ではないのだ。


・・・・てな事を妄想しながら、オレはシェリー酒を傾ける。
窓の外からは、絶え間なく雨が降り注ぐのが見えた。
この薄汚れた板を、きれいに洗い流してくれそうな勢いだ。

なぜメロンの上に生ハムを載せるのだろうか、と疑問に思いつつ、フォークでハモン・
イベリコ・ベリョータを慎重に取り除き、季節外れの夕張メロンを食べていると、突然
事務所の電話が鳴った。
相手は、真贋スレに出入りしている情報屋だ。

「JJの野郎が横浜に現れた、というもっぱらの噂ですぜ」

轟く稲妻が、薄暗いこの部屋を青白く照らし出す。
JJか・・・・
久しぶりに聞く懐かしい名前だ。
奴は昔、この板に住んでいたのだが、一年前に謎の失踪を遂げている。
恨まれた奴に刺されたとか、借金を抱えて夜逃げしたとか、いろんな噂があった。
だがどうやら、アイツはしぶとく生き延びていたらしい。

すぐさまオレは、愛用のベスパに乗る。
外は土砂降りだった。
奴に会ってどうするつもりなのか。
その答えは、オレにも分からない。
せめてこの雨が、何もかも洗い流してくれる事を祈るだけだ。

 

(続く)


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