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異色のアニメ「幸福路のチー」が教える台湾民主化の変化と成長

2019-12-08 07:57:29 | 台湾 中台・国際関係

 異色のアニメ「幸福路のチー」が教える台湾民主化の変化と成長

2019年12月5日   WEDGEInfinity  野嶋 剛 (ジャーナリスト)

 『幸福路のチー』写真提供、© Happiness Road Productions Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.

 

【公式】映画『幸福路のチー』

 

 いまちょうど台湾では、4年に一度の総統選挙の投票日である1月11日に向けて、選挙運動が

盛り上がっている。日本以上に元気のある台湾の民主主義がどうして成り立ったのか知りたい人は、

この映画を見ることをオススメしたい。本作は「幸福路」という台湾に実在する場所を舞台に、

チーという少女の人生にスポットをあてながら、実は、1980年代までの戒厳令時代から、

民主主義の定着、2014年のひまわり運動まで、台湾社会の変化と成長そのものを描き出すという

仕掛けになっているからだ。


 宋欣穎(ソン・インシン)監督は、1974年生まれ、京都大学で映画理論を学んだだけあって

日本語も達者だ。本作のために、40人のアニメーターを集め、スタジオも作ってしまった。

会ってみて思ったが、創作に一切妥協を許さない頑固さと、多くの人々を粘り強くまとめる柔軟さの

両方を併せ持った個性の持ち主である。本作刊行と同時に、京都での生活を題材にした短編小説集

『いつもひとりだった、京都での日々』(早川書房)の日本語版も日本で同時に出版された。


 本作が台湾で公開されたのは2017年だった。ほとんど本格的なアニメ作品がなかった台湾なので、

最初の前評判が高かったとは言えなかったが、予想を超えるロングランとなり、世界各地の映画祭で

出品作に選ばれ、東京アニメアワードフェスティバル長編コンペティション長編部門グランプリなど

多数の映画賞を受賞した。


 本来は極めて台湾ローカルな物語である本作が、どうしてこれだけ世界で幅広評価を受けたのか、

ソン監督は、こう振り返る。


 「誰もがこの映画を見た人は、自分の人生を思い起こしてしまうそうです。私が育ったのは

台北郊外の新荘というところですが、ほかにも台湾にはあちこちに『幸福路』があります。

いろんな人から、私たちの家の近くの幸福路ではないですかと尋ねられました。文化や歴史は

違うはずなのに、外国人の観客からも、同じことを言われました」


 「幸福路」で育ったチーは、 両親や地域も期待するほどの優等生だったが、高校生のときに

湧き上がった民主化運動に衝撃を受け、医学部の道を捨てて、学生運動に熱中する。

だが、卒業後は仕事につけず、やっと探し当てた就職先のメディアでも、ひたすら原稿を書くだけの日々。

台湾での生活に見切りをつけ、米国人に渡って結婚したが、可愛がってくれた祖母の死をきっかけに

台湾に戻る。祖母との心の中で対話を重ねながら、自分の生い立ちや社会の変化を振り返り、

「あの日思い描いた未来に、私は今、立てている?」と自問する。


 物語は、ソン監督の歩んできた人生をモデルにしているが、創作の部分もある。

ソン監督は「この年代の女性は、周囲の期待に応えようと生きてきて、なんでも望んだものは持って

いるようにみえて、あまり幸福ではないような心境に陥るのです。

英語のタイトルは『オンハピネスロード』となっていますが、本当は『アンハピネスロード』、

あるいは『ロード・トゥ・ハピネス』かもしれませんね」と笑った。


 自らの才能に限りがあること、周囲の期待を上回れなかったことを受け入れることほど残酷で、

苦痛なことはない。そんな挫折も、大半の人が大なり小なり持つことだ。自分の才能の限界を知る

ところから人生が始まるということは多くの人々が深く共感するところであろう。だからこそ、

チーの独白に感情移入することができるのかもしれない。


 本作の感動のエンディングを一層美しく彩っている主題歌「幸福路上」を歌うのは、台湾の

トップ歌手の一人、蔡依林(ジョリン・ツァイ)だ。作品に感動して主題歌を引き受けた。

チー役の声優はこれも台湾のトップ女優の桂綸鎂(グイ・ルンメイ)、チーのいとこ役は台湾を

代表する映画監督、魏德聖(ウェイ・ダーシェン)である。無名の監督の初作品で、

しかもアニメ作に対して、これだけの有力者がそろって協力したことは、本作の成功に大きな

プラスとなった。いずれも本作の構想に触発されて応援団を買って出た人々だ。

 

 「幸福路」の途上にいるというのは、台湾自身も変わらない。

 本作のスタートであり、チーが生まれたのは、1975年の蒋介石総統の死去の年。

当時の学校では、台湾の地方言語である台湾語は禁止され、世界最長の戒厳令が続いていた。

1987年の戒厳令の解除、民主化運動。1999年の台湾大地震と初の政権交代。

そして、2014年のひまわり運動に至ったところで映画は幕を引く。


 これらの40年におよぶ台湾の現代史が、すべてこの作品に、巧みに盛り込まれていることに

驚かされる。いま、日本の高校から台湾には大勢の学生たちが修学旅行に出かけているが、

学校側はまず学生たちにこの映画を見てもらうべきであろう。

 

『ALWAYS 三丁目の夕日』のようなノスタルジー

 台湾激動の40年をすべて物語の内部のうまく詰め込みながら、お堅い政治映画ではなく、

むしろ『ALWAYS 三丁目の夕日』のようなノスタルジーが漂っている。そして、この映画は、

何度みても飽きることがない。私は台湾で一度、機内で一度、そして、この映画の日本公開に

あわせて試写会で一度。見るたびに異なるシーンに惹きつけられる。


 試写会で日本語字幕がついた本作を見たときに、一番グッと来たのは、主人公のチーが、

祖母から「不一樣就是力量(違うことが力なのよ)」と言われるところである。

 
 
 チーが表の主役だとすれば、最も強いインパクトを与える裏の主役はこの祖母である。

原住民のアミ族である祖母は、健康に悪いとされる嗜好品のビンロウを食べたり、飼っている

ニワトリを捌いたりして、チーに衝撃を与える。チーは同級生から祖母をバカにされ、祖母を

いったんは軽蔑しかけるが、そんな孫に対し、祖母はそう語るのである。


 同質性の高い日本から台湾に行くと、その多様性には驚かされることが多い。本省人、外省人、

客家人、16部族を数えるさまざまな原住民たちが暮らし、他人とは違うことが当たり前、

いやむしろ、他人と違うことこそ生きていくうえでのパワーになる、という考え方がある。

今後、外国人を多く受け入れることになる日本にもぜひ学んでほしいところだ。


 チーのように、激動の時代に生きることは、幸運ではあるが、幸福とは限らない。


 「私たちの世代は、私は13歳のときですが、戒厳令が解除された前と後で考え方が大きく

違う社会になり、価値観もかなり混乱しています。チーのように、子供のころは、親孝行で勤勉な

人間になるように教育で教え込まれました。でも13歳からは自由こそ大切だと教わるように

なったのです。民主化運動の時代は、みんなが社会を正しい方向に変えられると信じていました。

私も民主化運動に参加しましたが、いまの台湾を見ていると、いろいろな問題も多く、本当に

これでよかったのかと思うことも少なくありません」


 そう語るソン監督だが、時代に翻弄された人だけが持つ喪失感も創作力の源なのだろう

ソン監督は、処女作で世界を驚かせた。次の作品は実写映画になるという。ウェイ・ダーシェンの

次の世代を担う新しい才能の出現に、期待を持たずにはいられない。

 


  
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