自燈明・法燈明の考察

日蓮を切っ掛けとして、仏教やこの世界に対する思索を始めました。

開目抄②

2020年06月30日 09時32分41秒 | 日蓮仏法再考
 私が日蓮の御書に立ち返ったのは、単純に私が若い時代に基本にしたと考えているのが「日蓮仏法」だと考えていたからです。確かに男子部時代、私は創価班という創価学会青年部の人材Gに所属していたので、「池田先生」という言葉を口にしていました。しかし私の中の池田会長とは論師の一人であり、その思想の背景には日蓮の言葉が必ず必要であるという考え方を持っていました。

 何故、この様に考えたのか。それは創価班の中で「広宣部」というグループにいて、法華講や顕正会に対して「御書根本」という事を常に言っていましたので、やはり自分自身、そのこだわりは持ち続けていました。

 だから壮年部に移った当時、今でも覚えていますが、本部幹部会の同時中継で、池田会長が「師弟こそ仏法の究極なんです!」という指導を語った時には、あら、いよいよ池田先生も悩乱したのか。と正直思いました。

 涅槃経に於いては「依法不依人(法に依って人に依らざれ)」とありましたので、たとえ池田会長の言葉であったも、日蓮の御書や経典の裏付けが必要だと考えており、「仏法の究極は師弟」なんて文証(裏付け)を私は見た事がありません。


 だから創価学会がおかしいと感じた時、活動を離れた先輩の多くが「池田先生の御心を忘れた組織」を糾弾している事にも、違和感を感じる事が出来たと思うのです。創価学会の問題とは「思想性の問題である」というのが、私の感じていた事でした。

 さて、開目抄の背景と大意について続けます。
 日蓮は龍ノ口の処刑場で斬首されるところ、それを逃れ相模国依知の本間邸に預けられました。日蓮が本間邸に着くと鎌倉から使いの者が来たと言うのです。

「其の日の戌の時計りにかまくらより上の御使とてたてぶみをもちて来ぬ、頚切れというかさねたる御使かともののふどもはをもひてありし程に六郎左衛門が代官右馬のじようと申す者立ぶみもちてはしり来りひざまづいて申す、今夜にて候べしあらあさましやと存じて候いつるにかかる御悦びの御ふみ来りて候、武蔵守殿は今日卯の時にあたみの御ゆへ御出で候へばいそぎあやなき事もやとまづこれへはしりまいりて候と申す、かまくらより御つかいは二時にはしりて候、今夜の内にあたみの御ゆへはしりまいるべしとてまかりいでぬ」
(種種御振舞御書)

 これは幕府から「この僧は罪なき人であり、いずれ赦免される人である」という文を持ってきた使者であり、武蔵守(北条長時)は、今朝がた早朝に熱海へと湯治に出たというので、長時にその幕府の文を届ける前に知らせに来たと言うのです。

 これはつまり日蓮の斬首命令は幕府の正式命令ではなく、北条長時らの策謀であった事を示す内容です。北条長時は恐らく闇夜に乗じて日蓮を斬首にしようとしましたが、それが時の幕府の知れる事となり、熱海へ「湯治」という形で逃げたのでしょう。

 これで日蓮は一旦、命拾いをした事になりますが、張本人の北条長時はいまだ幕府の中で実権を持つ立場でもあったので、日蓮自身への危険性は何ら変わる事は無かったと言う事になります。

 よく龍ノ口の首の座を乗り越えて、勝利した姿で日蓮は佐渡に渡ったという様な事を言われていますが、実態としては一時的に難は過ぎ去りましたが、以前として日蓮自身の命は幕府から狙われる存在であった事は何ら変わりは無かったのです。

「依智にして二十余日其の間鎌倉に或は火をつくる事七八度或は人をころす事ひまなし、讒言の者共の云く日蓮が弟子共の火をつくるなりと、さもあるらんとて日蓮が弟子等を鎌倉に置くべからずとて二百六十余人しるさる、皆遠島へ遣すべしろうにある弟子共をば頚をはねらるべしと聞ふ、さる程に火をつくる等は持斎念仏者が計事なり其の余はしげければかかず。」
(種種御振舞御書)

 ここで日蓮が依知に一ケ月近く逗留する間、鎌倉では放火や殺人が相次いだという事が、ここで述べられています。そしてそれが日蓮門下の犯行であるという事が噂され、その結果として二百六十人以上、日蓮門下の名前があげられ冤罪に問われた事が述べられています。この様な状況の中で、日蓮は佐渡へと流罪されたのです。

 当時の日蓮を取り巻く社会情勢はこの様な状況でした。
 開目抄を送られたのは門下の中で四条金吾でした。日蓮は自分の法門の重要なものは富木常忍に送られる事が多かったのですが、この開目抄は四条金吾に対して送られています。そこを考えてみても、開目抄が観心本尊抄と対を為す「人本尊開顕の書」であるという事を、私は考えられないのです。

 日蓮が幕府の重臣である北条長時とその周辺にいる鎌倉仏教界の重鎮たちの策謀で斬首されようとしました。しかし幕府からそれを差止されました。その後、鎌倉の市中では殺人や放火が相次ぎ、それらの事がすべて「悪僧日蓮の弟子たちの所業だ!」とうわさが広がり、恐らく鎌倉の中では日蓮門下は大弾圧をかけられているという状況です。弟子である日朗も宿屋入道の屋敷の中の土牢に閉じ込められました。恐らく門下の信徒の中では殺害された人も多く居たと思います。

 要は日蓮教団としては存続の危機の状況でした。

 そんな状況の中で、日蓮は江間氏の家臣である四条金吾に対して送ったのが開目抄なのです。四条金吾は当時の鎌倉の中で、唯一、日蓮の代わりとして動くことが出来る人物であったのではないでしょうか。だから私はこの開目抄とは、命を狙われ、何時死ぬかもしれない日蓮自身の心中を述懐した書を渡し、いわば遺言として自分の志をこの書に認めたのではないかと思うのです。

 大弾圧を受けている門下に対して。「目を開いて欲しい」という思いを託して。

 その様な事から、この開目抄は単に「私が末法の御本仏なんだ!」なんて事を明かした様な書ではないと考えたのです。

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私の政治の考え方

2020年06月29日 19時23分35秒 | 思う事
 東京都知事選挙もいよいよ佳境に入ってきている様ですが、やはり新型コロナウィルスの関係もあってか、表立った盛り上がり感には欠けますね。まあ私自身は東京都民では無いので、今回の選挙については傍観者という立場ですが。

 創価学会の男子部時代の私であれば(且つ二十代から三十代前半という限定で)、選挙は有無を言わさず「公明党は支持決定した候補」の応援という事になると思いますが、当時の創価学会では、いわゆる首長選挙(地方自治体の長。知事)について公明党は自主投票という原則でしたので、その時々に考えて投票をしていました。

 しかし最近では公明党や創価学会も、首長選挙にもクビを突っ込み始めていますので、その状況は変化していますね。



 前回の都知事選挙では、都心部の組織の婦人部幹部あたりは「小池だけは都知事にしてはいけない!!」なんて会合で力説していた事を耳にしていますが、まあ都知事選の結果、小池都知事が誕生すると、都議会公明党のすり寄り方は半端なかったと私は記憶しています。

 なんなんですかね。
 まあ、そんな事はさておいて、この都知事選挙においても「れいわ新選組」が話題を集めていて、山本太郎候補なんかも精力的に熱い演説している様子をよく見ます。一般人目線で見れば、山本太郎氏は、その語る内容やそのキャラクタは受けが良いのかもしれませんが、私が思うに政治家は理念とビジョンを持つべきであり、そういう観点では山本太郎候補は申し分ないかもしれません。しかし政治家で都知事という立場になれば、当然、東京都庁という官僚組織を動かしていく必要が有る訳で、その為のブレーンが果たして彼の人の周囲に居るのか、そこが大きな疑問点です。

 一つ例を挙げれば、アメリカの大統領選挙では、選挙結果により日本の各省庁の局長クラスが全て入れ替わると聞いています。要は大統領の下には、それだけ厚いスタッフ層を持っているという事ですね。もし持っていなくても、大統領が人選して任に当てるので、それだけの人脈層を持っているわけです。

 東京都知事選挙でも同様な事が必要。そこまでは言いませんが、やはり周囲にブレーンを持っているのか、人脈層があるのか、そこはとても重要だと思うのです。

 以前、民主党で鳩山由紀夫氏が総理大臣となりました。
 その時に「沖縄米軍基地を県外に」とぶち上げたのは有名な話です。しかしその公約は即座に頓挫して、はやばやと鳩山内閣は「レームダック」となってしまったのは、皆さん、記憶している処ではありませんか?

 これもひとえに鳩山由紀夫氏の周辺に有能な「ブレーン」が居なかった為ではないか。私はその様に思えました。

 まあ後に鳩山氏は「週刊・プレイボーイ」の紙面で、内閣府の当時の官僚に対して不満を述べていましたよね。「(内閣府の)官僚たちはどこに忠誠心を持っているのかわからない」という様な言葉を。まあ現実の話として、日本の官僚組織は日米合同委員会という組織で、アメリカ太平洋軍と定期的な会合を持っているので、沖縄県のアメリカ軍基地を県外移設なんて、いきなり言った処で反故にされりのは当たり前で、総理のプレーンはそんな基本的な事ですら鳩山氏を守れなかったのか、何をやっていたのか、という事だと思うのです。

 この辺りについては、恐らく小池現都知事の方が、良い悪いは別にして一歩抜きん出ている様に私は思えます。宇都宮候補の周囲には既存の野党が集まっていますが、私は現在の野党には何ら期待すらしませんので、ここでは割愛します。

 あと山本太郎候補の周囲には、三色旗を片手に集まっている人が、そこそこ居ます。彼らにすれば、過去に夢見させたくれた公明党の理念の残滓を山本太郎氏に重ねている様ですが、もう少し冷静に政治を観る必要があるのではないでしょうか。

 民主主義でいう選挙というのは、自身の政治的な代弁者を選挙民が選択する行為です。政治にかける想いとは、人によって異なるものです。だから全てに置いて最大公約数的な政策を取りうるという事であり、すべての人々の理想を一人の候補で体現するという事は有り得ないと思います。また政治であれば、当然、他の権益者との利益調整が入ります。

 これを一般的に「政治的な妥協」とも呼びます。

 だから選挙で選択するのは常に「BETTER」であり「BEST」は有り得ないでしょう。その為に常に政治を監視して、選択した人を評価する目線が必要なのです。だから私は熱狂的な選挙運動という事に少なからず危惧を抱いてしまうのです。そしてそこに熱狂的な運動をする政治家の脆弱性を見てしまいます。

 実は選挙に於いては、冷静な目線で候補者を見ていく事が、とても大事であり、そんな冷静な支援者を多く味方に着けられる様な選挙運動が本当は必要なのではありませんか。いわゆる「ウォーム・ハート、クール・ヘッド」ですね。

 私は選挙に於いてサイレント・マジョリティを味方につけるには、そんな選挙運動である必要があると思っています。

 あと最後に一つ。
 野原義正氏等を巻き込んで、山本太郎陣営は、公明党の支援層に切り込みをかけるつもりなのかもしれませんが、創価学会の選挙というのは、そんなに生易しいものではありません。以前にYouTubeで野原氏の選挙活動を見ましたが、結果として公明党の支持層の表面を撫でる程度でしか影響は与えていませんでした。
 また野原氏にしても政治を見て動いている様に見えず、やはり彼は「古(いにしえ)の創価学会が幻想させた選挙」の目線でしかないように思え、社会に対する認識が未だ浅いように思えました。

 以上が都知事選を通して、私の政治に対する考え方の一端です。まあ五十代のオヤジの戯言だと思って頂けたら幸いと思います。

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開目抄①

2020年06月27日 11時50分30秒 | 日蓮仏法再考
 男子部時代には、かなり無茶苦茶な生活をしていたせいか、壮年部と言われる年齢になって生活習慣病を患ってしまいました。青年部当時は本当に「いつ死んでも良い!」なんて考えていましたので、寝る時間を惜しんで学会活動や仕事に没頭していましたから、当たり前と言えば当たり前なのでしょう。休日なんて年に一週間程度しか取っていませんでした。

 そういう事もあり、四十代を過ぎた時、体のあちらこちらが悲鳴をあげてしまい、定期的に通院する様になり、もう既に十数年ほど経ってしまいました。

 もう少し健康に留意して生活していれば良かったのかもしれませんが、こればかりは後悔先に立たずというやつで、致し方ない事なのでしょう。でも当時の私は真剣に「こんな自分の行動でも、社会平和の為になるなら」と考えていた訳です。
 だからまさか信濃町やら創価学会の周辺が、こんな体たらくであったとは、当初は認める事が出来なかった事を覚えています。

 私が日蓮の御書を読むというのも、そういう自分の人生を振り返るという意味もあると思っていまして、その意味で自分自身、淡々と進めているのです。

 さて、先日まで立正安国論について書かせてもらいましたが、その後、開目抄を読み始めています。



 さて、開目抄の事を語る前に、この開目抄に至るまでの前提について、少し書いてみたいと思います。御書講義でいう処の背景と大意という奴ですね。

 日蓮の波乱万丈の人生は、立正安国論の上呈から始まりました。立正安国論は最明寺入道時頼に対して、当時の鎌倉仏教界への指弾と、それを助長している幕府の姿勢に対しての手厳しい指摘でした。

 この御書を受け取った最明寺入道(北条時頼)は、よく過去の日蓮の映画や物語では暴君の様に書かれたりしていましたが、実際にそんな暴君だった場合、当時の北条家や鎌倉幕府を取り纏める事は出来なかったでしょう。様々な歴史の逸話に見える時頼像とは、周囲の意見について良く耳を傾ける人物であった様です。
 恐らく執事である宿屋禅門から手渡された立正安国論を読み、それを捨てることなく幕府要人に回覧させて、まずは幕府内の意見を求めたのではないでしょうか。

「賢王聖主の御世ならば日本第一の権状にもをこなわれ現身に大師号もあるべし定めて御たづねありていくさの僉義をもいゐあわせ調伏なんども申しつけられぬらんとをもひしに其の義なかりしかば」
(種種御振舞御書)

 当時の事を日蓮はこの様に述懐していますが、これは恐らく幕府内に回覧した期間が長かった事と思われます。日蓮にしてみたら、一世一代の上呈であった事から、それに対する幕府の回答を待ち侘びましたが、何ら回答も無く、無視されたと感じていたのでしょう。

 しかしこの間、実は幕府の中で日蓮に対する反感は、一部の要人を中心にして溜まり始めていたのでしょう。それが「松葉が谷の法難」として、上呈から一ヶ月経った頃に、日蓮の活動拠点である草庵への襲撃という形で顕在化しました。この背景には鎌倉仏教界と関りのあった北条重時が居たと思われます。これは日蓮の指弾に対して正面切って反論出来ない幕府内の事情があって、その為に、いわば「私的制裁(リンチ)」という形を採ったという事なのでしょう。

 拠点であった草庵を破壊された日蓮は、このあと一時期鎌倉を離れ、下総の富木常忍の下へ避難します。鎌倉幕府としては、これで日蓮は大人しくなると考えたのではないでしょうか。しかし日蓮は懲りずに再度、鎌倉の町に戻ってきます。そうなると幕府としてもその日蓮を放置する事は難しい事から、罪を作り上げ、日蓮を伊豆に流罪としました。

 この流罪というのは、社会から放逐する刑罰で、これにより日蓮は社会的には復帰困難になるところ、逆に伊豆流罪の中でも、地頭の伊東氏に対して病の平癒をもって信頼を得る様になり、二年半ほどで鎌倉へ戻ってきてしまったのです。その後、鎌倉に戻った日蓮は、いや増して活動を活発化させてしまったので、幕府としても忌々しく思っていたのではないでしょうか。

 そんな中、文永五年(1268年)に蒙古より日本に対して、再度、牒状届きました。恐らく幕府の中は、この蒙古国の牒状をめぐり、様々な議論が渦巻いていたのではないでしょうか。その中で日蓮は自身が立正安国論で預言していた「他国侵逼難」が眼前に見えてきた事から、危機感を持ったのでしょう。

「其の年の末十月に十一通の状をかきてかたがたへをどろかし申す、国に賢人なんどもあるならば不思議なる事かなこれはひとへにただ事にはあらず、天照太神正八幡宮の比の僧について日本国のたすかるべき事を御計らいのあるかとをもわるべきにさはなくて或は使を悪口し或はあざむき或はとりも入れず或は返事もなし或は返事をなせども上へも申さずこれひとへにただ事にはあらず」
(種種御振舞御書)

 日蓮の主たる相手は鎌倉の仏教界でした。だから「十一通御書」と言われる書状を、当時の鎌倉の大寺院や幕府の重役等に送りましたが、結果、この御書にもある様に、日蓮に対する悪口誹謗は日ごとに増して行ったのでしょう。

 しかし日蓮は一歩も怯まず、鎌倉仏教界を始め、時の幕府に対する指弾の姿勢を強めていきました。

 そして文永八年(1271年)の9月に、日蓮は幕府の評定所に呼び出されます。幕府にしてみたら、一度、話は公式に聞いてやる、という事だったのでしょう。
 またその翌日には北条得宗家の被官であり、当時の幕府の実力者である平左衛門尉頼綱に対しても諫言をしました。これは想像ですが、恐らく時の幕府内は、この蒙古国に対する姿勢でかなり動揺していたのではないでしょうか。そこに対して、幕府からみたら騒ぎ立てる日蓮を目障りだと思ったのかもしれません。

 結果、幕府の正式決定では無い「闇討ち的な斬首」という事が、執権経験者であり北条重時(この時には既に没して久しい)の子息であった、北条長時の独断で裁可されたと思うのです。

「これほどの悦びをばわらへかし、いかにやくそくをばたがへらるるぞと申せし時、江のしまのかたより月のごとくひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへひかりわたる、十二日の夜のあけぐれ人の面もみへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、太刀取目くらみたふれ臥し兵共おぢ怖れけうさめて一町計りはせのき、或は馬よりをりてかしこまり或は馬の上にてうずくまれるもあり」
(種種御振舞御書)

 ここで「龍ノ口の法難」と「光物伝説」が出てくるわけですが、光物については恐らくこれは何かの暗喩であったと思います。日蓮は御書の中で、様々な暗喩を用いています。一つは「生身の虚空蔵菩薩から智慧の宝珠」を受け取ったという話や、この龍ノ口に於ける光物もその一つでしょう。

 このあたりの考察については、山中耕一郎氏が自著の中で詳細に考察をしていて、私としてもその説を受け入れています。詳細は山中氏の書籍を見てください。

 ただ一つ思う事ですが、これを彗星とか流星という解釈をしている人もいますが、2013年にロシアのチェリャビンスク州に隕石が落下した時、多くの映像が記録されています。そこでは隕石に伴う衝撃波等が目に見える形でありました。しかし日蓮の光物については、同様の記述が、例えば鎌倉幕府の公式記録ともいえる「吾妻鏡」等にも記録されていない事から、そのような目に見える現象は無かったと見る事が正解かと思うのです。

 うーん、、、開目抄の背景と大意を語るつもりが、以外と長くなっています。
 この続きは次回に。

(続きます)

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GHOST、季節の小話

2020年06月26日 10時16分16秒 | 思う事
 まもなく七月。ステイホームが始まって四か月ほど自宅籠りをしています。仕事とは言っても、常に何かが求められてくる事ではなく、自分で考え、自分で動かす様な仕事でもあるので、暇な時にはめちゃ暇なんですが、まあストレスをため込まない様に、日々自宅籠りで仕事をしています。

 最近、自分の日課となっているのが、夏という事もあってYouTubeで、怪談・奇談の話を聞きながら、夜は寝落ちする事です。

 私自身、何か怪談を経験しているかと言えば、人間五十年ほど生きていれば、それなりに不可思議な経験をしています。ただ世の怪談の様な劇的な経験というのはありません。



 そのうちの一つを紹介すると、私の両親の田舎は東北地方のとある地方です。今では限界集落となっていて、あと二~三十年すると廃村になる様な場所です。私が二十歳の頃、夏になり田舎に行きましたが、その時には田舎の家(農家)には父親の兄弟夫婦が住んでいて、夜になって酒盛りをして盛り上がっていました。
 夜の23時頃でしょうか。家は田舎でもかなり山沿いに入った処なので、家の周囲は漆黒の闇ですが、いきなり玄関の引き戸が「ガラガラガラ・・・」と開いた音がしました。
 「あれ、こんな時間に誰か来たんじゃないの?」
 私がそういうと、叔父夫婦もその音を聞いていたので、玄関に行きました。しかし玄関は開いた形跡もなく、外は漆黒の闇です。
 叔父夫婦によると、玄関は酒盛りをしていた茶の間から、曇りガラスの敷戸一枚隔てた先にあったのですが、光も見えたとかで、懐中電灯でも持ってきたのではないか思い、玄関先に出たと言うのです。

 まあ特に怖い話ではありませんが、この世界にはこんな事もあるもんなんだと、初めて経験した事でした。

 YouTubeには日本の恐怖動画や海外の恐怖動画というのが沢山あります。中には如何にも合成動画だろうと突っ込みたくなるものがありますが、やはり不可思議なものがあったりします。

 ただこれら動画を見ていて感じたのですが、一言「恐怖(英語ではScareとか言っていますが)」と言っても、日本と欧米、また特異なところではアラブの国などでは、質が若干違うんですね。

 日本は静かに暗闇の中にゴソゴソと出てくるという感じのものが多くあります。欧米では者が飛んできたり姿が結構はっきり見えたり、音が明確に聞こえたり。アラブ等では騒がしさを感じたりしますが、要は文化とは民族性によって、一言で「心霊現象」と言っても、出方が結構異なっています。

 幽霊とか心霊が人類普遍的な現象であれば、なぜこの様に違うのか。
 これは民族はバックボーンの宗教いよって、感じる恐怖というのも異なるからかもしれません。

 私が思うに、恐らく心霊現象とは「人の心の中」から起きる現象なのではないでしょうか。これは勝手な解釈なのですが、例えば心霊スポットと言われる場所には、人の「念(最近いう残留思念)」みたいなものがあったりして、その思念に人の心が影響を受けて、見えないものが見えたり、物理現象が起きたりするのかもしれません。

 心理学者のカール・グスタフ・ユングというのは、「ポルターガイスト現象」という事について、真正面から研究したと言いますが、こういった現象も人の心に起因すると捉えていたようです。

 人の心というのは、実に不可思議なものですね。

 今回は夏の小話として、こんか事を書いてみました。

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日本という国の立場について

2020年06月24日 23時25分41秒 | 日本の歴史
 今日、子供と夕飯を食べていると、以下のニュースについて話題となりました。


 私の子供が言うには「トランプ大統領が日本に駐留するアメリカ軍の経費について、現状の4倍にあたる年間約8600億円の負担を求めていたというけど、何で日本はそれだけお金を負担しなければいけないの?この新型コロナでお金がない人が沢山いるんだから、断れば良いじゃん」というのです。

 子供というのは、至極全うな事を云うものです。私自身も、本当にその様に思います。しかしそうとはならないのが、今の日本という国でもあるのです。

 私はこの事を説明するのに、ドラえもんの物語の中にあるジャイアンとのび太の関係性を以って説明しました。

 ドラえもんの物語の中でも、主人公であるのび太は様々な無理難題をジャイアンから吹っかけられ、それを解決するためにドラえもんに助けを求めます。しかし今の日本には、この「ドラえもん」は存在しないのです。だから(トランプ)ジャイアンに言われたら断る事が出来ない状況、そんな処でしょう。

 何故断る事が出来ないのか。
 それは簡単な話で、日本は太平洋戦争でアメリカに敗戦し、その後、アメリカの軍門に下ってしまったのです。太平洋戦争でポツダム宣言を受諾し、武装解除され、日本は丸裸にされてしまいました。だからそれ以降、自国を守る術を無くしてしまいました。

 戦後の日本では、連合国最高司令官のマッカーサー元帥の思惑もあり、非武装中立の憲法を制定、戦争の放棄を詠う国となり、軍隊を持たない国となったのです。

 しかし太平洋戦争後、東アジアは東西冷戦の最前線となりました。

 アメリカを中心とした連合国は日本の武装解除を行いましたが、中国や朝鮮では共産党勢力が力を付け出し、中国では国民党軍と中国共産党による内戦が始まり、日本も共産主義の勢力が力を付け、ソビエト連邦の影響力も強くなり出しました。

 そして当時、ソビエトの後押しを受けた金日成が朝鮮民主主義人民共和国の独立を宣言、一方、南朝鮮ではアメリカの後押しを受けて大韓民国が独立し、まさに東アジアは東西冷戦の最前線となりました。

 マッカーサーはこの朝鮮の緊張が高まってきた時、日本の防衛を任せる為に、警察予備隊(後の自衛隊)の設立を吉田内閣に要請、この警察予備隊の掃海艇が朝鮮戦争で活動したのは有名な話です。

 非武装中立・戦争放棄を理想として詠ったのは良いのですが、結果として国際情勢はその姿勢を堅持させてくれる程、甘くはありません。結果、日本は自国の防衛を放棄した憲法を持ってしまった事から、アメリカ軍の傘の下に入る事を選択しなければならなくなり、結果として締結したのが「日米安全保障条約」だったのです。

 日本の国内の理屈はともかく、今の国際社会では軍備を持たない国家とは、いつ侵攻されてもおかしくないのです。国家の外交と言っても、その背景には常に「武力」というものが必要となります。この事は、各国の大使館には必ず「駐在武官」というのが存在する事実をみれば解るはずです。

 自国を守る軍隊を持たない国家が、完全なる自主独立国となれるほど、今の人類社会は成熟していないのです。またもし、非武装中立を貫き通すのであれば、尋常ではない外交力を持たねばならないのですが、悲しいかな今の日本にはそんな外交力を持てるほど、優秀な外交官は存在しません。

 結果として構造的にも、精神的にも、今の日本という国は、アメリカへの依存度が高くなってしまい、結果として先にある様に、ジャイアンの様な国であるアメリカであったとしても、その云う事を聞かざるを得ない状況となっています。

 こんな事を子供には説明しました。
 まあ、かなり端折った説明内容なんですけどね。

 では、日本が本来、自主独立の国家となるためには、どの様な事が必要なのでしょうか。私は幕末から明治に生きた、福沢諭吉氏の以下の言葉にある認識が、今の日本人の中で、まずは再度、醸成される必要があると考えるのです。

 「一身独立して一国独立す」

 過去、哲学者の中江兆民は言いました。
 「わが日本古(いにしえ)より今に至るまで哲学なし」

 確かに幕末から明治にかけて、日本は奇跡的とも言える自主独立を、東アジアの国の中で堅持する事が出来ました。これは偏に幕末から明治にかけて、元勲と後に言われた人達の中にあった哲学性によるものだと思います。しかし日本人総体として哲学性を醸成される事はありませんでした。

 そしてそれが結果として、大正から昭和初期にかけての外交戦の失敗と、軍部の独走、また国家機構の官僚化を進めてしまい、哲学性の無い国民は、そういう政治に振り回されてしまったのです。

 そしてその結果が太平洋戦争の敗北という事に繋がったと思います。

 ではその太平洋戦争で日本人が何を学んだかと言えば、実は何も学んでいません。戦後はただアメリカを始めとする連合国からの刷り込みの様に与えられた平和という言葉を学んだに過ぎないのです。そして走ったのは経済優先の国策をひたすら必死に走ってきました。

 極東軍事法廷で、戦争遂行した日本の国家の指導者たちは裁かれましたが、日本人として自国の行為すら、何も総括していないではありませんか。そういう国であった為、いま街中でデモ活動し、平和を訴えている若者の中にも、この人類社会の現実を認識していない者も多く居たりします。

 ある大学で非常勤講師をしていた人が、呆れていました。
 「有名な大学の学生でありながら、過去に日本とアメリカが戦争した事実すら知らない学生が多くいる」

 平和学者のガルトゥング博士が言った「憲法九条を安眠枕にした平和主義」。
 それは、この状況の日本を的確に表現している言葉だと思うのです。

 こんな事を書くと「では再軍備すれば事足りるのか?」と、短絡的に言ってくる人も多くいます。私が言っているのはそんな簡単な事ではありません。日本が陥っている状況とは、そんな根が浅いものではないのです。

 私自身、今の日本国憲法は改正すべきだと考えています。
 しかしそれは、現政権が言う様な「安直な改正」を支持している事では無いのです。

 その前に、今の日本に必要なのは、自分達の国の近代史をしっかりと理解する事、これがまず第一に必要な事です。そして第二に、「自主独立」とは、一体どの様な事なのか、先の福沢諭吉氏の言葉の真意を、多くの国民がしっかりと認識する必要があると思うのです。

 そういう意味では、今の日本に一番必要なのは「教育」なのかもしれませんが、教育にはしっかりとした、中江兆民氏の言う「哲学性」の裏付けがない限り、困難な事でもあるのです。

 それらの前提が揃った後、日本の国の中でようやく憲法改正への議論が出来ると言う事でしょう。

 これには途方もない時間が必要になります。よくよく考えると「不可能」に思える事ばかりです。しかしこれが出来ない限り、日本という国は結局、アメリカ・ジャイアンの言うがまま、生きて行くしか無いのかもしれませんね。

 辺野古の問題にしても、こういった前提が無い限り、根本的に解決する事は、私は難しい事だと思っています。


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