自燈明・法燈明の考察

日蓮を切っ掛けとして、仏教やこの世界に対する思索を始めました。

核兵器禁止条約の事について

2020年10月26日 10時58分11秒 | 思う事
 今週も始まってしまいました。来週からは11月なんですよね。朝の気温も下がってきていますので、体調管理と感染対策には気をつけて行きたいと思います。風邪のアデノウイルスやインフルエンザウィルスの感染経路は、基本的に新型コロナウィルスと同じですからね。

 さて、核兵器禁止条約が50カ国目にホンジュラスが批准した事から発効したと言う事で、日本としても参加すべきという話題がネットでよく見かける様になりました。確かに人類社会の上に核兵器があると言う事は、今の人類社会には極めて良からぬ事だと私も思いますので、核兵器廃絶はこの先、人類が地球という惑星の上で生きていく為には、極めて重要な事だという事は私も思っています。

 しかし一方で、この核兵器というのは「相手に甚大な被害を与える」という兵器であり、その破壊力が故に「核抑止力(核兵器を背景にした戦争行為を抑止する効果)」があり、国家にとっては極めて有用な側面もある事から「政治的な兵器」と言われています。

 理想論は全世界の国々が、この核兵器禁止条約を批准して、一刻も早く核兵器を無くせれば良いのですが、この政治的な兵器という事から、今回の条約には、主要な核兵器保有国は参加をしていませんし、その核兵器保有国の影響下にある国々も参加を見合わせています。

 これが今の人類社会の現実ですね。
 この社会の構成要素にあるのは、国家という民族やそれを代表する政府の利権を象徴する組織であり、その集合体として人類社会が出来上がっているので、この政治的な兵器は利権や国家のエゴが解消されない限り、核兵器というのは廃絶する事は不可能でしょう。

 また日本が世界の唯一の被爆国であるのだから、この核兵器禁止条約には参加すべきだという意見もあります。しかし日本とはアメリカ軍の勢力下にある国です。そしてアメリカ軍は当然、核兵器を大量に保有し、この世界の中で「核抑止力」を行使している軍です。
 だからもし日本が、核兵器禁止条約に参加をするのであれば、このアメリカ軍の「核の傘の下」から抜け出し、しっかりと軍事的に独立した国家でなくてはならないのです。そうでなければ、日本人がどの様に考えようと、世界の中で信頼を得る事は出来ないでしょう。

 近年、中国が尖閣諸島に公船をしきりに送り込み、圧力を掛けてきていますが、南沙諸島を軍事的に実効支配した中国が、尖閣諸島で攻勢をかけてこないのも、日本の後ろにはアメリカ軍がいて、日本とアメリカは軍事協定を結んでいる事があるからです。これは詰まるところ、核抑止力も働いているという事になると思います。

 核抑止力の恩恵を受けている日本が、その一方で核兵器禁止条約を締結し、そこで締結国が義務として設けられた条項を、果たして履行する事が出来るのでしょうか。

 それが今の日本が置かれている現状である事を理解しなければなりません。

 今の日本は、日米安全保障条約のもと、日米地位協定で縛られています。具体的に首都圏の上空の制空権は、アメリカ空軍の横田基地の管制を受け、アメリカ太平洋軍と、霞が関の各省庁の局長クラスは定期的に日米合同委員会で意見交換し、六本木などには米軍専用の軍事施設も置かれています。

 要は日本国と言っても、現実的には自主独立した国家ではないのです。もし日本が今の人類社会の中で、自主独立した国家となるのなら、しっかりと軍事的にも独立していなくてはならないのです。

 この辺りを、戦後の日本人は理解することなく来ていますよね。

 日本が国家としてアメリカのクビキから離れるには、やはり日本人としての意識改革が必要であり、そこが出来て初めて核兵器禁止条約という条約に参加する事が叶うと私は考えています。

 しかしその為には、しっかりと日本人として太平洋戦争を総括し、近代史における日本の行動を、日本人が自分たちで評価した歴史観を持たなければなりません。私は近年、活発化している憲法改正の動きに見られる様な、過去の日本への懐古主義で語られる歴史観が先行することに、とても危機感を持っています。具体的に言えば日本会議等で語られている歴史観や憲法改正の動きです。

 これは単に太平洋戦争の良からぬ亡霊を復活させるだけであり、この動きのままで行けば、日本はまた「いつか来た道」を歩まなくてはならなくなります。

 その為にも、情緒論ではなく、客観的な歴史観を日本は持たなくてはならないのです。

 日本の中に今ある、この核兵器禁止条約の話題には、この様な観点の話題というのは一切、出て来ていません。これでは日本は変わりようがないでしょう。いまある核兵器禁止条約を締結しようと言う議論とは、所詮、平和博士のヨハン・ガルトゥング博士の指摘する「憲法九条を安眠枕にした平和主義」でしかありません。これではいずれ、日本という国の自主独立を危うくするでしょう。

 この辺りの意識改革を日本人として行わない限り、日本が国際的にイニシアティブを取りながら、非核運動を先頭に立つことは、とても困難だと私は思います。

 あと一つ。これは公明党と創価学会の事について。
 創価学会では、第二代戸田会長が「原水爆禁止宣言」を発表したこともあり、多くの学会員は「創価学会こそ公明党を通じて日本政府に核兵器禁止条約への参加を働きかけよ!」と言っています。しかしご存知の様に、核兵器とは政治的な兵器であり、日本政府自体が雁字搦めの状態である事から、公明党がとやかく言っても、日本政府のスタンスを変えられるはずもありません。

 だから日本国内のローカル政治的な事は、早く見切りをつけるべきであり、現実的に公明党にはそんな能力は無い事を認めるべきです。

 それよりも、日本の政治から距離を置き、創価学会は創価学会として、独自に国際的な運動と連携を強くして、世界的な視点で、思想的に非核世界に向けたイニシアティブを取れる様に努力すべきなのです。

 しかし現実的には、今の創価学会はあまりに日本の政治の世界に深入りし過ぎていますよね。もうこの時点で創価学会としても雁字搦めの状態であると言っても良いでしょう。しかもこの事を理解できる会員も、殆ど皆無な状態です。

 だから私は今の創価学会や公明党に、期待の「きの字」すら持つ事をしないのです。むしろ多くの活動家幹部達に、間違えた非核論を広げていて、結果として有害な存在であると思っています。


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