自燈明・法燈明の考察

創価学会が本来信じるもの②

 今日は天気が良いので、どこかへ行きたいなと思っています。思うに人の一生の時間というのはとても短いですね。人生、最近では八十年時代と言われていますが、自分の思うように生きれるのは、やはり二十五歳前後からだと思いますので、そこからでも半世紀程しか無いのです。私の場合、その半世紀のうちの半分近くは創価学会で生きてきましたので、残りの時間は出来るだけ有意義に過ごしたいと考えているのです。

 さて、前回の記事では私が考えている法華経の意義、またそれに基づくお題目という事について、少し書いてみました。私は創価学会から離れ、今年で十年年以上経過していますが、その間で自分が信じてきた事について思索し、そんな事を考えながら生きてきました。
 人生ですから、この十年以上の時間の間、そりゃ修羅場とまでは言いませんが、それなりに苦悩して呻吟してきた時期もありましたが、そこに飲み込まれない様に、自分自身を信じて生きてきました。



 創価学会では日蓮の文字曼荼羅(御本尊)を何があっても捨てることなく、信じてお題目を唱えて行けば、乗り越えられない事は無いと教えています。しかし私が青年部の時には、真面目に御本尊とお題目を信じ、池田氏の言葉を信じて生きてきた人でも、人生の様々な苦悩に飲み込まれ、転がり落ちる様な人を見てきました。
 そう言った事を創価学会では「個人の信心の問題」と言い、あくまでも自己責任の範疇の事として片付けていて、それとは別に創価学会の信心には力があり、間違いは無いと主張しています。

 創価学会では日蓮の文字曼荼羅を「それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり」と言いますが、この文字曼荼羅は日寛師が述べた様に功徳聚で、それに祈れば全ての祈りは叶うと教えています。しかし、なぜお題目を具現化したものが、全ての祈りを叶える掛け軸になるのか、そこは全く説明がありませんね。

 「全ての根本の法」とは、欧米人が近年になって言う様な「秘密の法」だとでも言うのでしょうか?

 日蓮の文字曼荼羅とは「十界曼荼羅」と呼んでいますが、そこにはお題目を中心にして、様々な存在が配されています。釈迦・多宝如来という二仏がお題目の両脇にあり、それに対する姿で地涌の上首四菩薩や迹化の菩薩、二乗の聖人達、様々な天界の大王たち。そしてここには天子魔(第六天の魔王)も配されています。その他、人界の大王や仏教の四依の大士。また竜王等の人ならざる存在から、日本古来の天照大神や八幡大菩薩等などが配されています。この文字曼荼羅の意義について、日蓮は以下の様に述べています。

「此等の仏菩薩大聖等総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。」
(日女御前御返事)

 ここではこれら文字曼荼羅の人々が「妙法の五字の光明」に照らされる事で「本有の尊形となる」とあります。
 日蓮が文字曼荼羅で認めた様々な諸尊は、経典や様々な仏法説話に登場する人や人ならざる存在ですが、それらは私達の心の中に全て具わる存在だと捉えるべきです。これを要約して言えば、私達の中には「釈迦・多宝」の様な心から、「第六天の魔王」、そして人の命を食らう鬼子母神や十羅刹女など「人ならざる存在」の様な心も存在します。しかしそういった私達の「心の中の存在」も、「妙法の五字の光明―御題目」によって、本来具わる「本有の尊形―そもそもあるべき尊い姿の働き」になるという事を表しているというのです。

 これは先の記事で述べた事を、シンボリックに表現したものという事になると私は考えています。人生の中には様々な出来事があり、それを縁に様々な感情が湧き出てきますし、それに振り回されてしまう事もあります。しかし日蓮の唱えた御題目に代表される思想とは、そういった全ての良い事、悪い事が全て人生にとって意味ある事だという事。つまり文字曼荼羅とは法華経にある一念三千の思想、つまり日蓮の思想をシンボル的に表現したものなのではないでしょうか。

 こうなると創価学会の言う「全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したもの」という内容が、少し違った意味で認識できると思いませんか?

 創価学会でよく言うのは「御題目の妙の字の一点を凝視して必死に祈りなさい」なんて事ですが、そもそもそんな「祈りを叶える」という為の文字曼荼羅ではなく、日蓮の思想をシンボル的に表現したものであれば、けしてこの御本尊そものもを「功徳聚」と言う事自体、誤解を招いていると思うのです。

 人が悩み苦悩するのは、自分自身の心が理解出来ていないから。その心の姿という事を理解すれば、生き方とか考え方も変わってくると思いますし、仏教の考え方というのは、そもそもそういった事ではないのかな。そして日蓮の説いた思想というのも、その系統の上にあるものだと私は理解しています。

 まあこれは私個人の私見ですけどね。

(続く)


クリックをお願いします。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日蓮仏法再考」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事