クロスバイクで元気

念願叶った定年退職の身は、先立つ物は細く時間は太くの狭間。
歩いて、自転車に乗って感じたことを、気ままに書き続けます。

トウダイグサ科は、私を興奮させる

2020年10月04日 20時51分15秒 | 雑草
トウダイグサ科の草々は美しい。私の心を捉えて離さない。
今日はショウジョウソウに初めて出会いました。それも群生しています。
その後は、オオニシキソウ。今、あちこちで見られます。
人が踏み入れないところの姿は、じっといつまでも見ていられます。興奮しながら。
トップの写真は、ショウジョウソウ。


オオニシキソウ。

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キーワードは「有象無象」、丸木位里が描いた世界

2020年10月04日 13時51分37秒 | 美術展
昨日は、岡村幸宣さん(原爆の図丸木美術館学芸員)の講演「流れる水の批評精神―丸木位里の絵画と生き方」を聴いてきました。
今、一宮市の三岸節子記念美術館で開催されている特別展「墨は流すもの―丸木位里の宇宙―」(9月1日(火)〜10月11日(日))の関連行事として開催されたものです。
折からのコロナ禍が続く中、講演会場の入口には、左右両側に手指の消毒液が置いてあります。
開場前の係員からの注意事項として、入室の際には必ず消毒液を用いて消毒すること、そしてマスクの着用が必須のアナウンスがあります。
講演会場では、椅子もまばらに置かれています。関係者と指定された前2列の椅子を避けて、3列目の椅子に着座、さぁ、講演会はもうすぐ始まります。

興味深いお話が続きました。書き出したメモを転記します。メモ間違い、私の勘違いがあれば、ご容赦願います。

1901年(明治34年)生まれの位里が丸木月吼(げっこう)の名で初めて公募展に挑戦した(第5回広島県美術展)のが1920年(大正9年)であり、ちょうど100年の節目となる今年回顧展を開催。広島、愛知、富山県を巡回中とのこと。
 奥田元宋・小由女美術館(広島県三次市)・・7月2日(木)~8月16日(日)
 一宮市三岸節子記念美術館
 富山県水墨美術館(富山市)・・11月13日(金)~12月27日(日)
3会場では、作品の入替がそれぞれあって、合計では7期の作品展となっている。

位里は、その画業に置いて、様々な師、絵画団体との出会いがあり、時として離れていった。
 尋常小学校時代の近所の青年。
 川端龍子の「青龍社」では、『会場を美術する』大画面。
 歴程美術協会からは、因習的なる技術に囚われない革新的な日本画制作。
 マックス・エルンストの作品からは、シュールレアリスムの影響を受けた。
 夫婦となった俊との共同制作(ある意味、競作)に置いては、お互いに自己主張するのでなく、相手の自己を尊重して作品創りをしたのではないか。

たくさんの作品が、講演会場のスクリーンに映し出されました。
強く印象に残ったのは、「崇圓の像」(1939年)と「狭壁」。
「崇圓の像」は、友人崇圓の肖像画を意味しているようですが、描かれているのは画面向かって左側にぼんやりと立つ人影らしい黒い影。
そして画面右上には、丸く光る輪が。岡村さんは、さらっと『日輪です』。
そして「狭壁」は断崖絶壁の岩肌が立ち上がるその前面に、うっすらと描かれた緑色の樹木が数本。
「狭壁」は作品が紛失しているそうで叶いませんが、「崇圓の像」はいつしか実際の作品を拝見したいものです。
2つの作品とも、位里の心の奥底を素直に表出してるようで、私を包み込む丸い空気で溢れていました。

俊の中心性を重んじた絵と対比するかのように、位里の絵は『はみ出す絵』の性向があるとか。
極端な例として、縦横を替えて展示したことが2作品にみられる。

位里の絵には「有象無象」の精神が溢れてる。といっても、でたらめと言うことはなく、自由に描き切る、自己を超えた、無意識である自己さえ超えた自由な表現の世界を求めた。
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