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世界のメディアから、「バーチャル・マトリックス・タイムマシン」に掲載するために集めた面白そうな情報を紹介します。

フランスの画家オディロン・ルドンが生まれた。

2019-04-20 23:23:20 | 人物


ArtDailyは2019年04月20日に、フランスのシンボリズムの画家で、版画家で、ドラフト家で、パステル画家であったオディロン・ルドン(Odilon Redon/1840 - 1916)が1840年04月20日にベルトラン-ジャン・ルドン(Bertrand-Jean Redon)として、南フランスの大都市ボルドー(Bordeaux)で生まれたと報告した。

https://time-az.com/main/detail/64045

建築家の父ベルトラン・ルドン(Bertrand Redon)のファーストネームを引き継いだ。

しかし、母マリーの通称「オディーユ (Odile)」に由来する愛称「オディロン (Odilon)」で、自他ともに終生この名を用いた。

ベルトラン-ジャン・ルドンは父親の跡を継ぐため、350年間以上にわたる歴史があり、建築、絵画、彫刻の分野に芸術家を輩出してきたENSBA(École nationale supérieure des Beaux-Arts/エコール・デ・ボザール)の試験を受けたが、合格できなかったことから、建築家になる夢は挫折した。

弟のガストン・ルドン(Gaston Redon)は建築家となり、世に作品を残している。

これは、ベルトラン-ジャン・ルドンにとって、大きなコンプレックスとして、生涯残ったことだろう。

しかし、現生まで名前が残っているのは、オディロン・ルドンであった。

病弱で内向的な子供であったオディロン・ルドンは、生後2日目にボルドー近郊の町ペイル=ルバード(Peyre-Lebade/シャトー・ペイル=ルバード)へ里子に出され、11歳までの少年期を寂しい田舎の地で親元を離れて過ごしたとされる。

20歳の頃、植物学者アルマン・クラヴォー(Armand Clavaud. 1828-90年)と知り合い、顕微鏡下の世界に魅せられるようになり、のちにオディロンが制作した版画には植物学の影響が見られる。版画集『夢の中で』はクラヴォーに捧げたものであった。

しかし、1800年代は、顕微鏡にのめり込んだのは、ルドンに限らなかった。
多くの人が、顕微鏡の世界にのめり込み、なんでも顕微虚で観察していたことが、当時のイラスト新聞に紹介されている。
例えば、マーガリンを顕微鏡で観察して、それが原油に似ていることを発見し、牧草から、石油を作ろうとした人もいた。

まさに、ニュートンが好きだった錬金術の世界であった。

1864年、パリに出てジャン=レオン・ジェロームに入門したが、数か月でやめ、ボルドーに戻って放浪のボヘミアン画家として知られた銅版画家ロドルフ・ブレダン(Rodolphe Bresdin/1822 - 1885)の指導を受け、1878年頃にはアンリ・ファンタン=ラトゥール(Henri Jean Théodore Fantin-Latour/1836 - 1904)から石版画(リトグラフ)の指導を受けている。

今回公開された作品は、オディロン・ルドンによる「The beasts of the sea, round like leather bottles(革のビンのように丸い海獣)」のディテール。

1896年の聖アンソニー誘惑のプレート22(The Temptation of Saint Anthony)リトグラフ。The Kirk Edward Long Collection, 2010.60.22
プレートサイズ:8-3/4インチ×7-1/2インチ。

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