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世界のメディアから、「バーチャル・マトリックス・タイムマシン」に掲載するために集めた面白そうな情報を紹介します。

ロシア生まれのフランス人イラストレーターのエルテが死去。

2019-04-22 00:09:05 | 人物


ArtDailyは2019年04月21日に、ロシアのサンクトペテルブルク(Санкт-Петербург/Sankt Peterburg)でロマン・ペテロビッチ・ティルトフ(РоманПетровичТыртов/Roman Petrovich de Tyrtov/1892 - 1990)として、16世紀に遡る名家に生まれたフランス人のアーティストでデザイナーは、そのイニシャルからエルテ(Erté)として知られたロマン・ド・ティルトフ(は1990年04月21日にフランスのパリで死去したと報告した。

https://time-az.com/main/detail/64057

彼は15歳のとき、1907年に1年間パリに住んでいたが、この時期に「私はビアズリーを発見していないうちに、パリに1年間滞在していました。」と言っている。

この時に、エルテは「Demoiselleàla balancelle」というアールヌーボーの彫刻を作っている。
しかし、その作品は、非常にマイナーなものとみなし、彼の正式な伝記には表示されないが、「ERTE PARIS 1907」と彫刻に彫り込んでいる。

エルテは一般に、アール・デコの父「The Father of Art Deco: Erté」ということになっている。

エルテは1910年から1912年にパリに移転し、パリでは1933年に王子が死ぬまでニコラ・オロウソフ(Nicholas Ourousoff/1879 - 1933)王子と一緒に住んでいた。

エルテは、1915年から1937年の間に、「ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)」の200以上の表紙をデザインし、「イラストレイテド・ロンドン・ニュース(The Illustrated London News)」、「COSMOPOLITAN」、「レディーズ・ホーム・ジャーナル(Ladies' Home Journal)」、「ヴォーグ(VOGUE)」などにも彼のイラストレーションが掲載された。

彼は、20世紀のアーティストで、デザイナーで、ファッション、宝石類、グラフックアート、衣装、および映画、劇場、オペラのためのセットデザインを含む、多彩の能力で知られていた。

絶対安静を強いられ、余命3年と宣告さたカメラマンの病室写真!

2019-04-21 16:36:05 | 人物


毎日新聞は2019年04月20日に、血液のがん、多発性骨髄腫を患う大阪のカメラマンの高橋貴久男が、入院中のベッド高さ1mから見た景色。

全身の骨を溶かす症状が出るため絶対安静を強いられたが、そこから見えるすべてを撮り続けたと報告した。

「病室写真家TAKA」と名乗る高橋貴久男の作品は注目を集め、退院後の今も写真展が各地で開かれている。

写真集も出版予定。「世界中のがん患者を励ましたい」と笑顔で夢を語る。

https://time-az.com/main/detail/68227

2015年秋、突然背中に激痛が走った。
当初は原因不明とされたが、翌年夏に倒れて受けた検査で、がんと診断された。

発症するのは10万人に数人とされる珍しい病気で、骨が溶けるため、首にコルセットを着けられた。首の骨を痛めて神経が傷つけば、全身がまひするなどの恐れがあり、医師から「余命3年」とも言われた。

首への負担を減らすため、病室のベッドの角度は45度に固定。その目線の高さが1メートルだった。

何も考えられない日々が続いたが、ある朝、病室の窓から見える朝焼けに心を奪われ、持ち込んだカメラのシャッターを夢中で切った。

抗がん剤によるさまざまな副作用に苦しみ、痛みも消えることはなかったが、寝たきりでもファインダーをのぞくと少し和らいだ感覚があったという。

それは、病室写真家が誕生し、がんと向き合う気持ちになれた瞬間だったという。

看護師が別の患者の世話をする姿が、夜中の窓に反射した瞬間を捉えた一枚は「私にしか撮れない写真」。

入院中に5000枚以上撮った。

現在も活動を続けており、兵庫県芦屋市呉川町の「木口記念会館」で、2019年04月22日まで18回目となる写真展が開かれている。

支援の輪は広がり、写真集出版も決まった。

「病室写真家TAKA」は「8月の誕生日ぐらいでちょうど『余命3年』を生き抜いたことになる。その記念に出版したい」と、支援者らと準備を進めている。少しでも多くの病院に写真集を置いてほしいと願う。

そういえば、1970年代にベトナム戦争と子供達について運動していた画家の個展を偶然見つけ、彼の作品を雑誌に掲載したのを思い出し、画廊に入って、話していると、その画家は、癌になり手術をして、太れなくなったと聞いていたところに、突然本人が現れた。

もちろん、私んことは忘れていたが、少し話して雑誌の名前を言うと、思い出したようだが、私のことは思い出さなかったようだ。その雑誌の特集を組んだのは私だったが、50年も前のことであり、あえて言わないで帰ってきた。


フランスの画家オディロン・ルドンが生まれた。

2019-04-20 23:23:20 | 人物


ArtDailyは2019年04月20日に、フランスのシンボリズムの画家で、版画家で、ドラフト家で、パステル画家であったオディロン・ルドン(Odilon Redon/1840 - 1916)が1840年04月20日にベルトラン-ジャン・ルドン(Bertrand-Jean Redon)として、南フランスの大都市ボルドー(Bordeaux)で生まれたと報告した。

https://time-az.com/main/detail/64045

建築家の父ベルトラン・ルドン(Bertrand Redon)のファーストネームを引き継いだ。

しかし、母マリーの通称「オディーユ (Odile)」に由来する愛称「オディロン (Odilon)」で、自他ともに終生この名を用いた。

ベルトラン-ジャン・ルドンは父親の跡を継ぐため、350年間以上にわたる歴史があり、建築、絵画、彫刻の分野に芸術家を輩出してきたENSBA(École nationale supérieure des Beaux-Arts/エコール・デ・ボザール)の試験を受けたが、合格できなかったことから、建築家になる夢は挫折した。

弟のガストン・ルドン(Gaston Redon)は建築家となり、世に作品を残している。

これは、ベルトラン-ジャン・ルドンにとって、大きなコンプレックスとして、生涯残ったことだろう。

しかし、現生まで名前が残っているのは、オディロン・ルドンであった。

病弱で内向的な子供であったオディロン・ルドンは、生後2日目にボルドー近郊の町ペイル=ルバード(Peyre-Lebade/シャトー・ペイル=ルバード)へ里子に出され、11歳までの少年期を寂しい田舎の地で親元を離れて過ごしたとされる。

20歳の頃、植物学者アルマン・クラヴォー(Armand Clavaud. 1828-90年)と知り合い、顕微鏡下の世界に魅せられるようになり、のちにオディロンが制作した版画には植物学の影響が見られる。版画集『夢の中で』はクラヴォーに捧げたものであった。

しかし、1800年代は、顕微鏡にのめり込んだのは、ルドンに限らなかった。
多くの人が、顕微鏡の世界にのめり込み、なんでも顕微虚で観察していたことが、当時のイラスト新聞に紹介されている。
例えば、マーガリンを顕微鏡で観察して、それが原油に似ていることを発見し、牧草から、石油を作ろうとした人もいた。

まさに、ニュートンが好きだった錬金術の世界であった。

1864年、パリに出てジャン=レオン・ジェロームに入門したが、数か月でやめ、ボルドーに戻って放浪のボヘミアン画家として知られた銅版画家ロドルフ・ブレダン(Rodolphe Bresdin/1822 - 1885)の指導を受け、1878年頃にはアンリ・ファンタン=ラトゥール(Henri Jean Théodore Fantin-Latour/1836 - 1904)から石版画(リトグラフ)の指導を受けている。

今回公開された作品は、オディロン・ルドンによる「The beasts of the sea, round like leather bottles(革のビンのように丸い海獣)」のディテール。

1896年の聖アンソニー誘惑のプレート22(The Temptation of Saint Anthony)リトグラフ。The Kirk Edward Long Collection, 2010.60.22
プレートサイズ:8-3/4インチ×7-1/2インチ。


マレーシアのマハティール首相、米誌の影響力ある100人に選出。

2019-04-20 10:07:41 | 人物


アジア経済ニュースNNA ASIAは2019年04月19日に、93歳のマレーシアのマハティール(Mahathir bin Mohamad/1925 - )首相は、米誌タイム(TIME)が選んだ「2019年の最も影響力がある人物100人(TIME 100: The Most Influential People of 2019)」に選ばれたと報告した。

https://time-az.com/main/detail/68212

オンラインニュースサイト「サラワク・リポート(Sarawak Report)」の編集者、クレア・ルーカッスル・ブラウン(Clare Rewcastle-Brown)は同誌上で、マハティール首相を「恐ろしい老軍馬(formidable old warhorse)」などと形容し、昨年の総選挙勝利で政権交代を実現した経緯を紹介。「マハティール氏の選挙戦は多くの群衆を集めただけでなく、核心的価値観をよりどころとしたことで有権者の団結を生んだ」などと指摘した。

同氏はその上で「全体主義にほぼ傾きかけていたマレーシアに民主主義を取り戻した」と功績を評価した。



マハティール首相は今回、指導者部門でのトランプ米大統領、ニュージーランドのアーダン首相、イスラエルのネタニヤフ首相、パキスタンのカーン首相、中国の習近平国家主席らと並んで選ばれた。

ただし、影響力あるということは、それだけ行動に責任があり、また同時に迷惑な人たちとも言える。

障害のある議員が、極端に少ない。

2019-04-19 16:39:21 | 人物


毎日新聞は2019年04月17日に、統一地方選で障害を持つ人たちが選挙戦に挑んでいる。

だが選挙運動や議会活動に制約があり、障害のある議員の割合は障害者の割合に比べて極端に少ないと報告した。

https://time-az.com/main/detail/68205

統一地方選の対象ではない地方議会でも、障害のある議員がバリアフリーのための支援を受けながら奮闘している。

市の担当者がマイクで答弁すると、補聴器を着けた佐藤太信(たかのぶ)議員(38)の向かい側に座る手話通訳者が訳していく。

同時に音声が文字に変換されてパソコンに表示された。

幼い頃から発声の猛練習をしたため、相手の唇の動きで話を理解し、声で意思を伝えられるが、音は補聴器をしても途切れ途切れにしか聞こえない。

「聞こえないからこその視点を政治に生かしたい」と立候補して2017年に初当選した。

当選直後、議会が用意したのは手話通訳だけだった。

しかし、予算審議で億単位の数字や「土地区画整理事業」といった手話で訳しにくい言葉が次々と出てきて理解が追いつかず、音声を文字に変換するシステムの導入を要望して認められた。

音声変換も誤字や脱字があり「他の議員と同じ情報を得るには両方が必要」と説明する。

今年度は手話通訳とシステムのため約430万円が議会費で計上された。戸田市では聴覚障害者の傍聴や手話を学ぶ議員が増えており、「健常者との壁をなくす活動をしていきたい」と話す。

障害のある議員の公式なデータはないが、毎日新聞の2017年の調べでは47都道府県議会と20政令市議会に車椅子利用者が7人、視覚障害者が1人おり、総定数に占める割合は約0.2%。

2018年版障害者白書によると、身体障害者は国民の約3.4%、精神、知的も含めると約7.4%に何らかの障害があるといい、議員の比率は異常に低い。

選挙運動でも障壁がある。公職選挙法で選挙カーに乗車できるのは候補者のほか5人までと定められているが、現状では介助者と運動員の線引きが難しい。

選挙公報について音声変換ができるようデータでの提供や点字版を求める声もある。

これでは、議会や議員が言う障害者保護は、票のための偽善である。

「合理的配慮を求めたら同僚議員から特別扱いだと批判された。」
「視察の付き添いを家族がするのは公費の私物化だと市民から投書があった。」

そのような同僚議員や市民は実名を公表すべきである。

しかし、その中には、もの凄い誤解や勘違いも多い。
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ドイツの彫刻家オットー・ピーネが生まれた。

2019-04-18 23:34:57 | 人物


ArtDailyは2019年04月18日に、キネティック、テクノロジーをベースにしたアートが専門のドイツのアーティストであったオットー・ピーネ(Otto Piene/1928 - 2014)が1928年04月18日にドイツのバート・ラースフェ(Bad Laasphe)で生まれたと報告した。

そして、リューベック(Lübbecke)で育った。

https://time-az.com/main/detail/64019

ミュンヘン(München)とデュッセルドルフ(Düsseldorf)の美術アカデミー(Kunstakademie)で絵画と美術教育を学んだ後、ケルン大学(Universität zu Köln)で哲学(philosophy)を学んだ。

彼は、ドイツのデュッセルドルフ(Düsseldorf)、米国のマサチューセッツ州のケンブリッジ(Cambridge, Massachusetts)、マサチューセッツ州のグロトン(Groton, Massachusetts)で生活し、作品を制作した。

彼はMIT(Massachusetts Institute of Technology/マサチューセッツ工科大学)のケペス(György Kepes)によって設立されたCAVS(Center for Advanced Visual Studies/先端視覚研究センター)に任命された最初のフェローで、1974年に彼はCAVSのディレクターとしてケペスを引き継ぎ、1993年09月01日まで勤めた。

今回公開された作品は、2011年10月21日から12月31日まで、MIT List Visual Arts Centerで開催された展覧会「Otto Piene: Lichtballett(オットー・ピーネ:光のバレー)」の会場。


ゴッホを撃ったレボルバー、6月にオークションに登場!

2019-04-18 17:04:00 | 人物


Forbes JAPANは2019年04月17日に、後期印象派のオランダ人画家ビンゼント・バン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh/Vincent van Gogh/1853 - 1890)を死に至らしめた回転式連発拳銃(Revolver)「ルフォシュー(LEFAUCHEUX)」が2019年06月19日に、競売オークションに掛けられる。落札額はUS$4万5000~5万6000(約500万~630万円)以上と予想されていると報告した。

https://time-az.com/main/detail/68194

ゴッホは1890年06月29日、パリ北郊の村オーベルシュルオワーズ(Auvers-sur-Oise, France)で腹に弾丸を受け、37歳で死去した。

「芸術史上最も有名な武器」と称されるさびついたレボルバーは、その現場となった畑で農業従事者が1965年に発見したもので、パリのドルオ競売所(Drouot Auction house Paris)で競売にかけられる予定だ。

拳銃を売りに出したのは、ゴッホが人生最期の数カ月を過ごした旅館「オーベルジュ・ラボー」所有者の子孫。拳銃は発見者により旅館の所有主に譲渡され、以後は経営者一家が保管していたとされる。2016年には、オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館での展覧会で初めて一般公開された。

ZundertのGoogle Earthポインター情報
51°28'18.7"N 4°39'49.4"E
または、
51.471861, 4.663708

1890-07-29---オランダの画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが自殺した。
1890-07-27---オランダの画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが自殺した麦畑に出かけた。

ウクライナ生まれの米国人彫刻家ルイーズ・ネーヴェルソンが死去。

2019-04-17 22:03:18 | 人物


ArtDailyは2019年年04月17日に、彼女の記念碑や木製の壁断片およびアウトドアの彫刻で知られている現在のウクライナ、当時のロシア帝国であったポルタヴァ県ペリスラブ(Perislav, Poltava Governorate, Russian Empire)で生まれた米国人彫刻家ルイーズ・ネーヴェルソン(Louise Nevelson/1899 - 1988/本名はレア・ベルリャフスキー/Leah Berliawsky)が1988年04月17日にニューヨークで死去したと報告した。

https://time-az.com/main/detail/64006

彼女は、20世紀初頭に家族とアメリカに移住した。 彼女は自宅でイディッシュ語を話し、学校で英語を学んだ。

1930年代初めにはニューヨークのアート・スチューデント・リーグ(Art Students League of New York)でアート・クラスに参加し、1941年には最初の個展を開催した。 

ハンス・ホフマン(Hans Hofmann)、チャイム・グロス(Chaim Gross)とルイーズ・ネーヴェルソンは、拾ってきた物を使って初期の概念アートを実験し、絵画と版画に加えて、彫刻に命を捧げた。

今回公開された写真は、マッケイブ・ファイン・アートのエキジビジョン(exhibition at McCabe Fine Art)で展示されたインストレーションで、ルイーズ・ネーヴェルソンの多様な選択を示した後期の作品である。

1899-09-23---アメリカの彫刻家ルイーズ・ネーヴェルソンがウクライナで生まれた。


Hindman LLCは、航空から探査まで、書籍と手書き原稿を販売。

2019-04-17 15:45:49 | 人物


ArtDailyは2019年04月16日に、シカゴのHindman LLCは、2019年05月01日のFine Books and Manuscriptsオークションを発表したと報告した。

大統領とファーストレディが掲載された表紙の重要なコレクション、重要な航空写本、そして科学と医学の本のセレクションを特集している。

これらのセッションは、ディケンズの作品集、アーティストの本、旅行や探査、そしてその他の優れたアメリカ人、書籍や手書き原稿のコレクションなど、文学のカテゴリーの追加項目とともに、2019年04月26日から04月30日までシカゴでプレビューが開催される。 

https://time-az.com/main/detail/68182

フリー・フランクのコレクションはジョージとマーサ・ワシントン(George and Martha Washington)からの最も重要メモをにカバーしている。

ワシントン夫人からの自由で率直なメモ(推定価格US$30,000 -  40,000)は、彼女が率直な特権が認められた直後に死んだので、非常にまれである。



この例は、存在することが知られている彼女の率直な署名のわずか4点のうちの1点である。

ジョージ・ワシントンからは、彼が大陸軍の司令官を務めていた1779年までさかのぼり、US$4,000からUS$6,000の売れ筋の推定価格である。

特集されるべき重要な航空材料は、オービルとウィルバー・ライト(Orville and Wilbur Wright)の署名された写真とライト会社のための法人設立証明書(certificate of incorporation for the Wright Compan)を含む。

オービル・ライトの署名された飛行中の写真は、過去40年間にオークションに登場するというオービルとウィルバーの両方のサインを持つ、わずか3つの既知の例のうちの1つで、(推定価格US$8000 -  12000)である。

科学と医学の本のセッションからのハイライトは、ガリレオのSystema cosmicumの初期版とAlhazenのOpticaeThesaurus ... eiusdem liber de Crepusculis&Nubium ascensionibusの稀少コピーが含まれている。 (推定価格US$18,000 - 25,000)である。



さすが米国、ガリレオより、ライト兄弟の方が高い。ヨーロッパへ行けば、価格は逆転することだろう。

歴史が浅いアメリカのオークションと、歴史があるヨーロッパや中国のオークションでは、その内容や価格設定に大きな開きがある。

2013-11-26---Bay Psalm Bookは、印刷された本で最高値US$1420で売れた。
2013-11-26---不思議の国アメリカで、Bay Psalm Bookと言う本が、世界記録を作ると予想。
2012-12-18---Googleは、死海写本オンライン図書館を始めた!
2012-11-30---歴史的なボストン教会は、賛美歌集の販売を考慮している。
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メキシコの建築家ペドロ・ラミレス・バスケスが生まれた。

2019-04-16 23:15:28 | 人物


ArtDailyは2019年04月16日に、20世紀末のメキシコ建築家であったペドロ・ラミレス・バスケス(Pedro Ramírez Vázquez/1919 - 2013)が1919年04月16日に、メキシコシティ(Mexico City)で生まれたと報告した。

https://time-az.com/main/detail/63993

作家で詩人であったカルロス・ペリサー(Carlos Pellicer)が説得して、建築の勉強をさせた。

米国の新聞「ロサンゼルス・タイムズ(LA Times/Los Angeles Times)」は死亡記事で、「ラミレス・バスケスは、コロンビア前の美学とヨーロッパのモダニズム感覚を融合させた驚くべきオリジナルデザインで知られていた。」「ペドロ・ラミレス・バスケスは94歳で死亡、建築家はメキシコシティの顔を変えた(Pedro Ramirez Vazquez dies at 94; architect changed the face of Mexico City)」と書いている。

今回公開された写真は、メキシコシティの国立人類学博物館(National Museum of Anthropology in Mexico City)で撮影されたペドロ・ラミレス・バスケスの作品。