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世界のメディアから、「バーチャル・マトリックス・タイムマシン」に掲載するために集めた面白そうな情報を紹介します。

日本人起源!ゲノム歴史学で解明へ。

2018-09-12 11:38:13 | 超過去


毎日新聞は2018年09月11日に、日本列島に住む人類の起源を、ゲノム(遺伝情報)解析や言語学などの共同研究で解明を目指す新たなプロジェクトを、情報・システム研究機構などの8団体合同の研究チームが始めると報告した。

https://time-az.com/main/detail/65782

考古学など文理融合による「ゲノム歴史学」という新手法で取り組む異例のプロジェクトは、日本人がどこから来たのかという謎に迫れるかが期待されると伝えている。

日本列島には約4万年前に初めて人類(旧石器人)が渡来して以降、ユーラシア大陸などから縄文人や弥生人などが移り住んだとされるが、詳しい時代や起源はわかっていない。

また、本州に住む人や北海道のアイヌ民族、南西諸島の人など、地域でDNA型に違いがあることがわかっている。

チームでは、日本全体に住む人類を意味する「ヤポネシア人」(ヤポネシアは日本列島の意味)と名付け、ルーツを包括的に調べる。

5カ年にわたるプロジェクトには人間文化研究機構や国立歴史民俗博物館、北海道大学などが参加し、研究費は約2億円。記者会見した研究チームの斎藤成也国立遺伝学研究所教授は「精度が上がったゲノム解析を活用し、ヤポネシア人や日本語の起源について、確実性の高い仮説を提唱したい。」と述べた。

日本語の起源には、口内構造にも影響することだろう。

私が在学ていたドイツの大学は、ドイツで最初に文化人類学の学部ができたことから、世界中の研究者が集まって研究していた。

また、日本では返還要求も出ているアイヌの頭蓋骨もあったことだろう。

私が研究していた書誌学でも、文字を書くときのペンを持つ動作の発達を知るために、文化人類学の学生と話し合ったことがあり、石のナイフを持つ手の変化が、参考になったこともあった。

2017-07-31---アイヌの遺骨、138年ぶりドイツが日本に返還。
2016-10-25---英独露の学者間で、アイヌの遺骨「流通」か?
2015-03-18---イギリスの新しい遺伝地図は、移住の連続した波が10,000年で帰るのを見せた。
2014-08-25---ケネウィック人は、はるか遠く、ポリネシアから来た?
2007-09-13---国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択された。
1998-05-23---BC2万年頃に古代人がベーリング海を渡って大陸に住み始めた。
1997-08-23---BC2万8,000年頃日本列島の土着民族であるアイヌが確認された。
1972-06-23---二風谷アイヌ文化資料館が開館した。
1961-06-09---アイヌ語学者知里真志保が死去した。
1922-09-18---「アイヌ神謡集」の著者知里幸恵が死去した。
1903-06-08---「アイヌ神謡集」の著者知里幸恵が生まれた。
1901-02-24---アイヌ語学者知里真志保が生まれた。
1869-08-15---松浦武四郎は、江戸末期に蝦夷地を探検し、「北海道」と改称した。
1799-07-29---高田屋嘉兵衛が択捉島〜国後島の航路を確立。
1669-07-18---蝦夷で総酋長シャクシャインが反乱を起こした。
-3652-00-00---ニューメキシコのBat Caveで、ポップコーンの欠片を発掘した。
-7200-00-00---ケネウィック原人の骸骨年代が9,200年前であった。

国内最大「むかわ竜」化石取り出し完了!

2018-09-07 19:45:16 | 超過去


地震で不謹慎と言われても、毎日新聞は2018年09月05日に、「平成30年北海道胆振東部地震」の震源地が多い北海道むかわ町で見つかった国内最大の恐竜の全身骨格の化石を調査していた北海道大学総合博物館とむかわ町穂別博物館の研究チームは、化石を岩などから取り出す作業を終え、むかわ町内の施設で4日、報道陣に公開したと報告した。

地震で、むかわ町穂別博物館も停電かと思ったが、博物館のWebサイトは開いた!

大型の草食恐竜ハドロサウルス科の一種(通称・むかわ竜)で、調査で部位が特定された頭骨や尾骨など157個は、全体の約6割にあたるという。

推定体長8mの恐竜化石のほぼ全容が判明した。

https://time-az.com/main/detail/65725

研究チームの古脊椎(せきつい)動物学小林快次(よしつぐ)北海道大学准教授は、「他のハドロサウルス科恐竜にみられない骨の特徴もあり、新種の可能性は非常に高い。」と話している。

むかわ竜の化石は、2003年04月に穂別町在住の堀田良幸が散歩の延長でアンモナイトなどが産出する沢沿いを歩いていた際に、崖の中腹で骨化石を発見し、穂別町立博物館に寄贈した。

それは、町内の約7200万年前(白亜紀後期)の地層から見つかった。

その後、2010年から首長竜化石としての調査・研究のため、この化石のクリーニング作業をはじめた。
2011年には、首長竜としての研究を依頼していた東京学芸大学の佐藤たまき准教授が、この標本が首長竜ではなく恐竜のものである可能性を指摘した。
 
そこで、恐竜研究の専門家である北海道大学総合博物館の小林快次准教授に鑑定を依頼したところ、恐竜化石であることが確認され、おそらく植物食恐竜ハドロサウルス科のものだろうとされた。

2003年に寄贈された部分は尻尾の中間から後ろにあたる尾椎骨が13個も連結していたものであったので、この恐竜は、死後その場で埋没し、化石になったものだろうと推定された。

古代ギリシャ存続のため、マケドニア議会、国名変更の国民投票。

2018-08-01 17:14:29 | 超過去


日本経済新聞 電子版は2018年07月31日に、東欧バルカン半島、マケドニア(Macedonia)の議会は2018年07月30日に、国名変更とEU(European Union/欧州連合)、NATO(North Atlantic Treaty Organization/北大西洋条約機構)加盟の賛否を問う国民投票を2018年09月30日に実施すると決めた。

https://time-az.com/main/detail/65281

マケドニアを認めると、ギリシャが、マケドニアの一部になってしまう。

プライドのギリシャが、危うい!

国名問題を巡って対立してきたギリシャとの合意に基づく措置で、マケドニアのゾラン・ザエフ首相(Prime Minister Zoran Zaev,)政権は国民投票での賛成を勝ち取ったうえで、年内の憲法改正実現を目指す。

マケドニア地域はアレキサンダー大王(Alexander the Great)を生んだ古代マケドニア王国(Kingdom of ancient Macedonia)に由来し、ギリシャ北部の広範な地域も含む。

マケドニアは1991年に旧ユーゴスラビアから独立したが、国名が領土的野心を示すとして反発するギリシャが変更を求め、EUやNATOへの加盟を阻んできた。バルカン地域でのロシアや中国の影響力拡大を懸念するEUや米国が対立解消を働き掛けてきた。

アンフィポリ(Amfipoli)のGoogle Earthポインター情報
40°49'27.8"N 23°50'45.6"E
または、
40.824397, 23.845992

メソラッキア(Mesolakkia)のGoogle Earthポインター情報
40°49'57.1"N 23°56'04.1"E
または、
40.832539, 23.934478

2014-10-12---ギリシャの古代の墓で、未発掘であった大きなモザイクを発見。
2014-09-22---アレグサンダー大王のギリシャの墓を発見か!?
2014-04-11---ギリシャは,ほとんど無料の温泉「天国」。
2013-01-07---ギリシャの長命の島。

北海道で、ティラノサウルス類の化石を発見か。

2018-06-21 19:14:58 | 超過去


毎日新聞は2018年6月20日に、北海道大学は2018年6月20日に、芦別市で2016年に見つかった恐竜の化石について、ティラノサウルス類の尾椎(びつい)骨(尻尾の骨)の可能性が高いと発表したと報告した。

原始的な種を含むティラノサウルス類は、進化の過程で全長3mから12mほどに巨大化したと考えられている。

https://time-az.com/admin/edit/64803

今回の化石は大きくなる途上の中型恐竜とみられ、研究者は「巨大化のメカニズムを解明する上で重要な資料」と期待している。

北海道大学の小林快次准教授によると、化石は長さ約9cmで、発見したのは、奈良県平群町の62歳の愛好家の男性小川英敏が8980万〜8630万年前の白亜紀後期の地層から見つけた。

北海道芦別市に分布する蝦夷層群羽幌川層からは,サメの仲間である板鰓類や二枚貝化石を多産する厚さ50cm程の砂岩層(コニアシアン後期)が報告されている。

小川英敏は、「サメの骨を探しに入って、恐竜の骨が見つかるとは。驚いたし、うれしかった」と笑顔で話した。

化石は三笠市立博物館で2018年6月23日から一般公開する。

以前、足寄町の知人を訪ねた時、文部科学省が化石発掘調査院を探しているので、やらないかと誘われたことがある。

芦別市の緯度、経度
43°31'05.4"N 142°11'22.0"E
または、
43.518167, 142.189436

三笠市立博物館の緯度、経度
43°15'40.3"N 141°57'45.2"E
または、
43.261194, 141.962542
所在地: 〒068-2111 北海道三笠市幾春別錦町1丁目212-1
建設: 1979年7月

中国と米国の科学者グループ、最古の動物の足跡を発見!

2018-06-16 20:01:00 | 超過去


AFPは2018年04月09日に、1952年に設立された中華人民共和国の国営通信社CNS(China News Service)のニュースをJCMが日本語訳した情報として、中国科学院(Chinese Academy of Sciences)南京地質古生物研究所(南京地质古生物研究所/Nanjing Institute of Geology and Palaeontology)の陳哲(陈哲/Chen Zhe)研究員は2018年04月07日に、知られている中で世界最古の動物の足跡(最古老的动物“脚印”)の化石を示し、米国の科学雑誌サイエンス(Science)の姉妹誌、「サイエンス・アドバンシズ(Science Advances)」のオンライン版で、この科学研究の成果を報道したと報告した。

https://time-az.com/main/detail/64740

Late Ediacaran trackways produced by bilaterian animals with paired appendages
Science Advances 06 Jun 2018:
Vol. 4, no. 6, eaao6691
DOI: 10.1126/sciadv.aao6691

中国科学院中国科学院と米国のバージニア工科大学(Virginia Polytechnic Institute and State University)で構成された初期生命研究チームが、中国・三峡(Sanxia)のエディアカラ紀(Ediacaran Period)地層で、付属肢を備えた後生動物が形成した足跡を発見し、地球上で最古の足跡の化石であるとした。

ドラキュラの故郷で見つかった飛べない頭でっかちの巨大翼竜。

2018-05-29 10:46:24 | 超過去


日本経済新聞 電子版は2018年05月28日に、日経ナショナル ジオグラフィック(National Geographic)からの情報として、40年前にルーマニアで発掘された顎の骨の化石が、翼竜のものとしてはこれまでで最大であることが分かり、さらに、頭でっかち巨大翼竜は、独自進化で空飛べなかったと、学術誌「Lethaia」で2018年04月17日に発表されたと報告した。

https://time-az.com/main/detail/64508

研究者が「ドラキュラ」とニックネームを付けた巨大翼竜は、翼開長は8〜9mだったかもしれないという。
まるで、プロペラのない飛行機グライダーのようだが、頭が大きすぎで、考古学の航空力学てきな見地から飛べなかったという。

翼を広げると9m近くになる巨大な種が、今のルーマニア中部、ドラキュラ(Dracula)で有名なトランシルバニア(Transylvania)地方でかつて君臨していたのかもしれない。

白亜紀末期、海面は今より高く、捕食者だったこの翼竜が住む辺りは島が連なる群島だった。

6600万年前の少し前、全ての翼竜だけでなく、鳥として生き残った以外の恐竜も絶滅した。

新たに発表された翼竜は比較的がっしりしており、首が短く頭が大きかったとみられる。

今回発表された翼竜の化石は、現時点では巨大な顎の骨しか見つかっていない。

もともと、この化石はトランシルバニアのハツェグ地域(Hateg region of Transylvania)で1978年に発掘されたが、当初は翼竜だと認識されなかった。2011年、マティアス・ブレミールはハンガリー、デブレツェン大学の古生物学者で、論文の共著者でもあるガレス・ダイク氏と共にブカレストの化石コレクションを訪ねたとき、翼竜との関連に気付いた。

種名が付いている翼竜としては世界最大級のハツェゴプテリクス(Hatzegopteryx)も、このハツェグ地域で見つかっている。キリンほどの高さがあり、翼開長は最大で11m近くに達した可能性がある。今回研究された化石には、近縁であるハンガリーの翼竜、バコニドラコ(Bakonydraco)の顎と似ている点があった。このことから、ブレミール氏らの研究チームは、まだ命名前のこの種はハツェゴプテリクスよりわずかに小さいものの、頭は比較的大きく頑丈だったのではと考えている。

上記の翼竜はいずれも、アズダルコ(azhdarchid)科という、独特なプロポーションの巨体を持つグループに属している。4本の肢で巧みに歩き、地上の獲物を狩っていた。

エジプトのツタンカーメン王墓に隠し部屋なかった。

2018-05-08 11:21:43 | 超過去


毎日新聞は2018年05月07日に、エジプト考古省Ministry of Antiquities, the Arab Republic of Egypt)は2018年05月06日に、未発見の部屋の存在が指摘されていた古代エジプトのツタンカーメン(Tutankhamun)王(紀元前14世紀)の墓に対するイタリアの研究チームの調査結果を明らかにし、隠し部屋は存在しないと結論付けた。

https://time-az.com/main/detail/64254

いぎりす人考古学者ニコラス・リーブスは2015年、墓には隠された2部屋があり、ツタンカーメン義母とされる伝説の美女ネフェルティティ王妃が埋葬されている可能性があるとの新説を発表し、国際的な注目を集めていた。

「王家の谷」Google Earthポインター情報
25°43'39.58"N, 32°35'33.06"E
または、
25.727661, 32.592517

2017-05-23---ツタンカーメンの大引っ越し!
2016-05-08---ツタンカーメン王の墓の「隠し部屋」、専門家ら異議!
2016-03-17---ツタンカーメンの墓が、複数の秘密の室を持っている。
2015-11-28---ツタンカーメン王の金マスクは、ネフェルティティのために作られた!?
2015-01-21---ツタンカーメンのあごひげはエポキシ樹脂で接着。
2014-11-09---イタリアの最も古い都市のうちの1つをぼろぼろになる前に修復。
2014-10-22---実際のツタンカーメンは、弱く、虚弱で、観察に多くでなかった。
2014-09-23---レーザーは、どのようにアンコールの失われた都市を明らかにしたか。
2014-09-10---5,000平方mの敦煌莫高窟の敦煌研究院創設70周年。
2014-01-18---キリストの親指が欠けた!
2013-11-11---ツタンカーメン王のミイラは、自然発火で燃えていた。
2013-02-09---ネフェルティティの素顔?
2013-02-04---ティンブクトゥの古文書救出大作戦の全貌。
2013-02-03---ツタンカーメンの顔 ?
2012-10-11---ベルギーのモナリザは、100万ユーロで回復中。
2012-08-23---スペインのフレスコ画、アマチュアの修復でキリストが猿になった!
2012-08-20---カンボジアのアンコールワット古代記念碑修復回復作業。
2012-01-23---ロンドンの議会時計台ビッグベンは、傾き始めている!?
2011-12-02---永遠の愛で有名なベニスの橋「Bridge of Sighs」が修復完了!
2011-06-14---バクテリアは、古いアート作品修復を助ける。
2011-04-29---ピサの斜塔が修復を完了し、最初の飛び降り自殺があった。
2011-04-17---ツタンカーメンのトランペット「Tut's toot」!
2011-02-11---25,000の遺跡パズル!
2011-01-21---靴の導師が、崩壊したローマのコロシアムを修復!?
2010-11-10---ツタンカーメン王の副葬品、エジプトに返還。
2010-08-15---朝鮮王朝の「光化門」復元、公開した。
2010-02-16---ツタンカーメン王は近親相姦で生まれ、マラリアで死亡。
2010-02-04---「死海文書(Dead Sea Scrolls)」救出大作戦!
2010-01-31---ツタンカーメンのDNA鑑定結果、2010年2月17日に発表予定。
2009-12-20---エジプト、ネフェルティティ像の返還を正式要求!
2009-10-23---内蒙古の額済納旗にある「黒城遺跡」修復工事がもうすぐ完成。
2009-09-29---北京市の圓明園長春園宮門を開放した。
1980-10-15---奈良の東大寺で、昭和の大修復が終了した。
1975-04-05---大阪府藤井寺市で、古代の運搬具「修羅」が見つかった。
1923-02-16---カーターが「ツタンカーメン(Tutankhamun)」の埋葬室を開けた。
1922-11-26---「ツタンカーメン(Tutankhamun)」の墓の中を世界で最初に見た。
1922-11-04---「ツタンカーメン(Tutankhamun)」の王墓発見。

ローマが創設された!

2018-04-22 10:08:42 | 超過去


History Channelは2018年04月21日に、伝説によると、紀元前753年04月21日(April 21, 753 B.C.)にロムルス(Romulus)と双子の弟レムス(Remus)は、ローマで、それらが孤児になった幼児として、雌オオカミにより授乳されたサイトに見つけたと報告した。

https://time-az.com/main/detail/64061

実際には、その神話が紀元前4世紀に端を発したロムルスとレムスおよびローマの設立の正確な日付は、紀元前1世紀(the first century B.C.)にローマの学者にマルクス・テレンティウス・ウァロ(Marcus Terentius Varro)によって課された

伝説によると、ロムルスとレムスは、アルバ・ロンガの王ヌミトルの娘(the daughter of King Numitor of Alba Longa)レア・シルビアの息子(the sons of Rhea Silvia)であった。

アルバ・ロンガは、アルバノ山地で、ローマになる南東にあった神話的な都市であった。

双子の誕生の前に、ヌミトルは彼の弟アムリウス(Amulius)により免職された。

その人は、彼女が、彼の王位のライバルになる後継者を生み出さないようにウェスタの処女(vestal virgin)になることをレア(Rhea)に強制した。

しかし、レアは戦争神火星によって妊娠(impregnated by the war god Mars)し、ロムルスとレムスを出産した。

橿原市の国宝展示ケースから有害ガスを検出!

2018-04-18 16:31:21 | 超過去


毎日新聞の2018年04月16日に、日本の初代天皇である神武天皇が祀られている橿原神宮がある奈良県橿原市の奈良県立橿原考古学研究所付属博物館で、奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳で出土した国宝の副葬品を納めた展示ケースから、基準値を大幅に超える有機酸ガスが検出されたと報告した。

副葬品の劣化が進む恐れがあり、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館は2018年04月16日に、、対策を検討していることを明らかにした。

https://time-az.com/main/detail/64015

奈良県立橿原考古学研究所付属博物館によると、2013〜16年度の調査で、いずれも金属のさびを促すギ酸と酢酸の有害ガスを検出した。

ギ酸は文化庁が推奨する基準値(1立方メートル中に20マイクログラム以下)の約140倍の2857マイクログラム、酢酸は基準値(同430マイクログラム以下)の約20倍の8343マイクログラムだった。

ケースは基準値が示される以前の古い物で、使用されている合板の接着剤などが発生源の可能性があるという。

ケース内には、いずれも金銅製の履(くつ)と冠、筒形品の国宝3点が1997年から納められている。

奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の緯度、経度
〒634-0065 奈良県橿原市畝傍町50-2
34°29'32.5"N 135°47'28.0"E
または、
34.492367, 135.791111

1985-10-08---藤ノ木古墳が開かれた。

指の化石解析から、現生人類、8万5000年前にはアラビア半島到達。

2018-04-12 18:00:37 | 超過去


AFPは2018年04月10日に、サウジアラビアの砂漠で発掘されたヒトの指の化石の解析結果から、現生人類ホモ・サピエンス(Homo sapiens)はすでに8万5000年前にはアラビア半島に到達していたとする論文が9日、米科学誌「ネイチャー・エコロジー・アンド・エボリューション(Nature Ecology and Evolution)」で発表されたと報告した。

https://time-az.com/main/detail/63939

人類の直接の祖先となるヒト族の化石がサウジアラビアで発見されたのは初で、同論文によると、この解析により人類がアフリカから各地に移動を始めた時期は、これまで考えられていたよりも数千年早かったとみることができるという。

長年の定説では、人類が誕生の地アフリカを集団で移動し始めたのはおよそ6万年前とされてきたが、近年の考古学的な発見によってこの考えには疑問が出始めており、現生人類がアフリカを出て隣接するレバント(Levant)地域(地中海東部沿岸)に移動したのは12万年かもっと前だとする説も出ている。

しかし、今回論文を発表した研究チームは、これまで中国からオーストラリアを含めた地域で発見されたものの多くについて、信ぴょう性や年代測定に疑問があると主張した。

一方で今回発掘された指の骨の化石は間違いなくヒトのものであり、放射性炭素年代測定法により年代の直接的な推定に成功したとしている。

つまり、中国からオーストラリアを含めた地域で発見されたものの多くは、ウラン系列年代測定法と呼ばれる放射性炭素年代測定法により年代の直接的な推定をしていないというのだろか?

成人の中指の骨とみられる長さ3.2cmの化石はサウジアラビアのネフド砂漠(Nefud Desert)で2016年に発掘され、研究チームは2年にわたって解析作業を行った。

論文の共著者であるイギリスのオックスフォード大学(University of Oxford)のヒュー・グロウカット(Huw Groucutt)によれば、研究チームがウラン系列年代測定法と呼ばれる放射測定を用い、放射性元素のわずかな痕跡を調べて骨の年代を解析したところ、この骨は少なくとも8万5000年前、場合によっては9万年前のものであることが明らかになった。

アフリカやレバント地域以外で見つかったものの中で、年代を直接推定できた最も古い現生人類の化石だという。

主流学説の一つでは、現生人類は単一の集団でアフリカから海に沿って移動し、アラビア半島南部とインドを経由してオーストラリアまで渡ったと考えられている。

しかし論文の共著者の一人、ドイツのマックス・プランク人類史学研究所(Max Planck Institute for the Science of Human History)のミヒャエル・ペトラグリア(Michael Petraglia)は、発掘された指から「現生人類は海沿いではなくユーラシア(Eurasia)大陸の内陸、陸の中心を移動していた。」と示唆されると指摘している。