台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

636 ブログ636  私の田舎

2013-07-26 15:34:20 | 台湾
私の田舎は、埼玉県杉戸町です。お袋の田舎。小学生の頃、よく行きました。
田舎に帰ると、魚釣りや虫取りを一生懸命毎日していました。
東京には、ない生き物がたくさんいたように思います。
 おじいちゃんの思い出は、いつも、我が家に来るのに、お餅をもって、東京葛飾の我が家へ。このお餅が重たいこと、よくこの老人が、持てたと感心するほど。
私は、おじいちゃんの突いてくれたお餅が大好きでした。
焼き餅、雑煮、何してもおいしい。
だから、お餅を見ると、杉戸町の田舎を思い出します。だって、お袋は、長女。おじいちゃんには、七八人子供がいたろうに・・・。わざわざ、お袋のために、朝から早起きした、餅をつき、持ってきてくれました。もちろん、私は、このおじいちゃんが大好きでした。頭がはけ、白髪交じりのいつも元気なおじいちゃんでした。
 杉戸は、埼玉の西部にある、今は、東武動物公園の近くにあります。
今でこそ少し知られていますが、当時は、いつも田舎は、遠いと思っていました。
京成関屋から、乗り換えて、東武電車に。それからどう乗って、行ったか覚えていません。もう一つの方法は、大宮まで、行って、それから東武鉄道で春日部まで。それから乗り換えて、杉戸まで。駅から、バスだと思うのですが、覚えていません。
 お袋とお盆の頃何回か行きました。結構たくさん御馳走があったのを覚えていますが・・・。だれがだれだか、今わかるのは、四・五人。小学校一年から四年の頃ですから。
 まだ、まだ子供の頃。
ただ当時、お墓が土葬だったのを覚えています。昭和30年代半ば。そう、オールウエイズの時代です。日本の高度成長期。もろちん。子供には、経済成長なんか全然関係ありません。魚が釣れれば良いだけです。虫を捕まえられれば満足。そんな時代です。
 ひとつだけ。鮮明に覚えていることがひとつあります。まえ一度ブログに書いたかもしれません。
それは、若い女性の裸をみたのは、この田舎でした。
とうじ、田舎の風呂は、外の戸は、閉じて見えないのですが、自分の家からは、丸見え。
その風呂に、当時、18さいのAさんが入っていました。私には、彼女の裸は、まぶしすぎて、まぶしすぎて・・・。見てはいけないと思いながら、見てしまいました。
 田舎という言葉が大好きです。もともと、東京の田舎。葛飾ですから。
だから。杉戸も葛飾も同じ。田舎。今は、・・・・。ま、多少は、変わりましたが、そんな都会ほど、さいたま市ほど、新宿ほど、かわりません。
 やはり、私は、東京の田舎物なのです。現代社会の落ちこぼれ。まだ、携帯のメールも、
チャットも、フエイスブックもわからん、田舎物。
このいなかものには、田舎ものの誇りを持っていますから。

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