台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ 27 私が死にたいと思った時①

2012-10-03 18:45:48 | 台湾
中島みゆきの『時代』を聴くと、このことを思い出す。
私の人生の中で、一度だけ、『死にたい』と思った時があります。
それは、教師生活2年目の時。その学校は、少し荒れていました。不良が元気よく学校
を闊歩していました。そこで、若かった私は、彼らの一部に夜勉強を教えることにしました。もちろん、私のアパートで。
最初、二人の時は、勉強も順調。かれらも、真面目に勉強してくれました。
その内に、彼らの一人が『先生、○○もここに、来たいといってるですけど・・・。』
『うーん、それは、・・・・。本人が言っているの?』『もちろん。』
『じゃ、明日学校で・・・。本人に確認する.』
 それが間違いの始まり。人数が増えると、集団の雰囲気が変化してきました。
夜7時~9時。一人増え、二人増え、とうとう全部で五人。学習の雰囲気ではなく
遊びのような勉強。これ、もしかして・・・。彼らは、俺の家に来るのは、週二回。
それ以外も家を出る口実に・・・。彼らは、夜遊びを覚え始めました。ヤバイ。
 そして、その内の一人があるベテラン教師と喧嘩していました。かれらも、応援し始めました。ヤバイ止めなくちゃ・・・。
一応その場は、納まりましたが・・・・。
そんなことが、年中起こるようになりました。
 そして、そのベテラン教師が私に言いました。
 『あんたが余計なことをするから、かれらがのさばるだよ。あんたのせいだから・・な。』
私は、この教師に頭上がりませでした。なぜ?かれは、○○部顧問、教えることもベテラン年中自慢している先生。一方私は2年目の若造。だから、話に反論できませんでした。
それから、私の中のパワーがみるみる内にダウンしていきました。
 この言葉『">あんたが余計なことをするから、かれらがのさばるだよ。あんたのせいだから・・な。』font>が私の頭から離れなくなりした。ほとんど、毎日、毎日、毎日。学校へ行っていましたが・・・
『休みたい』と思うようになりました。私のような人間の取り柄は、『元気』それ以外ない。それを失い掛けてしまった。毎日、毎日彼の言葉が頭をよぎるようになりました。眠れない日々も・・・。
どうにか、こうにか月日が過ぎていくが・・・・。この苦しみから逃れませんでした。
その当時、私は、内気。誰にも、このことは、打ち明けできずに・・・。日々悶々。
自分がなんだか?わからなくなってきました。
 何のために俺は、教師になったのだ。自問しました。そうだよ。生徒の立場に立てる教師。
子供と共に歩む教師を目指したのでは・・・・。
 はやく・・・。逃れたい。時として、『休みたい』と思うことが度々。
朝、『年休頂きたいですけど・・・』その当時校長『一時間あげるから、すぐ出てこい?』
休めないんだーー。当時は、若かったので、部活動、土・日やるのが当たり前の時代。
また、校長は、ワンマンで有名な人。だから、年休権さえ、無視する。そんな時代。
身体も心もズタズタのまま。3か月、4か月。生活を続けていましたが・・・。
だんだん、自分の中の電池、バッテリーが枯れかけていくのがよくわかりました。
同じ、職場の人も、治郎先生最近、元気ないけど・・・・。心配してくれるが・・・。
 何も言えない情けない自分が・・・。完全にはまってしまった。いわゆる○○に。
                                  再見。

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1 コメント

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はじめまして (asita)
2012-10-04 15:37:25
たまたま治朗さんのブログを見つけて、
楽しく読んでおります。

私は今30代前半ですが、
中学校での生活が今もつらい記憶として残っています。
もう昔の事なのに、今でも時々苦しむ時があるのです。

いじめられた事。
それを担任に無視されていた事。
生活指導に暴力を振るわれた事。
自宅に帰っても、父が暴力を振るい、
母はアルコールに溺れては私に当たる家庭でした。

ですから、せめて学校だけは
自分の居場所にしたかったのですが、
もう人間がとにかく怖くなってしまい、
勉強もスポーツも全く集中する事もできず、
最後は不登校のまま卒業してしまいました。

それからずっと、今もかもしれませんが
教師という職業を憎んでいました。

でも治朗さんのブログを見ていると、
少し、気持ちが柔らかくなるというか
なんて言ったらいいのかわからないのですが
自分が変われるかも?と思えます。

突然の書込みでしたが
不愉快にしてしまったらごめんなさい。




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