台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ 155 中学校時代の想い出

2013-02-02 00:36:07 | 台湾
私は、中三で麻雀を覚え始めた。その最初の先生の名前が長島。俺と同級生。
何で、彼が先生なの?
だって、彼が当時は、一番詳しかった。だから、彼がルール、レートを決めていた。当時、今ほど、ネットやゲーム。イレブンPMも無い時代。
 麻雀の本もほとんど見たことない時代。
しょうがない。彼が言い出しっぺで。
やってみたら、面白いの何の。
俺は、完全に填った。受験生でしょ。勉強もしたけど、・・・・。
だって、俺の受験する学校、そんなに難しいところを受けなかったから・・・。年中
麻雀やっていた。時には、早退してまで・・・・。
田尾、吉田、長島、俺と山城。メンバーは5人。
 クラスは、俺がC組。吉田がE組。それしか覚えていない。
一度なんか、山城の家(一番学校に近かったから)でやっていたら、俺の担任の堀先生
が来て・・・・。もう大変。みんな押し入れに隠れて・・・。
 堀先生は、「もうわかって居るんだ゛隠れていないで出てこい堂々と」
仕方なく、出て行くと、
 「遊ぶのは、自由だが、学校は、早退するな。もう一つ、金は・・・・。働いていないのだから掛けるな。好いか。」そう言って帰った。
 世の中にこんな先生いるんだ?
俺の担任だけど、不思議な先生だった。
 俺が、この先生なぜこんなに寛大なのか、わかったのは、夕方、美術室へ行ったとき、
懐かしい、どこかで聞いたことのある、音を美術準備室から聞こえてきた。
その音は、我々がはまっていた「麻雀」。
先生方もやるんだ。「へぇー」と言って、その日は、これ以上詮索もしなかった。
 46年経って、今思うことは、堀先生も不思議な先生だが、俺も、かなり、変わった先生に映ったことだろう。
 今もその延長上に生きている。
人間とは、不思議な動物。輪廻かな。
わからん。中学生のころが無性に思い出される今日この頃。
俺の46年前の本当の姿。
 要は、今も昔も遊び好きだということ。
遊ぶことに掛けては、どん欲にしていたように思う。
もちろん、少しは、勉強したが・・・。それは、すべて「遊びたい」という想いがそうさせる。それは、現在も変わらない。
 この日は、遊ぶ日と決めたら、もうその日以外の時に徹夜してでも、自分がしなければならないことをやっていた。
 やり始めると、どんな遊びでも夢中になりすぎる傾向がある。
それは、現在も同じ。現在は、ブログかな。少しはまり気味。遊ぶより、パソコンに向かって昔のことを思い出す方が楽しくなり・・・・・。
ま、いろいろ迷惑かけますが、後20年我慢してくれ。
 大丈夫。俺は、・・・・。
再見。