卆寿の旅

平成30年8月3日、満九十歳 卆寿になり、「八十路の旅」を「卆寿の旅」にタイトルを変更し、徒然なるままに記します。

9月終わりの頁

2012-09-30 14:01:21 | Weblog

   9月30日、今日で9月も終わりです。台風17号の進路が、ここ2、3日大変気になっているところです。
  午後2時頃、昼寝で、窓から外を眺めています。雨や風が次第に強くなっていく様子が、山裾の木々の揺れ方や、斜めに降りしきる雨に、やっぱり台風が近づいていることを感じさせます。

  午後1時のNHKニュース情報は、{・・・強い台風17号は、四国や紀伊半島などを暴風域に巻き込みながら北東へ進み、これから夜にかけて、近畿から関東にかなり接近して上陸するおそれがあります。・・・気象庁の発表によりますと、強い台風17号は、午後1時には和歌山県の潮岬の南西110キロの海上を、1時間に45キロの速さで北東に進んでいるとみられます・・・。}

  朝起きると、「タマネギの苗にビニールを被せては、どうやろ?」と、家内が呟いています。いつもそうです。家内は「してほしい」とは、言わずに、「どうやろね?」と、言うんです。(ちょっと体調をくずしていたので、余計に遠慮したのです)

  「よし、分かった。ビニールを被せる」。わが輩は早速雨合羽に着替えて、家のすぐ前の1号田のタマネギの育苗の畑に出ました。

 

☆青いビニールですっぽりとタマネギの苗を被い、台風に備えました。雨風が強いと、折角芽を出したタマネギの苗が台無しになってしまう恐れがあるのです。雨と風が少し強くなってきました。手作業は30分も要しませんでした。でも、合羽のせいで、汗はかきました。
  右のダイコンの生長状況は見事です。こうなれば、少々の雨風には耐えられると思います。

***午後3時30分、北摂丹波に暴風雨警報発令されました*** 

<わが家の5、6号田(裏庭に広がる減反の田んぼです)の状況です>

 

☆ブログ左(本上)、ゴーヤです。高さ2m、長さ7mの竹の支柱に、3本の苗で巻き付き伸びたゴーヤ・カーテンです。9月22日の写真です。すでに黄色く枯れてきていますが、すこし小ぶりになったとはいえ、まだまだなっています。
  もう、かれこれ5、6年、連作です。最初は8本の苗を植えましたが、なるは、なるはで、消化に困り果てました。翌年は6本にしました。それでも100本以上は、ぶら下がりました。2年ほどは6本でしたが、昨年は4本の苗を植えました。
  今年は3本の苗を植えたのですが、案じていた高さ2m、長さ7mの緑のカーテンは、見事に広がりました。もちろん家庭だけでは消化できません。隣近所、ご入り用の方に、もらっていただきました。当分3本でいきましょう。

☆ブログ右(本下)、ゴーヤ隣のヤーコンです。 連作6年にはなるでしょうか? いやぁ、ゴーヤより歴史は古いと思います。ともかく、今のところ山猿もゴーヤとヤーコンには手をつけません。9月22日、写。

  この裏庭の一段と高くなった5号田は、減反の田んぼで、昔は稲を作っていました。50年前になります。イノシシが一夜のうちに稲を食い荒らすのもたびたびで、その頃には、毛糸を束ねたものや、髪の毛を束ねたものを、燃やして(燻べて)、イノシシを撃退していました。もう、すっかり歴史となりましたね。

<6号田の栗の木です>

 

☆9月28日、栗の木の写真です。この畑も50年ほど前は水稲でした。減反により栗の木(6本)、山椒の木(5本)、梅の木(5本)、柿の木(3本)などを植えていました。でも、今では栗の木は写真の1本だけなりました。山椒の木は3本、梅の木は5本、柿の木は2本などが今も植わっています。世話らしい世話もしないのが、せめてもの慰めです。ですが、時々、山猿ほか野生の動物が荒らすことがありますが、妙にこの栗には、やってきません。家から丸見えだからでしょうか。でも、柿には時々カラスがつつきます。
  5、6号の畑には、ダイコン、ニンジン、
カボチャなどの野菜は一切作れません。野生動物の餌を作ることになるだけです。 

<秋明菊、ジンジャー>

 

☆ブログ左(本上)、前庭の秋明菊です。恥ずかしながら、やっぱり花については音痴ですねん。「何の花やねん?」「秋明菊です」「菊のような葉ではないな」「名前にキクがつくけど、菊の仲間ではなくアネモネの仲間です」・・・このような会話で、大体のところお解りでしょう。毎年庭に咲いているようです。この花も、隣の人からいただいたものです。9月28日の朝写す。
  そういえば、ちょっと注意してみると、どこのお家の庭にも、そこはかとなく楚々として咲き誇っています。高く伸びた花茎の上に、うすいピンクの上に大柄な花をつけています。
  貴船菊(キブネギク)とも言うようです。京都の貴船地方に多いそうです。宿根草です。上品で楚々とした風情のある姿が魅力の秋の花です。「わが輩のようだ」といったら「どこがぁ?」といって、皆に笑われました。花言葉は忍耐、薄れゆく愛、多感な時だそうです。

☆ブログ右(本下)、3号田の一角に咲くジンジャーです。根茎状の地下茎が伸び、茎は太く、高さ1.5m~2m、葉はカンナに似て滑らかです。ともかく芳香の強い花をやや傾けて密集して咲かせます。9月22日写す。

<有機種子で有機野菜をつくろう>

 

☆2号田の片隅にまいた有機種子の野菜です。9月24日の写真です。手前からミズナ、ホウレンソウ、ニンジンなどです。現在市販されている種子の殆どは「FI種」、人為的に操作された一代交配種です。「FI種」は、化学肥料や農薬を使用する「慣行農法」を前提に設計されているようです。
  わが輩も、深い意味も分からずに、市販の種子や、「FI種」でつくられた苗を使用して、無農薬、無化学肥料の野菜づくりをしていますが、自然の恵みを豊富に受けた生命力あふれる元気な種子を使用し、自然農法を深めたいと考えています。
  そういう趣旨で、有機種子をまいた野菜です。出来具合が楽しみです。

<3号田でのウネづくり>

 

☆9月28日午前中、3号田で、タカナ、ミズナのウネづくりをしています。このウネには1ヶ月前に、処理容器5杯の生ゴミを投入しています。すっかり土に還元されました。溝の土を掻き上げて、マルチを被せます。
  6年連作です。いや、このウネは、ずっと前から、タカナとミズナを作っていたように思いますね。
  それにしても28日は一日中良い天気でした。

☆台風が来そうなので、あわててマルチを被せました。隣のマルチにはタマネギを定植する予定です。

<2日前の中秋の名月>

☆28日の夜、8時頃、東の空にかかったお月さんです。あまりにも澄み切ったきれいな月明かりでした。そうです。30日は中秋の名月でした。えっ!29日は雨が降り、30日は台風17号が近畿地方を直撃すると言っていましたよ。
  満月とはいえませんでしたが、この中秋の名月を撮るのは、今日限りではないだろうか、と思って、五葉の松越しにシャッターを切りました。
  思った通り、29日、30日は、ついぞ月の姿を拝めませんでした。貴重な写真となりました。

<よませのブドウ>

 

☆9月29日、昼過ぎ、有機農法を手がけているある人を介して、遠く長野県夜間瀬から、有機のブドウが届きました。Yさん、ありがとうございました。生産者Wさんは、高社山(こうしゃさん、OR、たかやしろやま、また、高井富士も呼ばれている)の麓、海抜500mぐらいの南斜面にある果樹園で、りんご、もも、巨峰(ブドウ)を生産されています。

  ダンボールの箱の中に、B4の一枚の用紙に、りんご、もも、巨峰のコピーされた写真と、自筆で記された説明書が入っていました。この写真と文章を読みながら、何故か涙が出て仕方ありませんでした。

 {・・・その土地で除草剤を使わないで、また化学肥料、ホルモン剤を使わないで、農薬を減らして、くだものをつくりました。巨峰は実どまりがよくなるフラスターという薬を使っていません。フラスターを使っていない巨峰はほとんどありません。りんごは落下防止剤を使いません。畑にいれる水は、山にふった雨を ためた水で、たいへんきれいな水です。それをスプリングクラーで、畑にいれていきます。化学肥料やホルモン剤を使用すると、くだものの生産の効率が上がり、見た目のよいものができるのです。除草剤も私は使わないので、草刈りをするので疲れます。除草剤、ホルモン剤は何年ぐらいで使用禁止になるのでしょうか。りんごジュースは、みつ入りサンふじをしぼりました。かたいももは2~3日でやわらかくなります。・・・}

  この手書きの文章は原文のままです。これほど良心的な生産者はないと思います。この文章にはこの方の人柄がにじみ出ています。何といっても、巨峰のこくのある味は、全てを物語っていました。ありがとうございました。  

 

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燈火親しむべき候

2012-09-23 17:19:12 | Weblog

  燈火親しむべき候となって参りました」、手紙の書き出しに、よく使う言葉です。言葉を換えて言うと、{ともしびのもとで読書するのに、ふさわしい季節になってきました}と、言うことなんですね。燈火は当用漢字では灯火と書くようです。でもね、ろうそくやアルコールランプを使用してきたわが輩には、昔の燈が、親しみ深いのです。

  さて、読書の論議は後述するとして、1年ぶりに、わが輩の2冊の小冊子が、ある印刷社の好意で、出来上がりました。

☆「土が変わる人が変わる」は、平成15年5月、今までの1集、2集、3集をまとめたものです。1、2、3集とも30数頁から成り立ち、全部で約100頁の冊子(B5版)です。いわゆる総集編が出来上がりました。総集編の後書きに次のように記載しています。

  {・・1集、2集、3集をひっくるめて、総集編として編集したことを、先ずもってお詫び申し上げます。実は3集だけに限定して出版する予定でしたが、1集も2集も私の手元はもちろん、印刷屋さんにも1冊もございません。でも、1集や2集、を拝見したいとの希望も多く、1集も2集も、同時に3集の中にひっくるめて、いわゆる総集編として編集し、実践記録として発表することにいたしました。・・・中略・・・ともかく「百姓を知らないあのジローさんかて、野菜をつくってんや、私らかて出来ないことはないわねぇ」と、おもしろい形で広がっていったのですから、不思議なものですね。・・・中略・・・このたびの総集編には記載しませんでしたが、この丹波地方、但馬地方には、たくさんの実践家がいらっしゃることを報告しておきます。同時に生ゴミゼロ作戦を提唱して、ボカシづくりに活動されている女性の皆さんに、心から敬意を表し、今後の活動をお祈りしてやみません。大変ありがとうございました。2003年5月・・}

☆「不耕起栽培の世界」は、平成20年4月に出版しました。「土が変わる人が変わる」を発表してから5年の歳月が経っていました。わが輩79歳、傘寿1年前でした。120頁の冊子(B5版)の後書きの一部を紹介します。

  {・・私も年のせいで、昔ほど長時間、草刈機などは使用不可能でした。しかも全面的に信頼をゆだねていた家内の体力が急激に低下して参りました。さあ、大変です。共に無理は出来ない羽目に
追い込まれました。もうこうなると、できるだけ労力を省いた、耕さないで、ある意味ではズボラナ野菜づくりをせざるを得なくなったというのが現実なのです。そして、その体験を記録してみようと思い描き、取りかかったのが、平成19年の秋頃からでした。しかし大変な作業でした。
  最初は、講演に使用してきたパワーポイントの映像に説明を加えながら、編集をしていたのですが、どうも心に響かなくなって、いったん途中で投げ出していたのですが、夏から秋にかけて収穫したキャベツ、ブロッコリー、ハクサイなどが、全くの不耕起で栽培できたのをキッカケにして、もう記事に示したとおり全体を8つの章にわけた構想が練り上がったというのが真実です。・・・中略・・・農業用語は未だに使いこなせません。もちろん、農薬、化学肥料などの種類も皆目分かりません。でも、何も知らなくても、野菜ができるのですから、不思議なものですねぇ。・・・中略・・・。
  終わりに、EM開発者、比嘉照夫教授より、拙著「不耕起栽培の世界」出版に際して、「仙人になった川崎二郎さん」と題して、身にあまる激励の言葉をいただきましたことに対して、ここに心から感謝を捧げ、お礼の言葉といたします。平成20年4月・・}

  この1年、各方面から、冊子の注文がございましたが、出版元や私の手元にも1冊もなく、その都度お詫びしてきました。今回は前回よりは少々割高になりますが、ご入り用があれば、お知らせください。(冊子は私の手元にしかございません) 

<一気に秋です>

  21日まで、扇風機を回していたのに、22日、23日と一気に秋になったような感じです。このように温暖の差が激しいと、お年寄りにはこたえます。昨年のブログを見てびっくりです。9月末から10月にかけて、疲れが出て、毎日点滴にお医者さんに通っています。でも、今年は要心に要心を重ねており、今のところ、体調はすこぶる安定しています。 毎日2時間は外で働きます。9月初め頃植えた野菜の追肥を、3日間で、全て完了しました。

  秋は読書するのにふさわしい季節といわれています。 
  2、3日前の話です。夕食時、「それ、それ、誰やったかなぁ?
あまり物言わぬ俳優さんがおってやな。ほれ、ほれ・・」とのわが輩の言葉に、誰もいっこうに反応してきません。顔が浮かんでいますが、それ、それ、ほれ、ほれ、としか言いようがありません。「それ、それ寡黙な男の俳優さんやがな、わが輩より少し若い・・・」「おじいさんより若くて寡黙な男の人って、だれ?」{おじいさんはよくしゃべってやし、饒舌やし・・・」「こないだテレビに出とったやろ」・・・やっと分かりました。高倉健です。

  大津市にお住みのM.Yさんのブログに、高倉健さんが山本周五郎の本を読んでいる話が記されていました。昔NHKの大河小説、山本周五郎の「樅の木は残った」がテレビ番組で放映されたことがあったように思いました。名前はよく知っていましたが、山本周五郎の本は、あまり読んだことがなかったようです。ネットで調べて、感心したことが二つありました。

  一つは、山本周五郎は生前、天下の直木賞、毎日文化賞など、あらゆる賞を辞退されていることです。
  もう一つは、「樅の木が残った」の小説の中で、主人公、原田甲斐が言った一言です。「ただひとこと云っておくが、他人の評や風説に迷わされるな。事を行うなら、自分で是非の判断したうえでやれ」

  「はい!そうします」と、思わず言ってしまいそうな、この言葉は、今の世相を生きる我々の心に「ぐさっ」と、突き刺さる言葉ではありませんか。現在はマスコミという厄介なものがあります。何を信じて良いのか誠に不明困惑の時代ですが、それだけに余計に正しい自分の判断が必要になってきます。

  まあ、今年の読書親しむべき秋は、山本周五郎の何か1冊を読むことにいたします。

<田んぼアート>

 

 ☆高速舞鶴自動車道が開通して25年にもなるでしょうか?わが家から西1キロの小坂の山裾野を走っています。また、同じ西の方向に、県道篠山柏原線が走っています。高速と県道の交差しているところに、「田んぼアート」があります。
  写真はその看板と田んぼに描かれた恐竜の図柄です。町づくりの一環として、西紀南まちづくり協議会が、神戸大学農学実習生と東雲高校実習生の協力を得て、黒の古代米と白のつくしあかもち米で、描いた餅米の稲作なんですって・・・。見物用の足場が作られているのにびっくりです。
  わが輩が訪れたのは、秋分の日、9月22日の土曜日です。午後3時頃でした。軽自動車で5分ぐらいのところです。訪問者はわが輩一人でした。ちょっと寂しくなりました。
  この日、丹波篠山地方は、小学校の運動会の日でした。過疎化が進み、次々に小学校が統合されていきます。運動会のピストルの号砲も、
太鼓の音も、何となく活気に乏しい感じです。ついこの間、オリンピックのメダリスト祝勝パレードに50万人が、銀座の街頭に集まった光景をテレビで見たところでした。この丹波篠山に50万の人々が集まったら、どうなるのでしょうか?

  やっぱり人が大切です。人が社会を創っていく筈ですよね。でも、今の世の中を見ていると、完全に社会という魔物が、人間を創っているようで、不気味です。田んぼアートから話が、かなり脱線しました。

<畑小学校閉校に当たり>

  139年の歴史を刻んできた篠山市立畑小学校が、児童数の減少に伴い、本年度をもって城北小学校と統合されることになりました。このたび畑小学校の記録を後世に残すべく、「畑小学校閉校記念誌139年の歩み」を編纂されることになり、関係者の皆さんに原稿依頼が、わが輩の元にも参りました。400詰め原稿用紙1枚です。

  さて、掲載されるかどうか分かりませんが、早速、送付した原稿を、ちょっと紹介しますね。

  {昭和59年度、60年度の2年間、篠山町立畑小学校で新任の校長としてお世話になりました。
   わずか2年間でしたが、当時の先生方、約100名の児童たちに恵まれ、PTAはじめ地域の皆様方の暖かいご支援を得て、無事に職務を果たすことが出来ました。
  たくさんの思い出の中で、印象に残っているのは「ほのぼの学習」です。お年寄りと児童たちで、いっしょに収穫して焼いたサツマイモの味が忘れられません。
  今ひとつは昭和60年度3月に竣工された体育館(講堂)です。新しい体育館で最初の卒業式を挙行しました。また、記念事業として同窓会名簿を発刊しました。
  もう、28年も前になります。このたび、平成25年度から合併して、事実上、現在の畑小学校はなくなりますが、私にとって畑小学校は永遠に不滅です。}
 

 

☆ブログ左(ブログ本上)、昭和60年度の秋、畑小学校の玄関入り口の広場で、「ほのぼの学習」収穫祭、開催の挨拶をしているところです。木造の校舎です。校舎の中は全て木で創られており、今でも木のぬくみが伝わってきます。(この校舎も建て替えられ、今は全くございません)

☆ブログ右(ブログ本下)、老人会の皆様のお世話になりながら、全校児童でサツマイモをほり、収穫しているところです。

  

☆昭和61年3月、念願の体育館が竣工しました。多分卒業式の前日に、体育館の前で写した写真だと思います。ちょっとボケていますが、元気です。ちょうど卒業式が終わり、その日に篠山中学校に転勤の内定があり、晴天の霹靂、びっくりしたことを、28年経っても、しっかり覚えています。

☆もう一枚は61年度の学習発表会で、尺八を吹いているところです。わが輩の全盛時代でしたね。後ろの幕に写ったシルエットが、いつ見ても懐かしく、思い出されます。

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秋の気配

2012-09-20 18:03:40 | Weblog

  9月20日、まだ暑さは残っているものの、ここ丹波篠山地方も、さすがに朝夕は秋の気配を感じるようになってきました。昨年のブログの本を開いて感心しました。一年たっても、畑の様子、吾輩の健康状況、日常の諸々の生活模様は、ほとんど同じなんです。ただ違うのは昨年はちょうど今頃、働き過ぎて、熱中症に罹り、高血圧を伴い、病院で点滴を受けて2日間休んでいることです。今年は要心のおかげで、きわめて快調です。(もろに安心は出来ませんが・・)

  このところ、世の中は大変騒がしくなっています。ついこの間は、竹島をめぐり韓国との領土問題が起きたところです。今度は尖閣諸島をめぐり中国と、衝突しています。連日連夜、中国での反日デモの様子や尖閣諸島の中国監視船の航行状況などが映されています。昭和の初め頃なら、文句なしに戦争でしょう。
 そういえば、昭和6年(1931年)柳条湖事件が起き、満州事変と発展したんですよね。あれから81年の歳月が流れました。吾輩が3歳の時ですから、記憶にありません。それから6年後、昭和12年(1937年)7月7日、いわゆる盧溝橋事件が勃発し、支那事変(日中戦争)、長い戦争の幕開けとなったんですよね。吾輩は9歳で小学校の2年生でした。
当時よく聞いた言葉は「盧溝橋の銃声一発で戦争が始まった」と言うことでした。まあ、小学生時代は、戦争に勝利する景気のよい話ばかりでした。昭和16年3月に小学校を卒業し、4月に中学校に入学(当時は試験がありました)、その年の12月8日に真珠湾攻撃、「アメリカと戦闘状況に入れり」と、大本営から発表されました。これは、今でも鮮明に覚えています。でも、太平洋戦争は、昭和20年8月15日、「耐がたきを耐え、忍びがたき忍び」となったんです。
  敗戦から実に67年、歴史的にも希な発展を遂げたわが日本が、現在、震災と原発災害に苦悩している時に、中国、韓国との領土問題は国難としか言いようがありません。まあ、領土問題は、「わが国の領土です」といって・・・そっとしておけばいいのです。ただ、デモによる破壊は中国国家にきちんと弁償さすべきです。
  これからは国と国の外交問題です。それで飯を食っている人たちが、命を削って努力するべきです。

  国の政治については、84歳の老人のいうべき話ではないようです。やっぱり、毎日の暮らしの様子を、正直に書き記していくことにいたしましょう。

<暇があるようで暇がありません>

  毎日がSundayです。 朝は8時頃、床を離れます。(もう少し早く目を覚ましているんですが、寝床でテレビなどを夢うつろに聞いています)。起きると、新聞受けまで新聞を取りに行きます。朝食、血圧の薬を飲みます。新聞を見ます。(読むのはスポーツ記事と地方新聞記事と、おくやみ欄、時々社説)。9時頃には決まってパソコンを開きます。メールなど、10分から20分ほど。それから散歩程度に畑を見て回ります。畑の状況によって、その日の仕事の計画を立てます(いつもながら計画倒れですが・・・)。
  11時頃、急に思い出したようにスーパーへ買い物に行きます。昼食は大体12時30分頃です。それから3時頃まで昼寝です。草刈り、草引き、ウネづくりなどの仕事が、次々と迫ってきますが、十分に出来た試しはありません。ヌカぼかし、活性液づくりをします。マルチなどの後片付けに追われます。黒豆や小豆などに忌避剤をまかねばなりません。毎日、ぶらぶらして、暇なように見えますが、暇な時は一度もありません。
  夜になると、パソコンなどを開きますが、ブログもなかなかキイを打つまでには至りません。パソコンで麻雀などして遊ぶこともあります。夜はおよそ、テレビ鑑賞ですね。寝るのは11時以降になります。これが吾輩の日常生活です。いやぁ、暇があるようで暇がないというのが現実です。

<嬉しいことがありました>

  9月3日、稲刈りが終わり、お米が出来たのが9月6日、10袋(1袋30k)程度の保有米が届いたことです。これだけでも十分嬉しいのですが、供出米が1等になり、9月16日、新米を米つき器でひいて、食べた時です。「いやぁ、これがコシヒカリや」と、吾輩の声に、皆びっくり、そして、口にして、「ほんまにおいしい」と、異口同音、顔を見合わせました。

  その頃を、写真で記します。

 

☆9月3日の夕方、稲刈りが終わったわが田んぼです(約3反、30a、正確には27.6aです)。田植え、稲刈りなど殆どの行程を、親戚先の大型米農家Kさんに作ってもらっています。農薬、化学肥料など最小限にとどめ、殆ど有機米と言ってもいいと思います。

☆9月6日、10時頃保有米が運び込まれました。約10袋です。1袋30kgです。昔では考えられません。刈り取り、すぐ乾燥機に入れ、2日ほどでお米になるのですよ。殆ど機械がやってくれるとはいえ、大変な作業です。Kさん一家に感謝です。

 

 

☆運び込まれた保有米の収納庫です。竹炭やEMセラミックなどを入れています。

☆わが家の米つき器です。もうかれこれ20数年前になります。それまで、農協の米つき器などを利用(300円ぐらいだったか?)していましたが、ある先輩から自家用の米つき器を紹介していただいたのが、この機械です。大変優れもので、20数年故障なしです。1度に30kgをつけるので便利です。

 

☆9月17日、わが輩の昼ご飯です。真ん中がコシヒカリです。右がたらこ、左がさらだ、上の青いのがダイコン間引き菜(これがめっぽううまい)、ピーマンの醤油炊き、山椒、上は食後のわが家のイチジクでーす。健康食でしょう。

<黒豆に立枯病がやってきた>

  4号田の黒豆に、以前から気にしていた立枯病がやってきました。症状は2、3週間前から少しずつ現れていましたが、すでに10本ほど引き抜いて燃やしました。
  一度、立枯病、詳しくは茎疫病に罹ると、まず手の打ちようがございません。土の中に茎疫病菌がはいり、黒豆の茎にとりつくと、根元から白い菌体(白絹病菌?)が付着して、見るも無惨に枯れ果てていきます。
  これまでにもいろいろな対策を試みました。根元にヨードチンキをうすめてかけたこともあります。いろいろな善玉菌をかけたこともあります。みな、あまり効果がありませんでした。(いちばん良いのは2年ほど水田にして稲作をすれば、茎疫病菌は死滅するようです)。最近、篠山産業高校、東雲農高が立枯病の対策としてトルコデルマ菌と土着菌を培養して、機能性堆肥をつくり、土作りに役立てると、黒豆の立枯病は激減するという発表をしていました。
  とにもかくにも、今年は黒豆づくりのプロのお方も、立枯病の発生に困惑されている様子です。気候のせいでしょうか、土づくりの段階で、何らかの異常があったと言うことですが・・・。わが輩の田んぼも4号田だけに、茎疫病が発生しています。2号田は目下無傷です。たくさんの莢を付け始めただけに、「このまま大きく育ってくれよ」と、毎日手を合わせて祈っております。

 

☆写真左(ブログ本は上)は、4号田の立枯病に罹った黒豆です。枯れるとすぐ引き抜いて焼却します。莢をつけ始めたところですが、やむを得ません。広がらないように祈るだけです。

☆写真右(ブログ本は下)は、茎疫病の拡大図です。白い菌体が根元に張り付いて、成長が止まり、枯れていきます。

 


 

☆写真左(ブログ本は上)は、4号田の黒豆と右は小豆です。小豆は黄色い花をつけ、下から小豆の莢がぶら下がり始めました。黒豆の4ウネが、茎疫病に罹り、立枯れています。このまま収まれば、一枝での出来具合は例年以上ですがね。9月18日現在。

☆写真右(ブログ本は下)は、2号田の黒豆です。こちらは今のところ茎疫病は発生していません。目下、4号田ともども、病害虫対策として、除虫菊堆肥液、竹酢液などをまいていますが・・・。9月18日現在。

 

☆4号田(左)、2号田(右)の黒豆の生長状況です。9月19日の成長状況です。葉をめくりあげて、撮りました。これから大きく実を膨らませていくはずです。いま少し、上手に撮れていないのが残念です。本当は、もっとぎっしり付いています。まあ、10月10日になれば十分枝豆として利用されるでしょう。でも、わが輩は枝豆としては、ほんの少々食卓に提供するだけで、殆どは12月10日頃に、黒豆として収穫します。5、6升とれれば自家用として十分です。

 

 

☆9月14日、エンドウ畑の支柱などを取り払い、急遽、タマネギの苗づくりの畑に変身しました。9月15日、タマネギの種をまいて、苗づくりを始めました。この種まきの作業は、もちろん家内の仕事です。今年は種をまいて苗を作ってみることにしました。
 種をまいた後で、雨が降ったり晴れたり、天気が安定せず、大変でしたね。一応新聞紙を被せて、夜にはビニールを被せて、防護しながら、毎日、世話をしました。誰がしたって?・・・もちろん、家内の手作業です。

☆おかげで、9月21日には、一斉に芽を出しました。新聞紙をとった時の、状況です。ぎっしりと青い芽が生えてきています。ちょっと写真では不明ですが、このままの状況だと、かなり早く大きく育ち、定植できそうです。

 

☆9月18日の1号田のダイコンの成長状況です。9月3日に家内が種をまきました。それから2、3回は間引き、マルチの穴に、1、2本仕立てにしてきました。これも、みんな、家内が体の調子にあわせて、コツコツとやってきたおかげです。まあ、家内なしではダイコンは出来ませんね。感謝です。 

 

☆「二郎さんはいっこうに何もしてないようですね・・」と、言われそうですが、どうして、どうして、ハクサイなどの追肥はわが輩がやりました。9月21日の午前中、9時30分頃から10時頃まで準備をして、3号田の40本のハクサイに追い肥をしました。約30分ぐらいで完了です。
  追肥の内容は、牛糞10リットル、鶏糞焼き灰10リットル、ヌカぼかし5リットル、活性液2リットルを混ぜ合わせたものを、移植ごてで2杯分をハクサイの苗の間に、マルチに移植ごてを差し込んで、マルチの内部に追肥しました。この様子は、かれこれ15年ぐらいは続いています。
  この写真は、寒冷紗を一方にめくりあげ、腰掛け車に腰を下ろし、作業をしています。かなり涼しくなりました。でも、汗はかきました。午後、2号田のハクサイに追肥予定です。「二郎さん、頑張れ!」、応援歌があちらこちらから聞こえてきました。

 

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秋野菜づくり

2012-09-13 21:07:31 | Weblog

  秋の野菜づくりがたけなわです。その模様を少し記します。残暑、誠に厳しい中、ご老体、頑張っておりますぞ。日にちは前後します。

<ハクサイの定植>

  9月12日、13日の2日間、いずれも午後5時頃から6時30分頃まで、約1時間30分を要して、ハクサイ苗を定植しました。

  

☆8月24日頃種をまいたハクサイの9月8日の成長状況です。2箱のトレイ(6x12)で育苗しました。世話のほとんどは家内の仕事でした。トレイ一つに一本仕立てに選別し、ともかく水やりが大変だったようです。もう、ここまで育てば、後は定植時期を待つばかりです。

☆9月12日、定植出来る、頃合いになってきました。いよいよ、定植します。でも、ちょっと定植と移植のことが不明です。吾輩の解釈では、トレイに育てた苗を、最終段階で畑に移すことを定植と解釈しています。で、今回も準備した畑のマルチを張ったウネに、トレイの苗を一つずつ、取り外して、植えていく方法をとりました。トレイから苗を取り出すのは家内がやってくれました。

 

 

☆3号田のウネ(90cmx8m)に千鳥植え(約40cmの間隔)で、40本定植しました。

☆定植後、椿の油粕粉末をまき、モミガラを被せました。写真はモミガラを被せているところです。

 

 

☆支柱をさしこんだ写真です。支柱を差し込む前に、水やりをしています。

☆寒冷紗を被せて、ハクサイ苗の定植を終了しました。9月12日、5時頃から6時頃には終了しました。もちろん、準備などは3時頃から、ぼちぼち始めていますから、実労働は1時間30分ぐらいでしょう。

13日の夕方、2号田のウネにも、ハクサイを定植しました。この日は、特に残暑厳しく、5時頃になっても日が射し込んできました。

 

☆2号田のウネ(90cmx8m)に、ハクサイ苗を定植(35本)しました。
 
☆日もかげりはじめ、6時を過ぎていました。水をまき、支柱を立て、寒冷紗をかぶせる頃は、あたりは薄暗くなってきていました。「ああ、秋になってきたワイ」と、心で叫びました。写真はフラッシュをたいて、かろうじて、撮ることができました。

☆14日の朝、2号田のハクサイ定植後、寒冷紗を被せた写真です。上の13日の夕方撮った写真と比較するために載せました。

  ハクサイ苗植えの終了です。さあ、これからの世話が大変です。水やりと、頃合いをみて、追い肥をします。

  2,3日前、9月11日の話です。朝からどんよりと曇り、今にも降り出してきそうな雲行きです。天気予報では、関西地方は大雨と報じています。特に篠山地方では大雨警報が出ました。そんな時に軽トラックが止まり、シルバー人材センターより派遣の方が、草刈りに来られました。センターへ依頼していたのをすっかり忘れていました。

  こんな雲行きで雨が降り出せば、即刻中止するという条件の下に、8時半頃から、家の周りの草刈りをやっていただきました。警報は嘘だったのでしょうか、ともかく午前中、雨は落ちてきませんでした。作業は午前中の半日で、無事終了しました。それに、午後になると、雲行きは南から晴れ空がのぞき、見る間に晴天となりました。ほんまに天気って分からぬモンやなぁ、と、思わず叫びました。

  午後、車庫の入り口に、秋野菜の苗が届いていました。すっかり忘れていました。7月頃に農協に団体注文していた苗でした。ブロッコリー3本、キャベツ5本、レタス5本の苗でした。植える準備はしていました。マルチの穴開け器で13個の穴を開け、南側からブロッコリ3本、キャベツ5本、レタス5本の苗を定植しました。

 

☆マルチの穴開け器です。上から体重を掛けるだけで、きれいに穴が開き、開けたマルチは真ん中の釘に取り込めるようになっていて、便利です。ほんまについこの間まで、空き缶を利用していたのが嘘のようです。寸法は8cm、10cm、12cmと3個が用意され、お好みに合わせて、取り替えて、穴を穿つことが出来るわけです。ハクサイは12cmを利用しました。

☆2号田の南側に設けた野菜専用のウネです。手前からブロッコリー3本、キャベツ5本、レタス5本の苗を植え終わり、椿の油かす粉末、モミガラをまき、じょうろで水をまいているところです。

 

☆支柱を設定しました。寒冷紗を被せて、終了です。9月11日の午後5時30分頃でした。左のカボチャはまだ5個ほどなっています。右の黒豆は、莢(さや)が、できはじめたところです。これから一気に大きくふくらんでいくと期待していますが・・・。

☆野菜類、特にキャベツなどには、10年前頃から寒冷紗を使用しています。害虫、とりわけ蝶々などが生み付けるタマゴからかえる青虫対策は、ほとんど完璧となりました。でも、世話が大変です。ブロッコリーなど、大きくなれば、それだけを、寒冷紗から外します。従ってブロッコリーはウネの端に植えています。このウネの続きには、ブロッコリー3本とキャベツ5本を追加して植える予定です。 

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夕顔が咲く

2012-09-08 20:29:33 | Weblog

  9月7日の夕方、ほんの少しの時間、草刈り機を使用して、家に帰ってきました。通用門の入り口の五葉の松に、草刈り機を立てかけて、ふと、白い花が咲いているのに、気がつきました。よく見慣れた朝顔の葉でした。
  「きれいな白い朝顔が咲いてるぞ!」・・{お前さんら知ってるかい}とばかりに叫ぶと、居間の出窓から、「それは夕顔って言うのです」と、家内の返事です。「よい匂いがしているでしょう」

  「また、一本とられたワイ」と、心ひそかに呟いて、ゆっくり花びらに鼻を近づけました。はじめはあまり匂いを感じなかったんですが、少し鼻を遠ざけると、ほんまや、何ともいえないよい香りが漂っていました。馥郁たる梅の香りとよく言われる言葉ですが、それほど重厚ではないにしても、楚々とした可憐そのものの香りでしたね。

 9月7日、18時15分 の夕顔です。白いきれいな花びらです。その夕方は二つ咲いていました。でも、あくる朝、10時頃には、見事にしぼんで、昨夜の姿はどこにも見えません。白い花びらの手前に、次に咲くつぼみが見えます。
  「ああ、一夜限りの命ともがな・・」と、思わず叫びました。何故か急に{ものの哀れ}を感じ、感傷にひたりました。そう、そう、百人一首に{・・忘れじの 行末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな・・
}というのがありましたね。この歌と「一夜限りの命ともがな」が、連想して浮かんできたのです。

  吾輩はワイルドじゃねえじぇ、感性豊かなんだじぇと、叫んでにんまりしました。

  この百人一首は、53番目、儀同三司の母(ぎどうさんじのはは)の歌です。本名は高階貴子(たかしなのきし)、関白藤原道隆(平安時代中期の公郷、990年頃)の妻です。

  {・・「いつまでも忘れない」とおっしゃるその未来を信じるのは難しいので、その言葉をいただいた今日を限りとして、死んでしまいたいと思うのです・・}

  今時、こんな殊勝な女性は、見当たりませんね。でも、でも、恋心というのはいつになっても、変わらないと言うことなんでしょうか・・。

  9月8日、午前11時頃の夕顔の写真です。一夜過ぎれば、二つ咲いていた白い夕顔は、しぼんで見る影もありません。その代わりに、手前のつぼみが大きくなって、開きそうになってきました。 でも、夕方6時半頃になっても、昨日の二つ咲いたようには開きません。
  「おーい!夕顔が咲かないぞ」「そのうちに咲くのと違う」
  このような会話の後で、夜、8時頃見に出ると、見事に開いていました。

  夕顔というと、いつも思い出すのは、紫式部の源氏物語に出てくる「夕顔」の小説です。再度、読むべく日本古典文学全集の「源氏物語」(1~6)を開いたのですが、どういうわけか、夕顔が載っている1巻だけが、紛失しているんです。(まあ、そのうちに出てくるでしょう)

   物語に登場する数多い女性の中でも、夕顔の女は美しく、はかなく、光源氏が、こよなく愛した女性ですね。近いうちにもう一度読んでみようとは思っていますが・・・。

  9月9日、10時頃の青紫の朝顔です。家内が夕顔の横に咲かせています。今日の朝顔は、昼過ぎになってもしぼんではきませんでした。でも、夕刻にはしぼみました。味のある色合いです。 
  さて、前のブログで、昼顔のことを記しています。裏庭の皐月堤の中に、ひっそりと淡いピンク色の花を咲かせたと書いています。今年も8月初旬、やっぱり本当にひっそりと皐月堤の中に咲いていました。
  これで、わが家の朝顔、昼顔、夕顔を、みな書き記したことになりました。

  はて、さて、このボックスは何でしょう?  新聞受けの箱です。わが集落では、朝の新聞は、集落に設けた、この新聞ボックスまで、毎朝各自で取りに行くんです。都会からやってきた人は皆、信じられないと言われます。新聞は各家まで配達されるのが普通なんですね。そうですよ。わが集落でも、昔は村にそれぞれ配達する人がいて、家まで運んできてくれたんです。ですが、いつの間にか、配達する人が、いなくなってしまったんです。そこで、わが集落では、上、中、下と3つに分けて、配達業者が、この箱まで、運んで来ることになったのです。もう、かれこれ30年ぐらいは続いているでしょうか。
  わが家からこのボックスまでは、約150mぐらいでしょうかね。およそ、一番遅く起きる吾輩が、毎朝、ボックスまで新聞を取りにいきます。歩くのが一番なんですが、時々、軽自動車を走らせます。取りに行くのは、吾輩がいちばん遅いようです。
  9月9日の朝、いつものように新聞を取りに行きました。そのとき、ボックスの道路をへだてた前に、見事な百日紅(サルスベリ)の花が咲いていました。早速デジカメで撮りました。(そのとき、上の新聞受けのボックスを撮ったんです)

  百日紅は中国南部を原産とする夏を代表する花木です。冬は落葉します。吾輩は幼少の頃から、このサルスベリの木に大変興味を持っていました。「猿が滑る」というほど木の皮がつるつるしています。幹が分かれたところに「猿の腰掛け」と呼ばれるキノコが生えることがあります。
  まあ、しかし、実際は猿が木から滑ることもありませんし、猿の腰掛けに腰を下ろしている猿を見かけたことはありません。

  百日紅は春に伸びた枝の先端に夏から秋にかけて花を咲かせます。この写真はちょうど紅色の花を咲かせたところです。百日紅というのは、どうもこれは開花期間が長いと言うところから来ているようです。きれいです。

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無理は禁物です

2012-09-03 20:34:17 | Weblog

  あっという間に9月になりました。8月終わり頃から9月にかけて、何という忙しい毎日だったことでしょう。我ながら驚きです。無理の連続でした。でも、やっぱり無理は禁物です。あまり無理を重ねていると、いつの間にか、無理が蓄積して、病に伏すハメになる場合があります。この年になると、まあ、いろいろな人に出会ってきました。「あんなに働いとってやけど、大丈夫かいな?」と、思っていた男の人が、「ついこの間亡くなったで・・」と、聞かされると、あまり頑張らない方がよいのやと、自分自身に言い聞かす場合もあります。

  人生、皆、おおかた、そんなものですよね。でも、無理をして、頑張りすぎて、早く死ぬことが悪いことではないとも思っています。その人なりに燃焼して命を全うしたのですから、それはそれでいいと思っています。多くの人に迷惑をかけてだらだら生きているよりは、よいかも知れません。80歳を過ぎてくると、死というものが大きく、上から覆いかぶさってくるから、たまりません。絶対避けて通ることのできない道なんですものね。適当な時に適当にあの世とやらにいけたら最高ですよね。

  畑仕事は今までのように、スムーズにはいきません。夏野菜も秋の野菜づくりも少しずつ規模を縮小せざるを得ません。今年の夏ほど(暑さのせいもある)体力の限界を感じたことはありません。これは吾輩だけではなく家内も痛切に感じたことなのです。
  「熱中症にならんように日中は働かない」、「クールベルトを頭に巻いて仕事をする」、「昼寝を十分にする」、「しんどくなる前に、仕事をやめ家に入る」「仕事はできるだけ明日にまわす」「ともかく無理はしないことや」・・・吾輩と家内の合い言葉です。ですが、どうしても吾輩が無理をします。汗をかいて息も絶え絶え(ちょっと言い過ぎか)、家に駆け込み、シャワーして、寝転んで、扇風機を回します。まあ、どうなることかと思いきや、1時間もすると、残った仕事をやり始めるといった毎日でした。生きている証がここにあるというもんです。

  そんな時、8月30日、昼頃やっと待望の雨が降りました。田んぼの全ての野菜が息を吹き返しました。吾輩もちょっと安心し、一息ついたところに、新しいパソコン・ウインドウズ7が入りました。さすがプロです。1時間ほどで取り付け完了、使用可能となりました。

 

☆ウインドウズXPからウインドウズ7の機種変更は、ご高齢の吾輩の歳を考えればちょっと無理ではないかというのが、およそのご意見でしたが、やり始めるとそうでもありません。もちろん、詳しいことは解りませんが、何とか使いこなせそうです。「なかなか、やってやなー」というのが、皆の言葉でした。何よりも全ての機能処理が早いのにはびっくりです。

☆これで吾輩の書斎には3台のパソコンが備わりました。中のパソコンが常に使用するウインドウズ7です。左がデスクトップで、右が、今まで使用のXPノートパソコンです。これからの主役は真ん中のセブンとなるでしょう。

<人間の出入り口>

  8月31日、盆と正月がいっぺんに来たようでした。10時に吾輩泌尿器の検診です。午後2時吾輩と家内の歯科検診です。午後4時30分、吾輩の眼の検診です。まあ、よう、これほど検診日が重なったものです。皆予約制ですが、たまたま、この日に集中したんです。歯の検診で、家内と仲良しの親戚の人と出会って、二人で「皆、よくもまあ、出入り口が悪くなってしまってね」と、三人でカラカラと笑い合いました。それ、それ人は皆、「ハ、メ、マ・・」とか言うじゃないか、と吾輩の言葉に、またしても大笑い、意見が一致した感じです。
  吾輩は、この一日で、歯科、眼科、泌尿器科と、人間の出入り口の検診を、いっぺんに済ませたことになります。うれしかったのは泌尿器科の検診で、数値が下がり、異常がなかったことです。
  31日の夕方から、柏陵同窓会篠山支部総会役員会の慰労会に招かれて、ご馳走になりました。気分さわやかで、8月の終わりが、過ぎていきました。

<無理のないように秋の野菜づくりをしましょう>

  9月1日、1号田に、家内がダイコンの種まきを終わりました。正直に言いますと、9月の午前中に、やっと、3枚のウネに、吾輩が汗だくだくで、マルチを張ったところです。今年は9月の5日頃と思っていたんですが、家内の思惑とは違っていました。去年は去年、今年は早く植えるんですって・・・。
  この写真は、家内が9月1日の夕方に左のウネに長ダイコンの種を巻き終わったところです。(右の穴を開けたウネには、2日の朝、家内が一人で種をまきました)。うまい具合に、雨が少々降りました。

9月3日、3号田に家内がカブラ、丸ダイコンなどの種を巻き終わったところの写真です。2日の夕方に、やっと、スイカの畑が、ダイコンの畑に変身したところだったんです。ほんまに焦りましたぞ。無理は承知で、防護網をめくり、支柱を外し、マルチを両方に広げて、牛糞とヌカぼかしを入れ、耕し、マルチを戻し、穴をうがち、「はい、どうぞ」と、言うわけですから、大変汗をかいたことを報告しておきます。
  無理のないようにと言いながら、どうしてもご老体にむち打って、頑張らざるを得ないのです。

8月25日、家内がトレイ(6×12)に種をまいたハクサイです。9月3日の写真です。選別しながら、一つの穴に一本を育てます。この仕事は、ほとんど家内がやりました。

9月4日、黄マクワウリの畑を回収しているところです。3号田のスイカの畑と同じ作業です。防護網をめくり、支柱を取り外し、草を引き、ウネづくりをします。まだナスがなっています。背丈を超えて成長しています。秋口まで、なる様子ですね。このウネは晩秋にタマネギを植える予定です。手前のマルチのウネには、ハクサイの苗を移植する予定です。

(まあ、何とかブログを続けられそうです)


 

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