卆寿の旅

平成30年8月3日、満九十歳 卆寿になり、「八十路の旅」を「卆寿の旅」にタイトルを変更し、徒然なるままに記します。

10年1日

2011-01-29 08:38:56 | Weblog

今日も又、10年1日のような生活が始まりました。
とりわけ、このところ10年間は、特別な行事がない限り、朝起きてから、夜寝るまでの生活には、大きな変化がありません。 変化がないことは、すごくよいことなのですが、若いときは、この平凡さ加減を、いくらか軽蔑をしていた嫌いがありましたね。 でも、齢80歳を越えると、平凡で変化がない生活に、大いに満足し、感謝する毎日となります。

朝のサイクル

「早起きは三文の得」と言いますが。吾輩は早起きは大の苦手です。早くて7時ごろ、寝床から起きるのは8時ごろです。
日の出は7時頃だそうですが、吾輩の集落の山あいに顔を出すのは8時半から9時頃です。
起きてすぐに集配所へ新聞を取りに行きます。各家庭に新聞配達をする人がいなくなり、約20年間続いています。

家内の用意した朝食をとりながら、新聞に目を通します。
「おーい!OOくん、亡くなったぞ」
このところ、新聞の一番最初に目を通すところは、「おくやみらん」なんです。思いがけない名前にびっくりします。次々に同世代の仲間が去っていきます。感慨ぶかい朝食となります。
さて、朝食はここ10年ほど、同じメニューです。

 パン一切れ、コップ一杯の水、豆乳一杯(白いもの)、黒豆絞りかす(くろいもの)、柚子のジャム(家内手づくり、左端のスプーン)、今ひとつは青森産直送のリンゴ(半分かまたは一個)です。豆乳は牛乳の時もあります。黒豆の絞りかすというのは、黒豆味噌づくりの際に出来るくろい皮を湯につけたモノです。喉によい、風邪をひかないと言われています。

朝食後は、パソコンのメールなどの確認(10分~30分ほど)をします。

天気の日、気分のよい日は、午前中、1時間ほど、田んぼで作業をします。この頃は寒いので、軒下などで、支柱などの整理をします。昼まで1時間ほど、郵便局に行ったり、スーパーに行ったりすることもあります。
そう、そう、大事なことを忘れていました。午前中に必ず、トイレで排便します。10年1日の感じです。適切な排便は、まさに吾輩の健康のバロメーターなんです。尾籠な話で恐縮ですが、ここ、20数年、少々便秘気味ですがね、下痢らしい下痢はしたことがありません。

昼のサイクル

朝食は一定ですが、昼食はその日その日によって違います。ここ10年、昼食の世話をするようになってから、家内の重荷となったようです。そりゃ何十年も昼食は家内一人で、あり合わせのモノで凌いできたんですから、昼に亭主がいるって大変なんですよ。「なんでも食べてやけど」というものの、やっぱり準備その他はしなくてはならないというわけです。

時にはスーパーで「造りものやパックのおかず」を、買ってくるときもありますが、大抵はあり合わせのモノ(すき焼きの残り物などは最高)で、済ませています。 でも、まあ、大変。ありがたい。

 29日(土)、昼食のメニューです。エンドウは家内が昨年の夏に冷凍したモノです。充分1年間は冷凍で保存できるそうです。エンドウご飯は、小豆ご飯と共に私の大好物なんです。サバ焼と納豆と白菜、高菜などの漬け物です。

昼食後の昼寝は必ずします。まあ、布団に横になるだけですがね。それでも、ウトウトと寝てしまうときがあります。長時間寝ると、夜が眠れないので、出来るだけ、横になってテレビを覧ているときが多いですね。
時々、昼寝の時間に、パソコン:ブログを書き込む場合もあります。そうなんです。時々猫が私の横のソファーに座っていることがあります。4年前になるでしょうかね。住み着いた野良猫を飼ったのです。孫娘が「タマ」と名付けて、いたく可愛がったモノです。この春には中学生になりますが、最近、忙しいのか、あまり「タマ」「タマ」と言わなくなりました。

  29日の午後、ブログを書きとめている吾輩の隣のソファーで、じっと座っているタマです。(タマのことは、傘寿のブログをはじめた最初の頃に記しています)

  29日、午後、1時からの新喜劇をテレビ鑑賞してから、少しウトウトしました。この写真は、寝床で3時、ストレッチ体操(詳細は後述)を、しているところです。被っているチョコレート色のブランケットは、通販で取り寄せたモノです。(通販はサイズや色が難しいですが、このブランケットは成功でした。毎年だと、肩口が寒いのですが、このおかげで、この冬は今のところ寒さ知らずとなっています)
テレビは地デジ対応のテレビです。テレビの前の青い色をした2本のペットボトルは「元気の水」です。マグネシュウムの棒が3本入っています。1日と言っても殆ど夜だけですが、2本は飲んでいます。 
ペットボトルの横にちょっと見えているのは、加湿器です。この加湿器を使用し始めてから、喉が乾燥しなくなり、風邪をひかなくなりましたね。原因は加湿器だけではないとは思いますがね。
昼間はコタツをしていますが、夜寝るときは、ブランケットもコタツも、使用してはいません。パジャマで寝ます。 

晩のサイクル

夕方、6時半から7時頃にかけて、家族全員、母屋(吾輩と家内の二人の住む家)で、夕食をすることになっていますが、6人家族が全部揃うのは、誕生日などのお祝いの時だけです。

29日は家の重鎮、長男の誕生日です。 3・8豪雪と呼ばれた、昭和38年1月29日に生まれました。その息子長男が1月30日です。従って、今夜はダブル誕生日のお祝いをします。

 
焼き肉パーティと誕生日お祝いのケーキです。我が家の大将がちょっと遅かったけど、揃ってお祝いできました

夜8時頃からは、大体テレビをみたり、パソコンを開きます。
10時頃には風呂に入ります。入る直前に、必ず、すっぽんぽんで体重計に乗ります。「えーい!肥えてたら承知せぇーへんぞー!」と、叫びます。これは日課です。昨夜と今夜が曖昧模糊となってきます。・・・「さっき計ったとこやなぁ」・・・。このあたりになると、1日の終わりを感じます。そのあと、コレステロールを下げる薬を飲み、寝床で再度テレビをみます。11時半頃には、いよいよ眠りはじめます。ちょっと、待った!この時に、毎日、吾輩流のストレッチ運動をします。

・・・右手の親指と人差し指で、左手の親指の先にあてます。あてるときに鼻から息を吸い込みます。次にあてた指先に軽く力をいれながら、口から息を吐き出します。この動作を人差し指、中指、薬指、小指の順に、繰り返します。その時右足のつま先を、左足のつま先にのせて、足を伸ばします。
この一連の動作を、左右5本の指運動をし、2回から3回実施します。合計で2回の場合20本、3回の場合、30本の計算になります。
これで、睡眠促進運動は完了です。ですが、眠るのは難しいものですね。修業が足りない由を感じます。一晩に最低2回はトイレに立ちます。でも、これは当たり前のようですね。みんなそう言っています。

これでやっと1日が終わりました。明日は再び大雪だと、報じています。
もう、雪はいりません。(30日、31日と丹波地方は厳寒なれど快晴でした)

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結婚記念日と朝日

2011-01-22 09:29:00 | Weblog

1月22日(土)の朝、家内が意味ありげな笑みを浮かべています。{意味ありげな笑みって、これは吾輩だけしか解らないもんです。いとも表現がしにくい。
暫くして「今日は何の日ですか?」と言う。 咄嗟のことで思い出せません。でも、ちょっと間をおいて、「結婚記念日や。知っとるわい」、やっとの事で思い出したんです。

結婚記念日

昭和35年1月22日が、私たちの結婚記念日です。昭和35年は1960年です。2011-1960=51で、51年前になります。そう、そう、一昨年は神戸新聞社主催の結婚50周年記念の式典に参加したんだっけ。
それにしても、よくぞ、51年、お互いに辛抱してきたもんですわ。こう言うと、「辛抱してきたのは私です」と、決まって家内が呟きます。でも、外界では、私が「よく辛抱してきました」と、言うことにしています。よく知っている人はこれは私の単なる社交辞令で、冗句となっています。いずれにしろお互いに頑張って生きてきたもんです。

 平成21年1月22日、51年前の写真をデジカメで再生しました。51年前、当時の家の座敷で、記念写真。 後ろの掛け軸は現在も我が家の家宝です。懐かしいですね。 

結婚式は現在のように結婚式場で挙げるのではなく、大概、生まれ故郷の家で式を挙げるのが普通でしたね。私の場合、家内の家で執り行いました。まあ、大変なことでしたね。親戚一族、村の方々あげての式典ですから、そりゃもう、飲むわ、食うわの盛況です。現在では、全く考えられません。これでは、簡単に離婚なんてできないわけですね。現在、いとも、あっさり離婚なさるのは、簡単に式が挙げられるからでしょうか?ここのところは、はっきりとは解りませんがね。

昭和35年1月22日は、大変寒い日でした。雪がチラチラと舞っていたことを覚えています。現在のように鋪装されていない、泥濘(ぬかる)んだ道を、二人で一軒一軒、お礼の挨拶回りに行ったことが、薄れゆく記憶の中によみがえってきます。
その後、大阪府茨木のN少年院を退職して、西紀町の教育委員会で、多紀郡最初の社会教育主事として、5月から、勤務することになりました。そのあたりの自分史は、また、暇あれば記してみたいと思っています)


朝日を浴びる

今に戻りましょう。
今年の1月22日、大変寒いですが、20日、21日、22日と、3日間連続の晴天続きの朝を迎えました。この朝日がすごかった。8時半頃に、東の山あいの空(ユニトピアささやまに抜ける峠道、一段と低くなった稜線)に、くっきりと姿を現した太陽は、山の端を西にとりながら、あまねく、我が集落を照らしました。

 1/23,曇り空、午前9時の朝日です。
 天気は下り坂、午後からは雨か雪模様となりそうです。)


私は3日間とも、この朝日を浴びました。10分間くらいは、朝日に向かって、深呼吸をしました。寒空の中に差し込む光は、たとえようのない力を持っているようでした。体の隅々まで、元気をもらったような感じがしました。このエネルギーは、いったい何なんだろうと、不思議に思う。昔から、「朝のお日さまはご利益がある」とは聞いていましたが、どうも、そんな感じがしました。「出来るだけ朝日を浴びる暮らしを続けていこう」と、痛切に思っているところですよね。

 

連日の晴天で、午前中は殆ど戸外で、朝日を満面に浴びながら、こそこそと作業をしました。左の写真は、井戸からポンプで吸い上げている水道管が、凍てついて破損の修理をしているところです。再度、布切れを被せて、防寒しました。

左のピンクのサザンカは、結婚25周年・銀婚式記念式典が、神戸国際会館で催され、
兵庫教育福祉更正会から、記念にいただいたものです。1960+25=1985・・・。 昭和60年です。確か昭和60年は、篠山の畑小学校で校長をしていた頃だったかなぁ・・・。二人で神戸に出向き、デューク・エイセスのコーラスを聴いてサザンカの苗木など、記念品を下げて帰ったことを覚えています。本当に30cmぐらいの小さい苗木でしたが、家の前栽に植えたモノです。あれから25年も経っているんですよね。(銀婚式の2年後、兵庫県教育勤続25周年の表彰式典がありました。その時も夫婦で参列し、私は丹有地区代表として、祝辞を述べたような気がいたしますね。平成62年、確か、篠山中学校の校長をしていたと思います。歴史ですね)。

右の写真は、猿よけ網の上に巡らした防鳥網が、風や雪で、破れたのを補修しているところです。17日に降り積もった畑一面の残雪を、踏みしめながらの作業です。こうして朝日を浴びながらの作業が出来るのは、至福の極みです。めでたし、めでたし、自画自賛。 

 

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真冬日到来

2011-01-18 14:45:22 | Weblog

真冬がやってきました。
強い寒気が上空に流れ込んだ16日、17日、丹波地方でも記録的な大雪となりました。16日は一日中雪が舞いました。雪除けをした後から後から、雪が降り積もりました。
17日の早朝、わが家の周りにも、20cm弱の積雪をみました。丹波地方の青垣遠阪では64cm、篠山市の東地方では約30cmの雪が積もったと、新聞に載っていました。

 
17日の早朝、我が家の玄関口の雪景色と五葉の大松を伴う我が家の全景です。
玄関口も小さい五葉の松と魔よけのヒイラギを植えています。

家の前の猿よけ網は、補強と補修のおかげで、今回の雪による被害はありませんでした。水分を含まない、サラサラした雪質にもよったのでしょう。雪はすべて防鳥網のめをくぐり通して、田んぼに積もっていました。

今日はなんの日

ところで今日は1月17日、忘れもしません。 阪神・淡路大震災から、丸16年が過ぎた日なんです。あの日、六甲に住む長女の親子5人から、連絡があったのは、正午過ぎでした。それから私は毎日、六甲北街道を越えて、生活用品を運びました。あれから、16年が経ったんですね。焼け野原になった神戸の街並みを眺めながら、1945年、空襲で焼け野原となった神戸の街が、重なってきました。「ああ、神戸が燃える、神戸が焼け野原となる」、震災と敗戦時の神戸の街並みが、重なって見えました。「地球は大丈夫なんか? 人間のおごりが、エゴがもたらしたモノではないか?」 こんな思いをしきりに感じたモノですよね。
しかし、最近、こういう想いは日を追って大きく膨らんできます。オーストラリアでは大洪水、西洋では大干ばつ、タヒチの大地震、などなど、どうも地球はおかしい。地球は大丈夫なんか?と、自問自答する毎日なんです。これは、吾輩だけではないと思いますよね。でも、それで、どうすればよいのかは、全く見えてきません。「地球の温暖化です」、「環境問題です」なんて、一言で片付けられません。人間のおごりと、エゴだとすれば、おごりとエゴを抑制する方向を描けばよいのです。まあ、人間、それが厄介なんですよね。今日は、それくらいにしておきましょう。老人の戯言になりますからね。

ハクサイ保存

15日の天気予報と周囲の状況によって、15日の夕方、田んぼの寒冷紗で覆ったハクサイを全部収穫して、家の中に持ち込み、保存収納したのは、大成功でした。
16日の早朝から17日の朝にかけて、ハクサイのあった田んぼも、白一色で覆われたからです。
「危機一髪やったのう」 「これで、うまく保存すれば、ハクサイも春まで大丈夫ですね」 私たちの会話です。

ちょっと、われ流のハクサイ保存を記してみましょう。

   

15日の夕方、寒気の迫る田んぼに、残っていた6個のハクサイを、根元から切りとって、家の中に持ち帰った写真です。

一つずつ、新聞紙に包み込んでいるところです。新聞紙は2枚重ねがいいようです。一枚では少し薄い感じです。

新聞紙に包み込んだハクサイを、蔵の中に収納して保存完了です。まあ、2月、3月まで保ち、春先まで保存はOKです。田んぼで、そのまま保存してもよいが、このように寒くなると、やっぱり家に持ち込んで、保存するのがベターですね。
既に10個ほど取り込んでいたので、全部で16個ほど保存していることになります。

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ダイコンを保存

2011-01-15 11:51:00 | Weblog

まだ、あちらこちらに残雪がみられます。15日を過ぎると、再び寒波がやって来るとの天気予報です。でも、要心は大切ですが、寒い寒いとばかりも、言っておられません。田んぼが、「ジロウ来いよ」と叫んでいます。

ダイコンの保存が遅れました。畑が凍てつくと、ダイコンも凍てた状況になるので、その状況で、畑の土の中に埋めて保存するのは、避けた方がよろしい。1月13日、少しあたたかい日射しがあり、午後になると、凍てた状況も戻ったので、畑に残ったダイコンを全部、土の中に埋めて、保存しました。今年は少し小振りですが、それでも20本ぐらい残っていました。冬中の貴重な食糧なのですよ。

                  (1)                     (2)
 
(1)畑で成長続けるダイコン。葉がしっかりしています。この葉が凍てると
   中身が凍てつき、スが入るとダメ。

(2)氷り、凍てついたのが、充分に戻ったのを確かめて、葉っぱを5cmぐ
   らい残して、切り落とします。


        (3)                    (4)      
 
(3)そっと引き抜き、掘った穴に、並べて入れます。 斜めに入れても
   よい。 今年は小粒で並べやすかったですね。

(4)土を被せます。全部被せてもよいが、葉っぱを少しのぞかせていま
   す。ダイコンの位置が解りやすいためです。


          (5)                     (6)
                    

(5)もみ殻で覆い、ダイコンの土の中での保存が完了です。 葉っぱは殆
   どかくれています。

(6)保存方法は、漬け物容器、段ボールの箱、プラスチック容器などに、
   ダイコンを入れ、その上からもみ殻を被せて収納すると、冬を越し
   ます。

  

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小正月まで

2011-01-14 13:36:05 | Weblog

 

八坂神社

我が集落の東の山裾の丘に開かれた、私たちの村の鎮守の神社です。

大変歴史のある神社で、大鳥居の傍にそのいわれが明記されています。

  
坂神社の説明の看板です。町木が樫の木と記されていますが、西紀町時代に建立されたからです。ですが、神社の下の境内には、樫の木が植樹されていますが(昭和の終わり頃)、お堂の両隣には二本のシイの木の巨木が聳えています。秋にはシイの木の実がたくさん落ちます。まあ、歴史のある神社なんですよ。
                      

     
この写真は元旦に一人で参拝した時の姿です。  八坂神社本堂の両隣に聳える
大鳥居でVサインして頑張っています。        シイの木の巨木です。

トンド焼き 

明日で1月15日になります。所謂、小正月と言われています。
元日を中心とした「正月(大正月)」に対し、1月15日を「小正月(こしょうがつ)と言うようです。厳密に言うと1月14日の日没から15日の日没までを指すようです。小正月には、集落ごとに違いはありますが、お正月にお迎えした神様をお送りする日本古来の伝統的な「トンド焼き」という行事があります。
私の集落でも15日にトンド焼をしていましたが、最近では勤めをしている人も多く、今年は9日の日曜日でした。

その辺の模様をちょっと記してみますね。 

9日の午前8時頃、正月のしめ飾り(ゴンボ1個、メガネ1個、丸飾り1個、それにしゃもじ飾り14個)を集めて二つの袋に収めました。とはいえ、しゃもじ飾りの殆どは、既に朝早くから家内が集めていましたが・・・。
それから、トンドに焼く鏡餅を、竹の先に括り付けて、8時半頃に八坂神社のトンド焼の境内への56段の石段を登りました。
9日は7日から8日にかけて降った雪が、融けることなくそのまま残っていました。きびしい寒さが肌をさします。

境内のトンド周辺には既に5,6人が集まり、それぞれトンドに餅をかざして焼いていました。焼けたお餅をお互いに、ちょっとつまんで食べてもらうのが、エチケットなんです。小学生の子が書き初めの清書を燃やして、親子で「高く上がれ」と叫んでいました。少子化の所為で少しは下火になりましたが、それでも昔と変わらぬ風景にであいました。

挟んだ餅を全部焼いてしまうのは、大変時間がかかります。昔はトンドを囲んで1時間も2時間も焼いていましたが、3分の一も焼ければ上等です。後はそれぞれ家に持ち帰り、再度火にかけて、皆で食べます。この餅を食べると風邪を引かないと言われています。私の場合はいつも家内が焼直しています。この頃ではチンしているようです。


10時にお宮さん参拝の儀式があります。一年中の無病息災・五穀豊穣をお祈りいたします。朝から往復2回の神社石段登りは、82歳の老体にはちょっとこたえますが、「しんどいやろ、しんどいやろ」と、家内から言われると、ついつい負けん気が芽生えて、「どうちゅうことないわい」と、うそぶきます。

11時半には、今度は初講に出席です。
集落の一軒一軒から、代表者が一人出席して、集落の公民館に集まり、お宮に供えた、お米と、御神酒と、スルメイカをいただき、新年を寿ぐと共に、無病息災・五穀豊穣をお祈りして、飲み食いをする会です。皆、それぞれ赤飯を持参します。 一年の最初の会で、私たちは初講と言っています。
大体2時頃には終わります。今年は福引きがあり、私は特賞があたりました。「桐ばい懐炉の30個入り」をいただきました。ちょっと酔いもまじり、気分よくして、家に帰り、昼寝としゃれ込みました。いやぁ、朝からの疲れで、横になったというのが本音です。


今年は雪がよく降る

   今年は雪がよく降ります。今日、15日までに4,5回は雪の朝を迎えています。ここ数年、10cm程積もったことはありますが、まあ、大雪による被害はありませんでした。でも、今年はどうも様子があやしい。全国的にも激しい寒波襲来で、特に雪の被害が毎日報じられています。兵庫県北部とりわけ、近くの鳥取地方でも、降雪のため、自動車の列が、道路に閉じこめられたなど、毎日のように雪の被害が報じられています。

ここ丹波地方でも可なりの積雪がありました。わが家の周辺の状況を少し写真で、記してみます。

  

1月10日の朝、市道から我が家に敷設した私道(平成5年頃)に、降り積もった雪景色。道の両側の樹は左がレイダンディ、右がニオイヒバで、平成5年頃植えた樹です。その当時は1mぐらいの苗木でしたが、10年も経つと、こんなに大きくなりました。

右の図は、1月10日の降雪により、必死に耐えている猿除け網の支柱の姿です。降雪の度に、補修、補強をしてきたんですが、15cmも積もれば、このような状況です。おかげで、寒い中、作業により、手首を痛め、まだ完治していませんよね。でも、雪は出来るだけ払い除け、支柱を立て直し、防獣鳥網を補強して、なんとか持ち直しています。 

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新春放談

2011-01-05 13:38:33 | Weblog

寿新春:明けましておめでとうございます。

  

1月1日、一面の雪景色です。新年早々の雪は久方ぶりです。でも、やっぱり雪景色は新年によく似合いますね。 寒いけれども、何となく新しさを感じます。
   吾輩は長靴スタイルで、一人デジカメと三脚を抱えて、村の八坂神社にお参りをしました。家から歩いて5分ぐらいのところに村の八坂神社があります。新年には、老若男女を問わず村人こぞりて朝早く八坂神社にお参りをすることになっています。
 
今年の村の合同参拝は9時でした。 今年、合同参拝を見合わせた吾輩は、丁度合同参拝が終わった後に、一人でお参りをしたわけです。(かなり険しい約54段もある石の階段を上ると、神社の境内が広がり、その広場で、村のトンド係が、朝早くからトンドを燃やし、参拝の人々に暖をおくることになっているんです)
 境内の狛犬や木々には雪が降り積もり、一人お堂の前で手を合わせる吾輩82歳5ヶ月の姿です。(写真はすべて自動シャッターです)

  

 
参拝を済ませて帰り道、路端の池に浮かぶ紅鯉の姿があまりにもきれいで、シャッターに収めました。

 家に帰ってすぐに、玄関口で、家内と記念写真:ツウショット。勿論自動シャッターです。 二郎82歳5ヶ月、貴美代74歳10ヶ月
    数え年では 二郎84歳、       貴美代75歳
  数え年では生まれた月が1歳となるので、新年は2歳という勘定になる。 
     
 

                  

 
それから、わんさと来ていた年賀状の仕分け作業に取りかかりました。

年賀状あれこれ

 年賀ハガキ購入の枚数は、20数年前から大体300枚前後でしたが、ここ10数年は350枚と定着しています。一口に350枚とはいえ、かなり年賀状に費やす時間と、労力は歳とともに、しんどくなってきますね。
 昔の話、30年も40年も前に、たった一度の付き合いで、年賀を取り交わしたのが、今も続いているわけです。お互いに、現在の状況や記憶が殆どありませんが、年に一度の交際です。意味があるような、ないような状態で続いているわけです。

 一度、還暦時代、20数年前に、年賀状を減らしていこうと試みたことがありました。50枚ぐらい出さなかったのですが、そう言うときに限って、1月1日の元旦に年賀状が来たりすると、やっぱり、出さないわけにはいきません。また、反対の場合もあります。出したのに来ない場合もあります。 それで来年は出さないでおくと、一番最初に年賀状が届くんです。そう言うことの繰り返しで、何となく、お互いに、切れていった年賀状もありますが、現在では350枚(内訳は吾輩330枚、家内10枚、予備10枚)です。
 減らす方法があるんだって・・・。今年の年賀状に来年からは出しませんと、予告するのがよいそうです。でもね、さあとなると、なかなか思い切れません。そう、そう、今年の年賀状に、「そろそろ年賀状をだしません」と、書いてきた人がありました。でも、やっぱり新年早々、しっくりとはいきませんね。少しずつ減らす方法で、時の流れに身をまかせて・・・いくことにします。

 猿除け網は雪に弱い

 さて、さて、新年早々、のんびり炬燵にあたっておれない事態が起きました。
 ここ丹波地方でも、大晦日から元旦にかけて降った雪の所為で、猿除け網が、特にその上にめぐらした防鳥網が、雪に埋もれたんです。我が家の前の畑(1号田)と、西側にある畑(3号田)、いずれも10m四方にめぐらした猿除け網の支柱が傾いたんですよ。
 どうしても、雪を払い、立て直し、一応の補修をしなくてはなりません。「やれ、竹の支柱や」「やれロープや」「やれ、防鳥網や」「やれ、杭をうたねばならん」など、など・・・。
 2日は大半、その補修で明け暮れました。3日目は、家の者4人がかりで、みんなで力を合わせて、防鳥網(10m四方)を、3号田の猿除け網の上にかぶせて、やっと補修完了しました。
 その晩の「すき焼き」がおいしかったのは言うまでもありません。

  
1号田の補強の様子:傾いた支柱をロープでおこす。 3号田の補強の様子

 でも、でも、今年の雪は降り止まない。 5日、6日と、断続的に降り続いた。6日夜、11時頃と、7日の早朝に、妨鳥網に降り積もった雪を払いのけた。おかげで一度治りかけた左の手首を、またしても痛めた。腱鞘炎と言うことで、再度お医者さんに注射してもらいました。残念。
  7日の午後、しきりに猿オドシ花火鉄砲が鳴り響く。「家の前を大きな猿が歩いた」と、家内が言う。猿除け網の雪を払いのけたおかげで、ダイコン、タマネギなど被害は免れました。 今回は5匹ぐらいの集団が、二組出現した模様です。玄関の注連飾りのミカンをもぎとったと言うことでした。倉庫に入って、カボチャやサツマイモを盗った猿もいたようです。我が家の注連飾りはユズだったので、もぎ取らなかったようですね。それにしても、元旦のしめ飾りを狙うとは、猿も地に落ちたものですね。 畑の雪に埋もれた大根を引き抜いた猿もいたようです。
 でも、まあ、今回は早め早めに対処したおかげで、被害は全くありませんでした。しかし、手首を痛めたのには、まいりました。

新春放談 

  新しい年になって、言いたいことは山ほどあります。 しかし、この国の政治、経済を論じ、また、人はいかにこの世の中を生きていけばいいのかを述べてみても、すでに齢80歳を越えた人の話に耳を傾げませんよね。責任をとれません。 所詮、老人、世捨て人の戯言に過ぎません。 

 しかし、まあ、「本を読め」は、正解だと思います。芥川龍之介の「侏儒の言葉」も、結構おもしろいです。ですが、やっぱり、ここは夏目漱石の「草枕」をあげておきましょう。その冒頭に次のように記しています。

・・・山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい・・・。

 吾輩の生きて越し方、過去を偲ぶと、まあ、振り返ってみれば、この言葉が私のバックボーンになっているようです。加えて、夏目漱石の英語力はすごいと思います。

・・・We look before and after  And pine for what is not;
  Our sincerest laughter   With some pain is fraught;
  Our sweetest songs are those that tell of saddest 
  thought.・・・。 

 (・・・前を見ては、後へを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。
  腹からの、笑ひといへど、苦しみの、そこにあるべし。
  うつくしき、極みの歌に、悲しみの、極みの想い、籠るとぞ知れ・・・)

 人、それぞれ、自分の信じる道にすすめばよい。この世には、必ず自分を求めている道があるはずだ、こう信じて生きていくことです。こんな言葉を、若い世代に言ってみたかったんです。
 八十路の旅を歩む吾輩は、今を大事に、無農薬・無化学肥料の自給自足の野菜作りをしながら、自然の大地に抱かれながら、生かされていくことを、祈るばかりです。 新年早々の放談を終了。

     

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