ジェイクのひとりごと

ハッセル、ライカ、コンタックスなどで撮った写真と、日々の雑感

ヤスクニの人々

2016-08-15 17:23:42 | Weblog

倒れそうだけど、ダイジョウブ。

現在のメインサイトは http://mac-mac-mac.blog.so-net.ne.jp/ です。

69人の国会議員が、今日靖国詣を行った。
危ないツートップ、ひとりは代理を遣わせて自分は千鳥ヶ淵へ。もうひとりは海賊退治の現場へ視察中。
習近平さんへの「一応の配慮」を示した形となる。

ヤスクニに敏感な人、関係の無い人様々だろうが、なんで中韓がここまでナーバスになるのかを考えて欲しいし、ヤスクニの本当に「役割」についても深く知るべきだと思う。
そのための8.15なんだから。

私もヤスクニ前を通ったことがあるが、都心でこれほどの緑地は「いい散歩コースだなあ」と感心した。
入ってすぐに「問題の看板」があり、素性がバレるんだけどね。

今日が終戦記念日だけど、沖縄の地上戦が終わったのは9月はじめのこと。
これもあまり知られていない(し、アメリカは隠したがる)。
樺太がロシアに盗られちゃうのが24日。火事場泥棒みたいだ。
日本の支配が終わり、アジアの都市に光が戻ったのは15日。
シベリア抑留が始まるのはもう少し経ってから。

母が、「あの日はいい天気だったなあ。ラジオは何を言ってるのか分からなかったけど、学校の先生たちが泣いてた」とつぶやいていた。

若者たちの「空虚」「無情」「失意」「猜疑」が始まるのも、その青い空の下だった。

見えないからこそ

2016-08-12 16:49:33 | Weblog
御巣鷹の峰に日航機が墜落してから31年。
純粋に「引き算」すると、その日は高校生だった私。
夕方から夜、そして翌日から始まった「報道戦争」の事を今も鮮明に覚えてる。
亡くなられた皆様に、改めてご冥福をお祈りいたします。

さて、自分の未来が見えなくなってから早十数年。病気もそうだし私的な理由もあり
希望の光が完全に閉ざされた。
好きな写真も体調のよい時に数枚撮るのが精いっぱい。
多分カメラを握らない日が長く続けば、生きている意味も見失ったのと同義だろうな。
なので辛くても、苦しくても、何とか1枚1枚を積み重ねている。

ちなみに、外見は健康な人そのものだから誰も心配しない。この点だけはよかった。
本当に不調な時も、あまり気づかれない。つきあいの長い「母親」だけは気づいていたが、
最近はお年を召してきたので感覚が鈍っているようだ。
家族にはバレない。さほど気にされていないから。

見えないからこそ見えるものがあって、見たいものもある。
普段何気なく通り過ぎている景色の中に、ふと立ち止まりたくなる、撮りたくなる瞬間がある。
「病者だから見えるもの」と言うべきか、「病者ゆえに感じるもの」というか。

そうこうしているうちに仕事でも光を失い、今は閑職で事後処理だけを専門に扱っている。
なので、未来はない。未来を作る、リードする役目から外された今は、毎日が忍耐。
面白い訳がない。ただただ学費と養育費のために職場に張り付いているだけだ。

そんな自分の姿が、夜自分を襲ってくる。
逃げたいが、酒も飲めず(薬の関係で飲み合わせ不可)、かといってギャンブルもせず。
温泉も長湯は忌禁で、交感神経と副交感神経のスイッチが壊れている。

厄介な体を引きずりながら、日々を過ごす。

多分こんな思いをしているのは、自分だけじゃないんだろうな、と感じつつ。
真面目に生きてきた人間が報われる社会を作っていかないと、いずれこの国はなくなる。
それだけは確かな気がする。