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キム・ヨンハ『殺人者の記憶法』吉川凪訳(クオン)

 | 海外・小説

連続殺人犯の独白体という形態の小説である。断章のように短い独白が続いていく。
最も長い章で2ページほど、短い場合は一行である。
キム・ヨンハは小説の実験も行っていく作家で、『阿娘(アラン)はなぜ』というアラン伝説を基にした小説では
メタノヴェルのようなことをやっている。

で、この小説の最大の困難は、連続殺人犯と自らを語る主人公である「俺」の一人称小説でありながら、その「俺」
はアルツハイマーであり、認知症が進んでいき、記憶が失われていくという設定であるところだ。つまり、一人称の
語りの主人公が記憶を喪失していくのだ。それで小説は維持できるのか。その綱渡りをやっている。「俺」は今を記
憶するために日記をつけ、ボイスレコーダーを使う。だが、「俺」は、いつかその日記自体が何なのかを忘れ、また、
日記の存在自体も忘れるだろうという怖ろしい状況を記述する。
その状況で、語られている事実が本当に事実なのかが曖昧になっていく。
どうやら彼は連続殺人犯ではあるらしい。時間が離れた遠い過去の方が記憶されている。新しい記憶ほど崩れていく。
だから、「俺」が自らの父を殺したというのは事実なのかもしれない。そして、「俺」には養女のウニがいる。そのウニの
彼であるパク・ジュテを「俺」は一目見るなり殺人者である自分と同類であると思う。ウニを守らなければならない。
そのためにはジュテを殺さなければならない。「俺」はそう考えるのだが、この関係は事実であるのかわからない。
ジュテが示す現実と「俺」の語る現実が噛み合わないのだ。ウニが養女だということも曖昧になる。
失われていく記憶の中で自分を自分として構築することは可能なのか。そして、そこにある切れ切れの主観的な事実は、
はたして事実なのか。現実は大きく揺らぐ。小説は結論を与えない。どこに事実があるのかは明らかにはされない。

僕らを支える記憶とは過去を作るだけではなく、未来をも形づくるのだと感じられる。
そして、その未来への思いが過去に意義を見いだす。

  未来というものがなければ、過去もその意味がないように思えてくる。

般若心経やモンテーニュ、未堂の詩、ニーチェ、オデュッセウス、オイディプスなどもちりばめながら、思索もさらりと
描きだす。
また、パク政権下で「俺」の殺人が捜査もされずに終わったといった民主化以前の時代の空気にも触れている。
放り出された謎は謎のままだ。むしろ記憶を追うことは迷路を描きだすことではないか、事実とは誰にとっての事実なのか
といったことを不安のままに手渡して、「俺」の記憶は今しかなくなっていく。
一気読みできる面白い小説だった。怖いけどね。
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