そうです私がセ ッ ク ス ボ ラ ン テ ィ ア (SV) で す

セックスボランティアとは、障害者に同情して、タダでセックスしてあげる人のことではありません。

障害ってなんでしょう。

2006-08-28 11:30:58 | 我思う
「障害・障碍」

私が直接関わる方たちは、上肢に「運動障害」をもつために自慰ができない方や、身体的に重度の「運動障害」をもっておられる方たちです。

重度の障碍をもった方と出歩きますと、大きく分けて3つの反応があります。

1.憐憫
 かわいそうな人として(しっかりと)見ます。

2.誤解
 まるで幼い子どもに対するように、積極的に声をかけてくれます。

3.無視
 良くも悪くも存在を無視します。


うーん。
以前もお話ししたことがありますが、身体に障碍をもった方は、どうも知的にも障碍があると、まずは思われがちなのですね・・・。
困った誤解です。
発話に問題がある方だと、その誤解もその場では解けず、そばにいる私も、いちいちフォローするのもおかしなものですから、普通に話しかけて、ちょっとアピールしてみたりしてますが・・・。




思い込みで、相手に対して最初からお構い無しの失礼な態度を取るのは許されないと思ってます。
(これは、あくまでも私のポリシーですから、誰かにこのことを押し付けようとは思っていません。)

少し前の話ですが、知的に問題のある女性の介助をしていたときに、まずは年齢にあわせて話しかけるようにしていました。

わかりにくいようだったら、だんだんと、簡単な言い方や、絵を描いたり、ジェスチャーつけたりと、ヒントをいっぱい出して、あくまでも対等に話をしていきました。

だんだんと仲良くなっていって、向こうも私のことを「おねえちゃん」とよんで、色んな話を聞かせてくれるようになりました。

彼女は、どんなに子供向けのアニメが好きでも、話題が子どもっぽくても、幼い子どもではないので、好きな人の話や、性について「してはいけないこと」の話なども、彼女の言葉できちんとしてくれました。


それがベストでもないという事はわかってるんです。


でも、やっぱり仲良しの会話と、子ども扱いはちがう。

とはいっても、丁寧な対応は、ある意味冷たくて怖いんですよね。
きちんとこちらも、表情などで気持ちを伝えながらでないと、誤解されてしまいます。
そういう点では、彼女たちの方が物の本質を見抜く力に長けていますから、だからこそ、いろんな意味で同じ人間同士という立場で接するのが当然と思うわけです。


障碍をお持ちの方といっても、いろんな方がいますが、普通に接してればいいと思うんです。

関わり方がわからないからといって、無視する必要はないんです。
手を貸すのはとても簡単。自分ひとりでできないときには助けを求めるだけでもいい。



自分がそうなるかもしれないという想像力がない人たちは、障碍者なんかいないほうが良いと乱暴なことを言うことがあります。

その人たちにこそ、色んな人と出会い、話をするチャンスが与えられることを願います。


ノーマライゼーションは、とにかく世の中にはいろんな人がいて、自分ごととして世の中を考えられる人の集まりということです。

障碍がある方も自分のことだけを考えてるのではなく、自分と違う障碍をもった方のことも考えてみてください。
それに、障碍はないけれど、自分よりも何かを上手にできない人のことも。


本当に「心のバリア」って、だれの心にもあるんですよね。




さあ、そろそろ、「考えるだけ」という場所から抜け出して、益になることをやりましょうよ。

大きなことをするんじゃなくて、自分にできることをする。


それはつまり「思い込みで壁をつくらずに真実を知る」ということ。





ボランティア団体 こにぃ企画
☆会員限定連載小説いよいよ最終回☆
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