新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ

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党首の戦略なき戦術論に失望

2015年05月25日 | 政治

  各論に深入りしすぎ

                      2015年5月24日

 

 安全保障関連法案をめぐる論戦で、安倍首相と野党党首の討論はかみ合わないまま、時間を空費した感じですね。野党は各論の矛盾、弱点をなんとかつかもうとし、防戦する首相は揚げ足をとられまいと、必死に原則論を繰り返しました。国会討論の聞き手はそもそも国民であり、事細かな討論を続けているようでは「戦後最大の安保法制の転換」への理解を深めることできません。

 

 今後も国会論議は各論をめぐり混線が続くでしょう。その大きな原因は、憲法上の制約、複雑な憲法解釈の経緯が絡むなかで、なんとか矛盾が生じないように仕組みが作られたためです。さらに、自衛隊の海外活動の行き過ぎを警戒して、集団的自衛権の行使に各種の歯止めをかけておこうとしたあまり、大局的な議論より、細かな各論に関心が集まってしまいました。

 

 内輪の集まりで、自民党の有力者に、私はこう質問しました。「予想される戦闘事態を様々な類型で緻密に分類、想定して、それぞれの対応策を用意する。非現実的な法的論争に陥っているのではないか」と。その実力者は「そういう傾向があり、自分としては今回の議論に深入りする気にはなれなかった」と、はっきりおっしゃいました。

 

  刑法の住居侵入罪が示唆するもの

 

 「どういうことなのですか」。「刑法の住居侵入罪(130条)を考えると分りやすい」といいます。130条には「正当な理由がないのに、人の住宅、邸宅、建造物などに侵入した場合、侵入罪が成立する」と、あっさりしています。簡潔な規定なので、事件が起きると、構成要件の解釈、保護すべき法益、居住権者の意見、侵害者の行為態様などの問題が起き、これらは裁判で争われます。

 

 実際に、「窃盗目的で開店中のデパートに玄関から入ることが建造物の侵入にあたるか」、「マンションの階段、通路などの共用部分は住居にあたるか」、「住宅の付属地で囲みのなかった空き地にはいると、侵入罪なのか」などについて、訴訟が起きると、判例の積み重ねで対処してきました。

 

 安保法制と次元、重みはまったく異なるにせよ、「法律的には、どこか似ているところあるなあ」という印象をもちますね。住居侵入罪についても、各種の違法行為を事前に想定しておくことに限界があります。時代や社会環境が変わって、法律が触れていない事態が起きえます。条文に縛られるあまり、取り締まることが困難になるということもありえます。だから「理由なくという部分に、大きな意味がこめられている」といいます。なるほどねえ。

 

 「海外派兵は行わない」は本当?

 

 党首討論で安倍首相は岡田氏の質問に、「外国の領土に上陸して、戦闘行為を行うことを目的に武力行使をすることはない」、「海外派兵は行わない」などと答弁しました。首相が「海外派兵は行わない」といった、と強調したメディアもありました。答弁をよく読んでみると、「武力行使を必要最小限にとどめることなどを定めた新3要件は守る」とありますから、3要件を守る形での武力行使、海外派兵はあるのですよね。「なんだ」と思うひとは多いでしょう。

 

 岡田氏の「米軍と一緒にいれば、戦闘に巻き込まれるリスクは飛躍的に高まる」と指摘し、首相は「巻き込まれないような地域を選んでいく」と答えました。おかしな押し問答です。海外からみると、「兵士、隊員はリスクをかけて国を守るものなのに、日本は何を考えているのか」という思いでしょう。岡田氏は「自衛隊員に犠牲者がでかねない」という言質を首相からひっぱりだし、安倍政権は危険な安保法制に踏み切るのだという印象を与えたかったのでしょうかね。

 

 「米国の戦争」の意味が違う

 

 首相は「アメリカの戦争には絶対に巻き込まれない」と断言しましたね。国民は「へえー、そんなの。心配はあまりないのだ」と思うでしょう。首相のいう「アメリカの戦争」とは、米国一国のために単独で戦う戦争の意味でしょう。日本が存立危機事態に直面し、アメリカが中心になって武力行使をする戦争に「日本は巻き込まれない」では通りません。日本の重大事態が絡む「アメリカの戦争」と、首相がいった「アメリカの戦争」は別物なのでしょう。国民は「なんだ、そうなんだ」ですよね。

 

 安保法制に絡む事態は際限なく存在するし、新兵器の登場、戦争の態様の変化によって、現在ではまったく想定されていないタイプの事態が将来、起こりうるでしょう。その時に手足が縛られかねないルールを事前に作ってしまったり、国会討論などで下手な公約をしてしまったりすると、後悔することになりかねません。

 

 党首が取り組むべき論戦

 

 こんなに事細かに国会で、それも防衛の専門家でもない首相、党首たちが延々と、議論を続ける国はあるのでしょうかね。不思議です。党首レベルでしかできない論戦があるはすです。安全保障の専門家の小川和久氏は「日本では総論がなく各論から議論が始まる。戦略なき戦術論をする傾向がある。日本でしか通用しない議論はやめよう」と、指摘しています。

 

 「厳しさをます国際環境の中で、日本の平和を守るとは、どういうことなのか」、「新しい安保法制はどのよう形で敵国に対する抑止力になりうるのか」、「侵略戦争と自衛のための戦争はどう違うのか」、「自衛隊の海外活動に歯止めをかけるのは、なんのためなのか」、「情報収集と情報判断力を向上させる仕組みをどう作ればいいのか」などが重要です。さらに「新法制のもとでは、将来、日本の防衛力の増強は不可避なのか。どの程度の防衛費の増加を想定するのか」という問題すぐ浮上します。そうした基本構想こそきちんと議論してもらいたいのです。

 

 将来は安全保障基本法を

 

 関連法案を10本も束ねて、一括改正する煩雑さが新しい安保法制への理解を阻んでいます。将来は安全保障基本法のような整然とした体系の法律に変えるべきでしょう。安倍政権が世論を刺激するのを恐れ、迷路に分け入るような道をなぜ選択したのかよく分りません。現行憲法の制約が強く意識されたのでしょうか。

 

 与党案に野党が反対なら、不安定化する国際情勢のもとで、どのような安全保障体制を構築したらよいのかという代替案を示すべきです。安保法制なくして存立できる国などありません。海外で注目しているのは中国でしょう。枝葉の各論ばかりに熱中しないで、高い次元の論議が必要です。「何をするのか、何ができるのか」、「何をさせないのか、何ができないのか」を、大局的に整理してほしいですね。

 

 



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