眇めオヤジの独り言

初老で始めたブログも、寄る人もないまま、いつしか定年を迎えた。
あいもかわらず、気ままに書き連ねていく。

理系と「悟り」

2008-06-14 | Weblog
アキバの事件は衝撃的であったが、取り上げているプログは数多いだろう。
書きたいことはあるが、生々しすぎて時間が必要である。

神は死んだといったのは、ニーチェであった。
代わって、神の位置に座ったのが科学であった。
20世紀は、科学による進歩と科学の脅威との葛藤の世紀であった。

オウムの事件では、理系の若者が多数犯罪を犯しており、それに驚いた人も多かった。
理系の人が宗教に染まるのは、驚くことではなく、むしろ当然のことなのである。

理系文系というのも不思議な言葉だが、日本人の場合理数系が得意なものは、浮世離れしていて世渡りが下手というのが通説である。
これはむしろ日本特有のことなのかもしれない。

アメリカなのでは、理数系科目ができることは経営者としての必要条件であり、理系の大学の出身者が経営を行なっていることが多い。
日本の文系のように、理数系が苦手で暗記能力しかないものが、国の中心にいるのがむしろ異常である。

話が脱線してしまったが、いいかげんに考えずに徹底的に思考すれば、必ず宗教にぶつかる。
アインシュタインを始め、20世紀の著名な科学者は、神の存在を否定していない。
科学を極めてもなお、神の存在は信じるしかない。

私自身も理系と思っているのであるが、やはり青年期に宗教に関心を持っていた。
仏教は、もっとも魅力的な宗教である。
オウムに入信したものたちは「悟り」の境地を求めた。
これは、私も同様であった。

私の場合、一つの結論に達し、そこで満足した。
それは、「悟りの境地とはない」というものである。
原始仏典から得たものであるが、ちょっと誤解をうけるかもしれない。

悟りの境地というのは、絶えない努力であるのだ。
悟りの境地に至ったと思って慢心するのは、「悟り」ではない。
では、何を努力するのか?戒律を守ることである。

なんだつまらないと思うかもしれない。
しかし、世界の3大宗教の教えは、すべてここに帰している。

こうしたブログで取り上げるには、ちょっと不適切だったかも。

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