年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

隅田川<23>深川不動堂

2009-11-02 | フォトエッセイ&短歌
 富岡八幡宮に隣接して深川不動堂がある。八幡様と不動様いったいどんな関係なのか、両者の共通点が見えるのも史跡散策の楽しみでもある。富岡八幡宮は横浜市にある富岡八幡宮の、深川不動尊は成田山不動尊の出先機関であるという。
 江戸時代のはじめ、歌舞伎役者の市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったところこれが大当たり。不動明王とはなんだ!という事で江戸っ子たちの成田山新勝寺の不動明王拝観熱が高まった。
 ならばという事で1703(元禄16)年、成田不動の「出開帳」(今風にいえば「特別秘宝展」)が富岡八幡宮の別当・永代寺で開かれた。これが深川不動堂の始まりである。

<お不動様の参道仲見世。香ばしい多彩な菓子類に下町の雰囲気が漂う>

 しかし不動堂が建設されたのは明治14年。その建物の歴史は比較的新しく家内安全から交通安全まであらゆるご利益が集まっている。一ヵ所でかくも多くのご利益が得られるとは有り難や!有りがたや!
 えエ~イ、それならばと内仏殿を新築し小部屋を作ってそれぞれに仏像を設置した。十二支、四国八十八箇所霊場などなど、その種類は多岐にわたり、まるで仏様とそのご利益のデパートである。エレベータで最上階にあがるれば大日如来が置かれた広間があり、廊下からは付近が一望できビルの谷間に一筋見の深川不動参道が細く見える。

<不動堂本体は狭いが、それに数倍するご利益グッズの多種爛漫。お見事!>

 深川不動、富岡八幡の西側の遊歩道にちょこんと小さな橋が乗っかっている。八幡橋である。なんと国の重要文化財のみならず、日本ではじめて米国土木学会より「土木学会栄誉賞」が贈られたというからしげしげと眺め観る。故事来歴も必要となる。
 明治11年、京橋区の楓川にアメリカ人技師スクワイヤー・ウイップルの発明した形式を元に工部省が架橋した。初めて国産の鉄材を使った鉄橋で文明開化のシンボル的存在の鉄橋となった。架設経費は4058円。付近に島田弾正屋敷があったため、弾正橋と呼ばれた。
 大正2年に新たに弾正橋が架橋されたため、「元弾正橋」と改称される。さらに関東大震災後に廃橋となったが、その由緒を惜しんで現在地(当時は八幡堀という河川)に移設。ところがこの川が埋め立てられ遊歩道になってしまった。橋名も再度の改称となった。

<そんな訳で八幡橋といっても遊歩道の小径に架かる人道陸橋となっている>


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