年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

09'秋浪漫<1>七ヶ宿街道

2009-11-08 | フォトエッセイ&短歌
 奥州街道の桑折(こおり)宿から羽州街道の上ノ山(かみのやま)宿までの街道を山中七ヶ宿街道という。現在の国道113号の福島県の桑折から山形県の上ノ山へ通じる24kmのあたり、江戸時代には仙台藩の領内で七つの宿場(上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原)が置かれた。
 旧建設省の「道の日」実行委員会により「日本の道100選」に制定された事もあり、往時を偲ぶ街道の様子が整えられている。
 滑津宿(なめつしゅく:宮城県刈田郡七ヶ宿町)辺りは旧道も残り、街道の様子を楽しめる。親子松もその一つで、樹齢350年とされる大木の木陰は草鞋を履き替える旅人達の休憩場となっていたという。そこに道祖神を祀って道中の安全を祈願したのであろう。

<3mもある大きな草鞋が奉納されている。女性・男性としているのが面白い>

 たかが6里程度のこの七ヶ宿街道(歴史的には「山中通小坂越」)が、注目された理由は秋田藩、庄内藩、弘前藩など実に東北の13大名が江戸への参勤交代に利用した街道だからである。
 蔵王連峰の南に位置し、山がちな地形と白石川の渓谷沿いに街道は続き七ヶ所の宿場は山里の渓流に臨んでいる。
 滑津宿の「安藤家本陣」は街道の中で唯一、当時の面影を残している建造物。切妻破風造で重量感のある茅葺き屋根の安藤家は宿場の肝入検断を務め、幕末には大名も宿泊したといわれている。千鳥破風式の棟飾りをもった玄関は特徴的で、歴史的風格を漂わせている。

<260年を経た安藤家本陣で諸大名・幕府及び藩役人が宿泊・休息した>

 田面を懸ける紫煙の野焼き風景に出会う。最近は殆ど見ることが叶わなくなった日本の秋のロケーションだ。こうして、大地は再生されまた来年の豊作の準備をしていく。
 過疎化の進む山間の街道筋。変わらぬ農村の風景はゆったりと刻をきざんで長閑に流れる。収穫の終わった「里の晩秋」… やがて雪の中に閉ざされる日も近い。暦ではすでに立冬。

<東京地方ではすでに木枯らし1号を観測したと気象庁は発表した>


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