年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

石臼挽き

2012-03-22 | フォトエッセイ&短歌

 府中の旧甲州街道と府中街道の交差点あたりは江戸時代の「番場の宿」で結構それらしい面影を残した楽しい街である。交差点を200mほど西に進むと塀に石臼を幾つも塗り込んだ割烹料理屋の塀がある。何故、石臼(いしうす)なのか意図は分からないが面白い企みで、歴史を演出する雰囲気はある。
 とは言っても石臼を知っている者が少なくなった。まして、使用の目的や使い方を知っている若者はいないのではないだろうか。資料館か民芸館に行けば江戸時代の「庶民のくらし」のコーナーに展示されているので形は分かるが、使用方法までは判らない。説明によれば、「まるい厚い石を二つに重ねた製粉器。上の雄臼の穴から穀物を落とし込み、上の石をまわして、石の重みで粉にする道具」とこんなことが書かれ、1400年前には日本に伝えれたともある。
 昔々の道具のようだが、食料事情が悪かった戦後は少し田舎に行けば殆どの家庭にあって日常的に使っていたのである。麦・大豆・甘藷・ソバ・屑米(粃:しいな)などを石臼で粉にしてまんじゅうやスイトンなどの食材にしたのである。
 ギザギザの「目」が付いた、下臼と上臼をごろごろと擦り合わせて粉にするので長い間使っていると石が摩滅して「目」が無くなってしまう。すると、ゴロゴロと回り難くなり、製粉が出来なくなる。すると、石屋さんに「目立て」をしてもらうのである。
 私は石臼派最後の世代である。戦後の食糧事情が極端に悪かった時期だったので、麦や屑米を石臼で挽いてウドンとかスイトンなのど「自家性食材増産」に励んだのである。思い出の深いのは、サツマイもを薄く切って天日干しにして、それを砕いて、石臼で粉にする。その芋の粉を練って握って蒸かしたのが「芋団子」である。真っ黒けのウンコ状の何とも見てくれの悪い「団子」であるが、蒸かしたては結構な美味で嫌いではなかった。戦後の代用食の見本みたいな代物であったが、忘れられない匂いと味であった。そんな食生活が刷り込まれているのか、サツマイ、ジャガイモ、サトイモ、ヤマイモと芋類は大好きである。

<石臼を塀に塗り込んだ、割烹番場屋の塀は見応えがある>

 

  街角の石臼並ぶ黒塀の割烹料理の味は円やか

  軽やかに石臼廻せばハラハラと野趣の香りの粉は積もりて

  麦大豆粃(しいな)蕎麦の製粉に臼ゴロゴロの感触が腕に

  ゴロゴロと石臼の響き遙かなり戦後も遠く平成24年

  街道の宿場の跡の賑わいに老いたる足もつられて歩く


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